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結社ミザール 2

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 再び、密やかに城の一角に私たちは集められた。レヌーダ、イシュタルトにエレーナ。それからアステリオンは列席しているものの、朝のように大人数というわけではない。
 ロバートが声を潜めて言うには、『親皇太子派』の面々ということらしい。
 いつのまに私がそんなものに入ったのかは知らないが、ロバートが所属しているのなら、私も否はない。
「ジュドー・アゼル伯爵か。手配するのは簡単だが……」
 報告を受けたアステリオンが顔を曇らせた。
「泳がせますか?」
 レヌーダが問いかける。
「アレは、それほど、反皇太子というわけではなかったと思うけど」
 エレーナが首を傾げる。
「アレを反皇太子派に追い込んだのは、俺かもしれません」
 イシュタルトが呟いた。
「どういう意味かね?」
 カペラが、不思議そうに首を傾げる。
「ジュドー・アゼルの想い人を強奪し、さらに皇太子に差し出そうとした、俺への反感です」
「え?」
 私はギクリとした。
「あの状況をどう見たら、俺に差し出そうとしているように見えるかねえ?」
 アステリオンが苦笑を浮かべる。
「えっと。私のことでしょうか?」
 恐る恐る、私は口をはさむ。
「強奪もなにも、アリサはアゼルのものになどに、なったことはないのですが」
 ロバートが憤慨した。
 いや。弟よ。今、そこを突っ込む必要はないと思う。
 私の名誉とか、今はどうでもいいはずだ。
「今朝、アリサとジュドーに会った。アリサを『毒婦』と言っていた。たぶん、反皇太子派の誰かに、いろいろ吹き込まれたのだろう――それも、昨晩から今朝までの短い間に」
「まあ。自分の想い人が、どんな女かわかってないなんて、サイテーだわ」
 エレーナが苦笑する。
「こんなに鈍そうな女の子が、どうやって男を手玉に取っているように見えるのかしら」
 それ、褒めているのだろうか。 
 反論する気もないけれど。
「ジュドー・アゼルは、おそらく昨晩の犯人とは違います。残った残滓は別物でしたし」
 私は話をもとに戻そうとする。
「とりあえず、アゼルに接触したものがいないかどうか、聞き込み調査が必要だな」
 アステリオンは、ふーっとため息をついた。
「叔父貴か、従兄か。ま、俺を目の敵にしているのは、そのあたりだろうが、魔法陣云々っていうと、やっぱり結社ミザールか」
「アステリオン殿下を害そうするのは、失礼ながら、動機がわからなくもありません。ですが魔道バランスを崩して、何のメリットがあるのか、私には理由が見当たらないのですが」
「今より、巨大な魔術を使用可能になるだろう」
 カペラが渋い顔をして、私の疑問に答えた。
「魔力というのは、個人の才能に左右される。しかし、土地によって、多少の影響がある。過去の大魔導士達はみな、レキサクライの深部で実験を繰り返したという記述がある」
「巨大な魔術って、なんでしょう?」
「結社ミザールが欲する魔術の究極は、わかりやすく言えば、魔王の召喚だよ」
 ロバートが首をすくめる。
「……まさか」
 私は呆れる。
「そんなことして、誰が得をするの?」
「損得じゃない。少なくとも、普通の人間には理解不能な『理屈』があるから、面倒をおこすのだ」
 イシュタルトは肩をすくめる。
「ミザールに属していたとしても、そこまで思いつめている人間は僅かだと思う。それに思いつめたとしても、実際に魔法陣を破壊できる人間は、そう何人もいないはずだ」
「そうね。少なくとも、ハイドラを召喚できる人間は、そんなに多くないでしょ」
 エレーナは、カペラの顔を見た。
「ギルド内で、心当たりは?」
「難しいですね。ハイドラを使役したわけではないので、魔力保有量が、Aクラスなら、召喚は可能だとは思います。ただし、魔導士や魔術士に限らず、魔力付与師だって、カウントしない訳にはいけませんから、相当な人数になると思われます」
