主人公は高みの見物していたい

２学年 後期

第１４９話

“ダッ！！”

　舞台の床を蹴った文康は、綾愛を中心にして円を描くように走り回る。
　その速度は少しずつ加速している所を見ると、高めた速度で強力な一撃を放つことを暗に示している。

「フッ！　抵抗しても良いんだぜ？　お前の大事なセコンド君がどうでも良いんならな……」

　文康は加速しながら、ジッと立っている綾愛に話しかける。
　恋人を人質を取られて抵抗できないようにした張本人が、どの面を下げて言っているのだろうか。

「…………」

「ハハッ！」

　文康に目もくれず、無言でたたずむ綾愛。
　それを見て、自分に痛めつけられる覚悟を決めたのだと判断した文康は、嘲るように笑いながらどんどん移動速度を上げていった。

「まずは片腕だ！！」

　機が熟したとばかりに、文康は一気に綾愛へと接近する。
　そして、体を回転させ、上げに上げた速度を利用した遠心力攻撃を放ち、綾愛の左腕を狙った。

“スッ！！”

「……えっ！？」

　攻撃をした手に何の衝撃も訪れない。
　さっきまで笑みを浮かべていた文康だったが、一瞬にしてそれは消え去った。
　もちろん、何の衝撃も音すれない理由は分かっている。
　綾愛が、ギリギリのところで自分の攻撃を躱したからだ。
　だからこそ理解できない。

“ニッ！！”

「待……」

　攻撃を躱された文康は、信じられないといった表情で綾愛の顔を見る。
　僅かに目が合うと、そこには笑みを浮かべて木刀を振りかぶる綾愛がいた。

“バキッ！！”

　会場中に大きな音が鳴り響く。
　それと共に、文康は舞台上を何度も跳ねて場外まで吹き飛んで行った。

「「「「「…………っ！！」」」」」

　あまりの出来事に、会場中が一斉に静まり返った。
　何か特別な攻撃をするように、文康が移動速度を上げ、最高潮の所で綾愛へと斬りかかった。
　しかし、それを綾愛は難なく躱し、空振りして隙だらけの文康に強烈な一撃をお見舞いした。
　一般的な魔闘師だったら、文康の移動と攻撃は残像のようにしか映らなかっただろう。
　あまりのハイレベルな一瞬の攻防に、思わず息をのみ込んだのだ。

「～～～っっっ！！」

　場外に落ちた文康は、片腕を抑えてのたうち回る。
　無防備の状態で受けた攻撃により、右肘の骨が粉砕された痛みからだ。

「……審判さん？」

「……あっ！　ワン！！　ツー！！」

　場外に落ち、痛みで苦しむ文康になど目もくれず、綾愛は審判に視線を向けて話しかける。
　綾愛の声によって、ようやく自分が何をすべきかを理解した審判は、文康に近寄りカウントを数え始めた。
　これにより、文康が１０カウント以内に立たず、２０カウント以内で舞台上に戻らなけえば綾愛の勝利が確定する。

「っっっ！？　……う、うがっ……」

　腕の痛みに苦しんでいた文康だったが、審判がカウントを始めたことで自分の状況を理解した。
　そして、まずはダウンによるカウントを止めようと、立ち上がろうとした。
　だが、文康はその時になって気付く。
　右腕だけでなく、脇腹からも痛みが襲ってきたことに。
　綾愛の攻撃は右腕だけでなく、肋骨も数本折っていたようだ。

「ぐうぅ……！！」

　このままでは負けてしまう。
　切れた口の端から血を流しつつも、文康は腕とあばらの痛みに耐えて立ち上がった。

「こ、この……」

　なんとか立ち上がったが、まるで生まれたての子牛ように足が震える。
　それを何とか抑え、文康はゆっくりとだが必死に舞台上へと戻った。

「うぅ……」

「鷹藤選手！　まだやる気かい？」

「……も、もちろん」

　舞台上に戻った文康は、左腕で木刀を構えて戦う意思を示す。
　そんな文康に、審判は意思を確認する。
　片腕をもらうどころか、それ以上の痛手を自分が受ける結果になってしまった。
　こんな形で負けるなんてありえない。
　鷹藤としてのプライドなのか、それとも単なる負けず嫌いからなのかは分からないが、文康は審判に試合続行の意思を示した。

