現実はイージーモード?

秋月 忍

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私はチョロイン?

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 本屋で行われているサイン会で、知り合いに会うことほど気まずいものはない。
 よりによって、大好きなゲームの美少女イラスト作家『ラプラン』さんのサイン&握手会会場で、会社の同期に会うなんて。
「ははははは」
「奇遇だねえ……」
 私、山田沙紀やまださきと、同僚、久谷保くたにたもつは、お互いに乾いた笑いを交わした。
 久谷は、私の会社の同期で二十八才、誠実で爽やか好青年である。端正な顔立ち、すらりとした体格。運動神経も悪くないから、女子の人気は当然、高い。会社では、同期であること以上には、縁のない人である。仕事上、それほど接触もない。
 そんな彼が、美少女萌えイラスト作家のサイン会に来るなんて、超意外性である。
 もっとも、萌え美少女イラストを買って、世間的にまずいのは、彼よりも女性の私の方だ。ラプランさんの絵は、可愛いだけじゃなくて、エロい。胸や尻がチラ見せ状態、美少女の顔はトロンとした艶っぽい表情。男性の欲望を誘うきわどいイラストがいっぱいなのである。どう考えても、変態臭がするのは、私の方だ。
「山田さん、まさか、ラプランさんのファンなの?」
 今後のことを考えたら、「いえ別に通りかかっただけです」とか言って、立ち去ればいいのだが。今、列を離れたら、ラプランさんのサインがもらえなくなってしまう。それは、悔しい。この日の為に、私は服まで新調してきたのだ。
  ラプランさんの描いたキャラ『マナ』の衣装を意識して、胸元に大きなV字カットの入ったブラウスに、ミニのタイトスカートを着てきた。普段の私の服とは違って、露出度が高くて恥ずかしいのだが、ラプランさんの印象に少しでも残りたいというファン心理である。が、その発想が既に、相当に自分でも、イタイとは思っている。
「そうだけど……変ですか?」
 私は開き直った。そもそも、久谷だってサイン会に来たということは、同志のはずである。馬鹿にされたり、軽蔑したりするのはおかしい。
「いや、女の人が珍しいなあと思って」
 サイン会を訪れるファンは、ほぼ九割がた男性。私は完全に浮いている。だから、何だというのだ。可愛い女の子は、世界の宝である。だからラプランさんの絵は、性差を越えて愛されても良いのだ。
「ラプランさんの女の子可愛いですから。私、ラプランさんがキャラデザした『ふるえる乙女』が好きでして」
 サイン会という特殊な空気に包まれて、私は言わんでも良い告白をする。
「ふるえる乙女って―― あ、ひょっとして、その格好、『マナ』だ!」
 久谷はびっくりした顔で私を見た。あまりに大きい声で『マナ』って叫ぶものだから、周りの人間が急に私を見た。視線の集中砲火にちょっと申し訳ない気分になる。ダイナマイトボディ、ロリータ顔の『マナ』を想像した方は、さぞや残念ルックスの私である。顔は、平均的地味顔。そして、これでも、日本女性平均よりはやや大きめのDカップであるのだが……二次元でかパイのマナを想像したら、ガッカリだろう。
「山田さん、ギャルゲー、やるの?」
「え? 面白ければ誰でもやると思うけど」
 私の言葉に、久谷は、「意外だなあ」と、おもしろそうに笑った。