 カペラは言いつつ、なぜか私の顔を見た。
「長い間、魔力付与師の登録だった方が、超一流の攻撃魔術を使用できるという『実例』を、みせつけられたばかりですし」
「アリサは特別だと思うけどね」
 ロバートは苦笑した。
「アリサは、魔道学校では魔力付与能力より、攻撃魔術のほうが得意だったから」
「召喚術が苦手だと言う『成績』が残っていたのに、モニカの陣を反転させるし、アリサくんには謎が多すぎます」
 カペラは苦く笑う。
「――召喚術は本当に、苦手なんですけど」
 念のため、口をはさむ。
 得意だと思ったことは一度もないのだ。
「アリサの話はともかくとして、だ。カペラ、とりあえず、魔力保有量Aクラスの名簿を用意しろ。レヌーダはジュドー・アゼルを調査。イシュタルト、お前は賊の侵入経路を探れ。エレーナ、お前は『ハイドラのお片付け』だ」
 アステリオンは、まとめて指示を出す。
 きりっとしていると、やはり皇太子だけあって、命令するのに慣れている感じがする。
「ラムシードの双子をお借りするわよ、イシュタルト」
「ロバートはともかく、アリサはカペラの指揮下だ。了解をとる相手が違う」
「私は構いませんよ。必要な人間は、いくらでも指名してください」
「では、あとは魔術士の長のライラックを借りるわ」
 言ってから、ニコリとエレーナが笑う。
「そう言えば、クラーク・ラムシードもSクラス保有者の魔力付与師だったわね。双子の実力から考えると、戦力になるだろうから、呼んじゃおうかな」
「父をですか?」
 私はつい、そう呟く。
「必要なら構わんよ。もともとクラーク君は、魔導士になってもおかしくない実力者だったのだから」
 カペラはそう言って私とロバートの方を見た。
「テオドーラに心奪われなければ、間違いなく、彼はこの国で指折りの魔導士となっていただろう」
 そんな実力を秘めていたとは、魔道具コレクションで借金を作った父からは想像もつかない。
 しかも、その言い回しから推察するに、父は母と大恋愛の末に、出世街道を蹴飛ばしたようだ。
「人は、見かけによらないのね……」
 我が父のことながら、私は思わずそう呟いた。


 日の光の下で見るハイドラはおどろおどろしい。
 瘴気は消え、バラ園のバラの芳香があたりに漂っているが、その香りに酔いしれる気分にはなれない。
 庭より一段高いテラスに、騎士が陣取って見張っている。イシュタルト率いる近衛隊の軍服を着た兵士たちが、庭園内をはいつくばるように、侵入者たちの痕跡を捜していて、なんだかせわしない。
 私たちは、ハイドラの周りに結界を張るための作業をした。通常なら呪文だけで構わないのだが、万が一何かがあっては困るので、各元素を固定した石を設置するのだ。石の大きさはこぶし大。小さい、と思うなかれ。これは、市場価格にすると我が家の借金の総額と同じくらいするのだ。
「ねえ、ライラック。貴方は、クラーク・ラムシードの若いころを知っている?」
 作業をしながら、エレーナは面白そうに尋ねた。
「もちろん。彼は、私の教え子だよ」
 ライラックは、顎鬚をなでる。
「実に優秀な生徒だったよ。ロバート君のようにね」
 くすくすと、ライラックは笑う。
 私のように、ではない。わかってはいるが、少し悲しい。
「でも、彼は、テオドーラの父親エレドール・カミングの技術に魅せられて、魔道学校を中退した」
「そうなんですか」
 初めて聞く父の過去に、つい聞き入ってしまう。
「世間では、テオドーラに惚れたクラークが強引に弟子入りしたと言われているが、実際は君たちのお祖父さんの技術に魅せられたらしい」
「本当ですかね?」
 疑わしそうにロバートが口をはさむ。
「私は、魔道学校をやめると言いだした彼を説得に行ったからね。間違いないよ。一目ぼれをしたのは、むしろ、テオドーラの方だったようだし」
「テオドーラさんは、騎士の間でも有名な方だったそうよね?」
 エレーナが首を傾げる。
「そうだよ。騎士と言わず、貴族からも求婚されていたと思うよ」