「……続行！！」

　審判はセコンドに目を向けるが、タオルを投げる気配はない。
　それは単純にセコンドがお飾りで、文康がタオルを投げることを禁じていたからだが、審判にそんな事が分かる訳がない。
　かなりの痛手を負っているが、まだ目はやる気になっているため、審判は試合の続行を指示した。

「……て、てめえ！！　恋人がどうなっても良いのか！？」

「こ、恋人……」

　試合再開の合図と共に、観客の歓声がまた戻ってくる。
　そして、審判が離れたのを確認した文康は、綾愛にのみ聞こえるように話しかける。
　攻撃を躱したのは、八百長を誤魔化すために必要かもしれないが、反撃をして来たことは完全に許しがたい。
　たしかに、自分は伸と恋人という体ていにしている。
　昔、誘拐から自分を救ってくれた少年がいた。
　その少年に再会した時、綾愛は彼を恋人にという考えを持っていた。
　そして、その少年が伸だと知ってからは、この仮となっている関係をどうにか本物にしたいと思っている。
　鷹藤家である文康にも、自分たちは恋人同士に見えているということに嬉しい思いが込み上げてきたのだろう。
　怒りと共に発せられた文康の言葉に対し、綾愛は顔を赤くするという状況とズレた反応をした。

「…………？」

「コ、コホン……」

　おかしな反応をする綾愛に、彼女の胸の内を理解できない文康は首を傾げる。
　そんな文康を見て反応違いだと自分で気付いた綾愛は、軽く咳ばらいをして表情を真剣なものへと戻した。

「俺が攫わせたと信じていないのか？　俺の気分次第で、てめえの恋人はいつでも痛めつけられるんだぞ！」

　恋人を人質を取られ、綾愛は無抵抗でいるしかないはず。
　それなのに、攻撃を躱すだけでなく反撃してくるなんて、人質を取ったという自分の言葉を信じていないからなのかもしれない。
　そう思った文康は、綾愛に再度脅しの言葉を投げかけた。

「……あんた馬鹿でしょ？」

「……何？」

　脅しの言葉と共に自分を睨みつけてくる文康を、綾愛は呆れたと言いたげな口調で問いかける。
　文康としては、立場が上のはずの自分が、どうしてそんな問いをされているのか分からず、問いで返す形になった。

「彼があんたの手先なんかに捕まるとも思えないし、本当に捕まっていたとしても、彼ならそのうち帰って来るわよ」

「……はっ？」

　脅しの言葉に対し、綾愛は本気で心配していない様子。
　誘拐を指示した配下の者には、この耳で成功したという報告を受けている。
　それなのに、どうして綾愛が心配していないのか文康には理解できない。

「むしろ、私にとってはラッキーだったわ。大怪我負わせる機会を自ら作ってくれたんだから」

　はっきり言って、自分と文康の実力は互角。
　まともに戦ったら、勝負は運に恵まれた方という結果になっていたはず。
　綾愛がそう思っていただけに、文康も同じ分析結果を出していたことだろう。
　そこで文康は伸を誘拐し、自分を脅すことで勝利を確実なものにするつもりだったかもしれないが、誘拐した相手が相手だ。
　綾愛は、伸は現鷹藤家当主の義康にも負けない実力の持ち主だと思っている。
　それは、伸から受けた指導で実力を上げたことによって、その思いが強くなってきた。
　そんな伸が、文康程度が動かせる人間に捕まる訳がない。
　もしも何か目的が合って捕まったとしても、伸ならすぐに脱出することなんて簡単なはずだ。
　実力が上の伸を、自分が心配するなんて時間の無駄だ。
　だから、自分は伸が戻ってきた時、一言文句を言うことを楽しみにして試合に挑むだけだ。

「ところで、まだ戦うつもりなの？」

「あ、当たり前だ！　てめえなんざ片腕で充分だ！」

　伸なら自分で何とかするだろうから、はっきり言って放っておいていい。
　それよりも、今は試合に集中するべきだ。
　とは言っても、さっきの攻撃で文康はボロボロの状態。
　とても戦える状況ではないため、綾愛は本気でまだ戦う気でいるのかを問いかけるが、文康は考えることもなく強がりで返して来た。

「そう……」

　試合続行になっているし、本人もまだやる気でいる。
　綾愛は結果が分かっているだけに、仕方なさそうに文康へ向けて木刀を構えた。