「ダメだなあ、久谷さん、エミっちは、とにかく『高級車デート』だって」
 あの日から、私と久谷は共通の『秘密?』を持ったことにより、親しくなった。
 要するに、私と久谷は、かなり重度のゲーマーであった。さすがに、職場で話せる内容ではとてもないので、仕事終わりに、ファーストフードで話す。話す内容は、ほぼゲーム。
 最近は、ほぼ週一で、こうして話している。
――あれから半年。
 久谷のようなイケメンと私がこうしている現状は、まるで私が彼の弱みを握っているかのような気分でもある。ただ、世間にバレて恥ずかしい想いをするのは私の方のような気がしないでもない。
 もっとも。
 ギャルゲーゲーマーにして、オヤジ系OLの私を、久谷は女と思っていないのであろう。二人きりで会っていたところで、話す内容がほぼ、『女の落とし方』とか、『萌え絵』のエロさ加減とか、男と女が話す内容じゃない。
 しかも行く店はレストランどころかアルコールもない店で、色っぽい雰囲気になるとはとても思えない。私も、久谷の前でダブルのバーガー食べるとか、いろいろ女を捨てていると思う。約束をした日でも、私はオシャレをしていない。あくまでも仕事帰りにふらりと友達と出かけるスタイルを貫いている。 
  そうやって、必要以上に『友達』であることを意識して、心が勘違いしないようにしていた。そうしないと、久谷の美形っぷりは、心臓に悪い。
「でもさあ、高級車デートじゃなきゃダメって女の子って、実際にいたら面倒すぎないか?」
 久谷は、首を傾げながらそう言った。職場で見ていても、久谷はモテる。彼なら、車で釣る必要なんてなくて。女は勝手に寄ってくるに違いないとは思う――彼ならゲームより、現実の方がイージーモードであろう。
「高級車じゃなきゃ嫌なんてことは、みんな言わないだろうけど。女の子はシチュエーションと、モノに弱いのよ。だから、手間暇かけて、金掛けて落とすものなのよ」
 久谷はじっと私を見た。その目が厳しい。軽蔑されたのかもしれない。
私は、彼から視線を外し、目の前のハンバーガーに手を伸ばして、ぱくついた。口からはみ出たソースをペロリと舌で舐める。はしたないことこのうえない。
 久谷は、その様子を何も言わずにじっと見ている。完全にあきれているのだろう。
「……手間暇かけて、金掛けて、ね」
 ふうっと息をついてから、久谷は私の言葉を繰り返した。そして、手にしたコーヒーに目を落とした。
「山田さんも、そうなの?」
ぽつり、と呟く久谷の目は、ゲームの話とは思えない真剣なものだ。私の胸がドキリと音を立てた。
「どうだろう。私なんか、どの車が高級かもわからないから」
 私は彼の目を見ないように、そう言った。久谷に真剣な瞳で見つめられると、どうしたって胸が騒ぐ。冷静にならなければ、と、自分に言い聞かせた。
「私、フランス料理食べるより、居酒屋で酒の肴つついている方がいいって思う人種だから、あんまり参考にはならないと思うけど」
「へえ、居酒屋で口説かれたいの?」
 面白そうに、久谷はそう言った。
「……そういうわけじゃないけど」
 私は、首を振った。なんだか、胸がドキドキする。
「どんなふうに告白されたい?」
「夜の街で、抱きしめられて、好きって言われて、それから熱いキスをして……」
「マナちゃんみたいな感じだね」
 ニコリと久谷が笑ったのをみて、かーっと顔が赤くなる。何を真面目に答えているんだ私。
 私は、大きく深呼吸をした。
「私みたいな特殊な女の話を聞いても仕方ないよ。久谷さん、なかなかハイスペックだから。合コンとか行って、実地で何人か釣ってみれば――」
「俺、別に、何人もの女の子と付き合いたいわけじゃない」
 久谷はムッとしたようにそう言った。その態度に、なんとなく、ピンときた。
「久谷さん、ひょっとして、好きな女の子、いるの?」
 私の言葉で久谷は顔を真っ赤にした。図星らしい。
 その表情に胸の奥が苦しくなって、久谷が急に遠く感じられた。そっか。先ほどの質問は、恋愛相談だったわけだ。
 すとん、と、答えが心に落ちてきたようだった。
「だったら……こんなところで、ゲーマー女と、ギャルゲーの話なんかしていちゃダメだよ」
「山田さん?」
 私は、食べ終わったものをトレイに載せた。久谷はキョトンとした顔をして私の顔を見る。
「今日は、『ふるえる乙女3』のアップデート配信があるから、私、帰るわ」
 私はざわつく心に蓋をして、そう言った。
「ちょっと、待ってよ」
 久谷が何か言いたげに口を開いたけど――話をしたら、涙が出そうだった。
「早いとこ、コクっちゃえば? きっとうまくいくよ」
 友達ぶって、無理やり笑って見せて――私は慌てて、店を出たのだった。


