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2. 転落

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七月十七日の金曜日、美玖が淫魔に折れ、講義室からヨロヨロと立ち去ったのと同日。

台風一過、一時はカラリとしていた空気もまた夏本来のジメジメとした湿気に戻ってきていた。

日が暮れても依然残る蒸し暑さにうだりながら、部屋に戻った冴子はふと何かの気配を感じた。

一見するといつもの自室だが、何かがおかしい。

恐る恐るダイニングへ繋がるドアをスライドさせると、ベランダへの掃き出し窓が開いている。締め忘れを疑った冴子だったが、ベッドソファーに腰掛けている子供に目を見開き、その子供が気配の正体であると合点がいった。

「誰?」

予想外に冷ややかな冴子の反応に落胆しながら、淫魔は自己紹介を始めた。

ーーーーーーーーーー

『全然驚かないんだ』

ひとしきり自分の特異な情報を開示したにも関わらず、なお冷静な冴子に淫魔がわざとらしく不満を露わにする。

「別に部屋に誰かいることは珍しくないよ、何人かに合鍵渡してるからさ」

冴子が関係を持つ男の属性は同じ学生から夜の人間まで広く、時間が合わない時は先に部屋で待ってもらう事も少なくなかった。

「さすがに小学生に渡した覚えは無いけどね。それに」

「淫魔は実在していたんじゃないかって思っていたの。特に十四世紀の欧州。違う言語、異なる文化圏の文献なのに、書かれているあなたの特徴があまりに似通っていたから」

文献によって手足の数が増えたり減ったりする他の伝承生物と比べ淫魔の記述はあまりに一貫していた、と冴子は補足した。

『へぇ、意外と研究熱心なんだ』

見た目の派手さと違って、と言いたげだった。

「歴史を調べるのが好きなの。だからあの大学に通っているわけ。悪魔の癖に見た目でヒトを判断するわけ?」

冴子は会話のイニシアティブを簡単に淫魔に渡さない。結局彼女の周りに人が集まるのも、この芯の強さに由来していた。

淫魔もこの状況を楽しむように答える。

『ううん、ボクは抱える欲望の色でヒトを判断するんだ。それが抑圧されたものであればあるほどそそられる。だからココに来たんだ』

はて、と初めて冴子が言葉に詰まる。

自他共に認める快楽主義者である自分はその条件に当てはまらなのではと冴子は訝しんだ。

『ボクにはわかるよ。お姉さん誰かを支配するのが大好きで、そうしないと満たされないんでしょ。だからたくさんのパートナーを作るし、セックスをダシに相手の劣情を刺激したりして遊んでる。そうでしょ?』

冴子はまだ口を開けずにいた。淫魔の指摘が正確だからこそ反論の余地も無く、その無言は肯定を意味していた。

『でも最近不満なんだよね?だっていくら肉体関係をチラつかせて思うように相手をコントロールしても最後にはひっくり返っちゃうんだから』

理不尽だよね、と冴子の感情を淫魔が代弁する。

冴子にとって結局はそれだった。最後には男が優位になってしまう。挙句の果てには彼氏面、射精行為が優劣を決定すると思い込んでいる男が大半だった。

「そう、そうだね。確かに不満かも」

『だからさ、お姉さんの欲しいものをあげようと思って』

「私の、欲しいもの?」

淫魔が両手を合わせ、隙間から漏れた妖しい光が部屋へと漏れる。さすがに冴子も怪奇な現象を目の当たりにして、数歩後ずさるが遅かった。

淫魔の小さな身体が素早く足元に潜り込み、両の手が冴子の股間へ触れる。

『淫術・"太極の創製"』

ーーーーーーーーーー

七月二十二日。水曜日の朝。冴子の部屋に美玖が夕食を作りに来る約束をしていた日だ。

大学からほど近いマンションを借りている冴子は、大学通りを早足に歩き、指定の試験場所へと急いでいた。

月曜日からずっと暑さが続いており、今日も猛暑との予報が出ていた。夕方からは猛烈な雨と伝えられていて、傘を持って通学する学生が多かった。

冴子達の通う大学では、今日が前期試験の最終日で、明日からは連休が始まる事もあり、構内へ入ると、その雰囲気はどこか浮ついていた。

先週の金曜日に淫魔によって冴子の性器は男性のものとそっくり入れ替えられ、初めは何か劇的な変化が自分の身に起こるのではないかと期待と不安が入り混じっていた。

ただ実際はトイレでの用途以外には目立った変化は起きず、どちらかと言えばこの先元に戻るのかという不安だけが冴子の中に残る形となった。

淫魔という超常的な存在と接触出来たにも関わらず、今のところ違和感だけが残された顛末に冴子は落胆していた。実は何の機能も備わっておらず、ただの飾りでは無いのかと疑ったくらいで、むしろ男を部屋に呼べないという点で不便であった。

何より気持ちが悪く、自分で触るもの憚られた。

指定の試験場所へ冴子が着いた時には既に入口にたくさんの学生が集まっていた。みな教本やノートを読んだり、友人と談笑したりして、ドアが開錠されるのを待っている。

そこで冴子は他の学生に混じり、教本を見るわけでも無くただ俯いている美玖を見つけたが、初めは美玖だとわからなかった。

いつもの美玖の服装とは違っていたからだった。

美玖はAラインの膝上丈のスカートに生脚、トップスは肌が透ける程に薄手のニットを着ていた。普段の美玖からは考えられない、明らかに露出の多いコーディネートに冴子は驚き、そして目を奪われた。

当然冴子は、淫魔の指示で顔から火が出る気持ちでその格好を美玖がしている事を知らない。先週のテスト中、許しを懇願した美玖へ突き付けられた対価がこれだった。

美玖の方はあれから毎晩淫魔に搾取され、何度も絶頂させられる激しい責めではなく、イクかイカないかの瀬戸際で、日々官能を高められていた。美玖の秘部に植え付けられた淫術も現在進行形で微弱な振動を送り込んいた。

そんな美玖の姿を見た冴子の下半身に変化が起きた。血流が股間へ集まり始め、その分思考を失った頭にはムラムラとした性欲が幅を利かせつつあった。

「おはよ」

何とか平静を装い美玖の肩を叩いて声を掛ける冴子だったが、それがいけなかった。

「ひゃぅっ❤︎」

Gスポットをフルフルと優しく震わす刺激に意識を向けていた美玖が冴子の手に驚き小さな悲鳴を上げた。

ドクンと冴子の心臓が脈打つ。

顔を上げた美玖のピンクに火照った女の顔。

潤んだ黒い瞳。

緩めのニットからでもわかる大きく柔らかそうなバスト。

スカートをむっちりと持ち上げる形の良い双臀。

全く日焼けしていない陶器の様に白い脚。

冴子のペニスが初めて反応し、着ていたワイドパンツをムクムクと押し上げ始め、発情した目で、舐める様に美玖の肢体を眺めている自分の視線に冴子がハッとする。

「あっ…ごめん驚かせちゃって。テスト頑張ろ」

美玖や周りの学生に股間の隆起を見られる前に冴子はタイミング良く開場された講義室へ消えていった。

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