 なぜかライラックさんの視線が私に向けられる。……似てない、といいたいのかもしれない。
「クラークは二十歳には、カミングから独立して店を開いたのだが、テオドーラが強引にそこに押しかけたというのが本当さ」
「母が、そんなに情熱的だとは知りませんでした」
 私がそう言うと、エレーナがくすっと笑った。
「あら。クラークは、最近、宮廷に出入りしているでしょ? 今でも、女性に人気があるのよ。テオドーラさんが夢中になったっていうのも、よくわかるわ」
「え?」
 私とロバートが異口同音で驚く。
「私もお会いしたけど、なかなかシブイおじさまよね」
「そうでしょうか?」
 私は疑問形で問いかける。横目でふと、ロバートを見ると、何となく不機嫌な顔になっていた。
「年齢より、お若く見えるし、お話も面白いし。お仕事もお出来になるもの」
「……あの、まさか、エレーナさま?」
 私はおそるおそる口を開く。私の視界の隅のロバートの顔が怖い。
「やーねえ。私、ラムシードの双子のお義母さんになる気はないわよ」
「お義母さん……」
 その衝撃的な言葉に、思わず私は繰り返す。
「冗談にしてもタチが悪い」
 ロバートはムッとしたまま、首を振った。
「とにかく、父を呼ぼうなんて無謀なことはやめてください。昔はともかく、父は長年、魔力付与以外の魔術から遠ざかっています。魔力の不確定要素はアリサだけで充分です」
 ロバートは言い捨て、黙々と作業を仕上げ始めた。
 さりげに、私への風当たりまで強い気がする。怖い。その背中が恐いぞ、ロバート。
 しかし、君が不機嫌になった理由をエレーナはたぶん、気が付いてない。その証拠に、エレーナは、小首を傾げてルクスフィートとなにか話をしている。
 ライラックに目を向けると、『青春だねえ』みたいな目で、ロバートとエレーナを見ていた。
 姉としては胃が痛い。
 結界の作業が終わると、次はいよいよ、召喚返しだ。
 ハイドラは石化して動かないものの、生命の息吹はしっかり感じる。それを正面に見上げる場所に、ロバートが立つ。そして、ハイドラを囲むように、エレーナ、そしてルクスフィート、ライラック、私が等間隔に立った。ロバートの顔は平静に戻っている。その辺はさすがに優秀な弟だ。
 他人が召喚したものをご返却するのは、なかなかに面倒であるが、生きているうちならば召喚してきた道筋が残っているので、その筋を辿って「召喚返し」することは可能だ。可能ではあるが、面倒ではある。しかも、術者より、強い魔力でこじ開けねば、召喚の門は開かない。
 ロバートが瞳を閉じて、異界で結ばれた道筋を探っている。
 複数の人間で召喚返しを行う際、呪文を唱えるのはただ一人である。それ以外の人間は、術者とイメージを共有し、波動を合わせていくことが大切だ。
「我、魔の理を持って命ずる。異界を辿る道を示せ」
 ロバートの呪文に合わせ、私たちは力をハイドラの身体に浸透させるように収束させていく。
 グワン、と大気が歪む。石化したハイドラが明らかにのたうち、光の帯が絡みついていった。
「帰還せよ」
 ロバートの言葉とともに、ロバートの波動と共感させた自分の波動から、一筋の道のイメージが頭に流れ込んでくる。それにあわせて、力をその道へと流し込んだ。
 流れ出る力が、ハイドラを押し流すように、彼方の「門」へと導き――そして、全てが門の向こうへ押し出され、パタリと力が断ち切られた。
「終わりました」
 ロバートが静かに告げる。
 集中を解くと、周囲の状況が見えてきた。
 ハイドラがいた場所は、ぽっかりと穴が開いたように何もなくなっている。
 しかし、魔道バランスは当然、崩れたままだ。
「ほぼ、抵抗なく返せたわね」
 エレーナが満足げに微笑する。
「五人がかりですから」
 ルクスフィートが苦笑する。帝都アレイドで指折りの術者でも、未知の術者の術を返すのは怖い。
「何にしろ、魔道バランスを早く安定させないと」
 ロバートは大きく息をついた。
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