 その週末。今日は会社の飲み会である。
 居酒屋『のん兵衛』のお座敷で私はビールをあおった。小さな会社なので、全社員集まって六十人程度。
 そもそも、小さな会社だから、出会いがあるわけでもなんでもない。
 若い女性社員は、勝負とばかりに、セクシーさや可憐さをアピールする服をまとって、お目当ての男性社員のそばに近づこうと必死だ。久谷の周りにも、社内でも綺麗どころの『柳原玲子やなぎはられいこ』と『杉原里美すぎはらさとみ』の二人の女の子が、ぴったりと張り付いている。ちなみに、私は、ほぼビジネススーツ。ブレザーの下は、Ⅴ字のタンクトップ 。胸の谷間がチラ見せ状態で、若干、セクシー仕様ではある。タイトスカートの丈はやや短い。普段着よりはセクシーであるが、これは、周りの女子社員に馬鹿にされない程度のオシャレである。露出は高めだが、そんなもので私に興味を持つ男が増えるものではない。
――やっぱり、久谷さんは、モテるなあ。
 悔しいけど、久谷はやっぱり美形なのである。ゲームじゃなくて、リアルハーレムだってつくれそうだな、と思う。
そばに寄ったら、キャットファイトに巻き込まれそうだ。しかも、完全に負け戦。君子危うきに近寄らず、である。
――まあ、リアルが充実している人間はゲームをしちゃならんという法律はないわけだし。
 私は、しめ鯖を突っつきながら、そんなことを考える。
「おい、山田、相変わらず、雰囲気が親父臭いぞ」
「余計なお世話です。石塚先輩。人の楽しみを邪魔しないでください」
 声をかけてきたのは、三つ上の石塚明いしづかあきら。人懐っこくて、良いひとではあるが、顔が多少残念なため、若い女の子の人気はいまいち。久谷と違って、女の子を落とそうと思ったら、手間暇かけて金掛けて、というのが必要なタイプだろう。ちなみに、石塚は私の指導員だった過去があるせいか、何かと私に構う。
「まあ、そう言わずにのめって」
 石塚は私のコップにビールを注ぎ入れる。
「返杯しますので、先輩もどうぞ」
「そうこなくっちゃ」
 私は石塚のコップにビールを注いで、軽く乾杯をした。
 周囲の喧騒を眺めながら、二人でちびちび飲みながら、酒のつまみをつっつく。二枚目は女の子を侍らせ、綺麗どころの女の子には、若い男が侍るのをなんとなく、二人して眺める。
「モテる男は羨ましいねえ」
 石塚が達観したような口調でそう言った。
 その言葉で、つい、久谷を目で捜したが、いつの間にか、姿が消えていた。早々に誰かをお持ち帰りでもしたのかなあと、ぼんやりと思う。
「先輩、モテないからって、適当なところで妥協しようとか思ってないですよね?」
 私の言葉に、石塚は首をすくめた。
「俺ももう、そこそこ年だから。恋愛ゲームに参加しようとは思わんよ」
「さよーでございますか」
 私は、ふうぅとため息をつく。妥協要員ですらないのかと、ちょっと悲しくなった。どうせ私は攻略対象外女子ですよと内心で呟いて、酒をあおる。もっとも、妥協で付き合えとか言われたら、困るけど。
「さて、そろそろお開きかな」
 石塚がそう言った。周りの人間も帰り支度を始めている。幹事が支払いに行っている最中に、二次会に行く人間を募っているようだ。
「山田は二次会、出るの?」
「そーゆーもんは若いものに任せて、帰ります」
 私は自虐っぽくそう言って、立ち上がった。ゆらりと、身体がふらつく。ドン、と軽く背中が誰かにぶつかった。飲みすぎたかもしれない。
「ご、ごめんなさい」
 私は、ぶつかった相手に身体を支えられたまま、頭を下げた。
「大丈夫?」
 その声に驚いて、慌てて振り返りながら顔を上げると、久谷だった。私は慌てて、身体を離そうとしたが、なぜかがっちり、支えられている。
「あー、山田、飲みすぎだな。俺、送るわ」
 石塚が腰を上げ、私の手を取ろうとした。大丈夫です、と断ろうと思った時。
「必要ないです」
 私じゃなく、久谷が、石塚の言葉を拒絶した。そして、なぜか、石塚の手を久谷が払いのける。石塚の目が驚いたように、私と久谷を見る。『どういうことよ?』と目が言っている。いや、私も意味がわからない。
「俺が、送ります。同期ですし」
「は?」
 なぜ、私を久谷が送る必要があるのだろうか? 酔っぱらいを同期が送るなんて決まりはなかったはずだ。
「いや、私、大丈夫ですから。お二人とも、二次会へどうぞ」
「大丈夫じゃない。そんなにフラフラしていたら、怪我をする」
 怒ったように久谷がそう言った。
「えっと。歩けます」
「歩けてない」
 久谷は、私を酔っぱらいと決めつけて、肩を抱くようにがっちりとフォールドした。身体と身体が密着して、私は息苦しいほど鼓動が早くなった。意識してはいけないと思うものの、顔にどんどん熱が集まってくる。
「はーっ、山田、まあ、狼に気をつけて帰れや」
 何かを諦めたように、石塚は息を吐いて。ニヤリと笑って、ぴらぴらと私に手を振った。

