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第四章 旅行準備編
闇の中
しおりを挟むバクバク、ムシャムシャ、バリバリ。
そんな音は聞こえなかったのが一つの救いだった。
☆
気づいたら、闇の中だった。
一筋の光すらなく、ここが黒い犬の胃袋の中なのか、死後の世界なのかもわからない。
「うん」
地面の感覚はないが、手足の感覚はある。これなら歩けないこともないだろう。
今気づいたが、両腕の魔法が解けている。
この世界にはルシルの魔法も効果がなくなるのか、それとも単純に時間が経ったから消えたか。
大穴でルシルが死んだから、という線もあるだろう。
問題は、どっちに歩けばいいかだが。
「どっちでも一緒だな」
なにしろ全てがわからない。
ここがどこなのか、救いがあるのか。
……ぼくが誰なのか。
そんな基本すら忘れそうになる。
「チャンスは一回だな」
説明しづらい感覚なのだが、ほんの一瞬ごとに自分が薄くなっている気がする。
どこに進んだとしても、引き返すことはできないだろう。
「なら、悩むだけ無駄だな。前に進もう」
こんなところに立ち止まっていても、つまらない。
誰かが助けてくれるとも思わないし、別に望んでもいない。
ぼくの人生はこれでいいのだ。
☆
「ああ、たるいなあ」
さっきから適当に独り言を言っているのだが、ちゃんと口から声が出ているのか頭で思っているだけなのかすら本当の所はわからない。それに……。
「右腕の感覚は消えたなあ」
果たしてぼくの右腕はまだ体に繋がっているのか。
勿論、見えないし触ってもわからない。まあいいか。片腕がなくても死にはしない。
☆
かなりの時間歩いたはずだけど、景色は何一つ変わらない。
別に不満はないが、希望もない。
「今度は両足だな」
別に、一つずつ感覚が消えるというわけではないらしい。まだ左腕があるとか思ってはいられないのかもしれない。
「まあ、いいか」
一瞬先に終わりがあっても、数分先に終わりがあっても大して変わらない。
終わりなんていつかは来るものだし、拘る必要はない。
ただ、受け入れればいい。
☆
「ふわあ」
これだけ歩くと飽きてくる。
ぼくの勘違いでなければ既に、数か月ぐらいの時間を歩いている気がする。
空腹も眠気も感じないというのが一つの救いだが、それらを指標にできないというのは困ってしまう。
これでは諦めることも出来ない。
いつまでも終わらないというのは、いつまでも続けることが出来るという意味だ。
そんなものは今までの人生と何も変わらない。
歩みを止める理由にはならない。
絶望しながら道を進むのは、難しいことじゃない。
まあ、ぼくには希望と絶望の違いなんて分からないのだが。
道の種類で歩くか、止まるかを決めるわけじゃない。
立ち止まるのは退屈だから、どんな道だとしても歩くのだ。
なにもなくてもそれはそれ、酷い目にあってもそれはそれ。
それが生きるということだろう?
☆
今までの人生は、色々あった気がする。
覚えているわけがないのだが、赤ん坊のころに両親に捨てられて。
物心がついたころには親戚の家で育ち、十五歳で実家に戻る。
一年間の、平和な日々を過ごした後は魔法の世界に仲間入り。
考えてみると、学院生活が劇的なものに思えないような生き方をしてきた気がする。
親戚の家でも色々あったし。まあ、全員バラバラになったから一人だって今何をしているかわからないが。
実家の血の繋がった兄弟たちだって、名前どころか何人いるのかすらわからない。
一番の問題は、そんな事実に不満を持っていないということだろう。
☆
「いやあ、大変だ」
今のぼくは、右目しか感覚がない。
どこかのヴィーを連想するが、些細なことだ。
実際のところ両足の感覚がなくなっても不思議と歩いている気がしていたのだが、首から下の感覚が全てなくなった時点でそれも出来なくなった。
迷惑な話だ。
とっとと全ての感覚がなくなってしまうか、眠気ぐらいは残っていてくれればよかったのに。
ただ意識があるというのは、思ったより退屈だ。
しかし、こうやって改めて考えると思い出せることが全くない。
思い出したいと思えることもない。
強いて言えば、約束を守れないことが心残りと言えないこともない。
ワールド・バンドのメンバーに会うって、約束したのにな。
ぼくの人生において、珍しい他人との約束。
出来る事なら守ろうと思っていたけど、守れないで終わるらしい。
「でも困ったな。死者との約束を守らないで死んでも天国に行けるのかな?」
まあ地獄も楽しそうだからいいか。
なんとなく、最後に残った右目の感覚がなくなりそうな気がしてきた。
多分、それと同時にぼくという存在も消えるのかもしれない。
それが、死というものならばやはりぼくにはわからない。
そんなものは、ぼくの人生と変わらない。
適当に生きて、ある日突然終わる。そんな日々は何度も繰り返してきた。
その最後が消滅だとしても、何の違いもありはしない。
「これが、ぼくの終わりか」
不満も、後悔もない。
自然と受け入れられる。これがぼくの終わりだと。
「ただ……」
最後の最後ぐらいぼくだって誰かを思い出したり、何かを想って死ぬんだと思っていたけど。
「全然、思い浮かばないな」
わかっていたことではあったが、ぼくの中には誰もいない。
そもそも……。
「なんとなく、これで終わりとは思えないんだよなあ」
心底不思議そうに呟くと虹色の光が闇の世界に広がり、あまりの眩しさに目を閉じて。
もう一度開くと、そこには全身傷だらけで死にかけている黒い犬と左腕がない爺さん。
そしてあまりの感情を抑えられないでいる、氷より遥かに冷たい表情を浮かべるルシルがいた。
「やっぱりね」
ぼくの人生は、まだ終わらないらしい。
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