上 下
50 / 52
エピソード7【93階のコーヒー】

【2】

しおりを挟む



そして花梨は、最高のコーヒー作りに夢中のレイナを見つめながら、


 「宇宙船の製造が順調で良かったわ……」


と、ポツリとつぶやく。

さっきまでの笑いが消え去り、心の底から安堵感を浮かべていた。

よほど、進行状況が気になっていたのは間違いない。


「レイナちゃん……」


 そして飲みかけのコーヒーをテーブルに置くと、メガネをスッと外し、コーヒーの隣に仲良く並ばせる。

 裸眼で平然としている姿を見ると、どうやら、あまり視力は悪くないようだ。

やはり、おしゃれアイテムとして身に付けているのだろう。

 素顔の花梨は、大人の女性独特の落ち着いた雰囲気を漂わせながら、徐々に深刻な顔つきに変わり始めた。


 「なるべく、早く完成に向けて作業を進めてほしいの。お願いね」


それは、今日一番の真剣な口調だった。

その空気に同調するように、レイナも、アレンジしたコーヒーの味を確かめながら、


 「分かりました」


と真剣に答え始めた。


 「でも、やるからには最高の物を作りますよ。空調や照明にもこだわりたいですし……あと、サウナ施設も……」

 「ごめんなさい……」


レイナの言葉を、花梨はすかさず遮る。


 「そういうのは……あまり気にしなくていいわ……」

 「え……?」


コーヒーを飲むレイナの手がピタッと止まった。

 砂糖が足りなかったからではない。

いつもの明るい花梨と違い『気にしなくていい』と言う、うつむき加減の姿にあまりにも違和感を感じたからだ。

 全く、顔を上げようとしない。

 長めの前髪で隠れているが、その表情がなかなか険しいのは簡単に推測できた。


コーヒーカップを、そっとテーブルに置いたレイナは、


 (花梨さん……仕事で疲れてるのかな……)


 姉のように慕う花梨を、少し心配し始める。

しかし、それと同時に、


 (ということは……内装は簡単でいいってことか……)


 多少、物足りなさを感じていた。


レイナは、完璧主義。

 細部に渡るまで、自分の理想に近づけたかったのは間違いない。

しかし――


(大臣からすれば、完成した宇宙船を早く見たいんだろうな……)


そういう気持ちも、分からなくはなかった。

しかし、一番、疲れる思いをしているのは花梨だろう。

どっちの意見も聞かなきゃいけない。

まさに、中間管理職。

いつも板ばさみになる、大変なポジションだ。

だが花梨は、今回ばかりは『内装にこだわりたい』というレイナの意見を聞くわけにはいかなかった。


そして、花梨は首を左右に動かし、周りに人がいないことを確認し始める。

 先ほど、自分自身で部屋に鍵をかけたことを、すっかり忘れているのか。

はたまた、それを分かった上で、あえて確認しているのか。

とにかく、部屋中をゆっくりじっくり見渡していた。


 「レイナちゃん……」


レイナの右横に移動し、並ぶようにソファーに座る花梨。

 腰をおろしたあと、緊張を軽減さすかのように『フー』と大きく息を吐く。

 誰の目にも分かりやすい大型の息の固まり。


 (花梨さん……)


 当然、その仕草を見て、レイナも気がついた。

 『何か大事な話がある』

その事が、花梨の姿からはっきりと感じ取れた。

そして花梨は、レイナの肩にそっと手を添え、ゆっくりと話し始めた。


 「実は……」


 小さな声だが、しっかりとした口調で話を進める花梨。

レイナは、その話の内容を大まかに理解し始めた時、


 (え……?)


 思考回路が、一瞬で凍りつく。

しかも、永久凍土に覆われたように溶ける気配はない。


 冗談?

 花梨さんのジョーク?


そう思おうと、努力もしてみる。

だが、冗談ではないことが、花梨の二重の瞳からはっきりと伝わってきた。

テーブルに置いているメガネまでもが『信じて』と、ズシズシ後押ししてくるように感じる。


 「必ず……ハルトくんにも伝えておいてね……」

 「は、はい……」


レイナは頷くと、足早に防音会議室から飛び出していった。

 一目散にエレベーターに向かう。

おそらく、どういう行動を取ればいいのか分からなかったはず。

 唯一分かっているのは、この建物から出るという事。

そんなレイナを、ガラス張りのエレベーターの個室はやさしく迎え入れる。


 (うそ……うそって言って)


レイナは、下に向かう楕円形の小さな密室の中で、パニックになりそうな自分を必死で抑えていた。

 93階から下るエレベーターは、結構な時間だ。

しかし、幸いにもその時間が、徐々にレイナの心に落ち着きを与えていく。

ガラス張りの小さな動く空間の中で、思考回路の永久凍土は少しずつ溶け始めていた。


 (まだ、できることがあるはず……)


 1階に着き、エレベーターのドアが開いた時には、レイナに新たな気持ちが生まれていた。

 『まだ、できることがある――』

そういう思いを胸に刻み、スリー・アローから飛び出すように、自分専用の研究所へ向かうレイナ。


だが、それは、とても小さな可能性を信じるということ。

 広大な海の真ん中に落ちた指輪を見つけるような、とても困難な闘い。




 93階で飲むスティックシュガー2本分のコーヒーの味は



 レイナにとって、一生忘れられない味になった




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...