「えっと、私一人で帰れるけど」
 店を出て。私は、久谷にもう一度そう言った。
 私の家は、ここから歩いて十分ほどである。送ってもらうほどのことはないのだ。友達だからと、そこまで心配してくれなくてもいいのに、と思う。
「俺より、石塚さんのほうがいいわけ?」
「は?」
 何を言われているのか、意味がわからなくて、私は首を傾げた。
 よくわからないけれど、久谷が私を送ることは決定らしい。実際、飲みすぎたのは事実だから、彼としては放置できないのだろう。下手に断ろうとすると、あらぬ誤解を受けそうだ。
「久谷さん、本当に二次会いかなくてよかったの?」
 私は、久谷が行かないとわかった時の女の子たちの引きつった顔を思い出す。
「別に行きたくないし」
 ムッとした声で久谷はそう言った。
「俺、送らなかったら、石塚さんと帰るだろ?」
「帰らないけど」
 私の言葉に、久谷は首を振った。彼は私の手を引きながら、夜の街を歩く。信じられないほど、がっちり握られている。迷子にでもなると、思われているのかもしれない。
「飲み直しとか言われて、バーとかに連れて行かれて、最終的に絶対お持ち帰りコースだから」
どこの美女の話だ、と、思わず私は苦笑した。
「……ないと思うケド。石塚さんだって選ぶ権利はあるし」
 取り越し苦労にもほどがあるのじゃないか、と、私は思う。
「その格好、どれだけ男の欲望を誘うか、きちんと理解している?」
 久谷はじろりと、私の胸元に目をやった。まあ、確かに少し、胸の谷間が見えちゃったりはしているけど。
「……誰も、気にしてないって」
 露出が多少高くても、他の女の子に比べたらおとなしい方である。
「俺は気になる……無茶苦茶、君が欲しい。この場で、押し倒したいくらい」
「へ?」
私の家のアパートのそばにつくと、久谷はそう言って、私の身体をグイッと抱き寄せた。
「沙紀……好きだ」
 甘いささやきの後、久谷の唇が、強引に私のそれに重なる。
 意味がわからないまま、激しく、求められて、私はどうしたらいいかわからない。
 唇が離れても、彼は抱擁をやめず、片手で、私の身体を愛撫する。
「……からかわないで」
 私は、慌てて彼の胸から離れなければと、思う。久谷の体温を肌に感じて……心地よさについ委ねたくなる自分を必死で抑える。
「からかってなんかいない。俺、本気だけど」
「だって、私、可愛くない。色っぽくもないもん。久谷さんみたいにカッコイイ男性に好かれる要素ゼロだもの」
 久谷に女性としてカウントされているなんて、あり得ないと思う。
「沙紀は可愛い。胸元とか、太ももとか超エロいんだって。今日、男性社員の視線に視姦されていたの、気が付いてないだろう。俺は気が気じゃなかった」
「そんなこと、あり得ないと思うけど」
 私の感想を無視して、久谷は私のほおをそっと撫でた。
「俺のこと、好き?」
 真剣な久谷の瞳に吸い込まれそうになって。現実味はないまま、自分に嘘がつけなくなって、私は「うん」と頷いた。
「じゃあ、俺、送り狼になるわ」
「え?」
 久谷は、私の身体を抱きしめて。
そして、そのまま激しいキスをした。

 ひょっとしたら。私、チョロインかもしれない。
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