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異国の酒場にて(中編)
しおりを挟む3)
だん!
太った店員は、乱暴に皿を置いた。
そして、はっとしたように見上げるわたしの部下に何事か、強い口調で言った。
何を言っているのかわからないが、明らかに、なじるような口調だった。
怒りの色が、その目にはあった。
もう一度、店員がなにかを言う。
気づくと、店の客たちが皆、話をやめてこちらに注目していた。
酒場の中は静まり返り、聞こえるのは、音質の悪いラジオからの音楽と、そして扇風機の唸る音だけだった。
「なにかまずいことでも……?」
わたしが口を挟むと、店員は、じろりとわたしを睨み、一言吐き捨てて、顔を背け、店の奥に戻っていく。
「なんだか、あの人……かなり、機嫌悪そうだったけど」
わたしの言葉に、部下は、硬い表情で答えた。
「ヤマダさんのせいではありません……わたしが」
店の中をぐるっと見渡す。
わたしたちを見つめていた客たちが、わざとらしく視線をそらした。
「わたしが、あの言葉を口にしたからです」
「あの言葉……? あっ、あの――」
思わず声に出しそうになり、慌てて口を閉じた。
そうか。
――「天罰」いや、この土地の言葉で「パラーレ」、あれは多分、禁忌なのだ。文化的、宗教的に口に出してはならない言葉なのではないだろうか。
「悪かったね」
わたしは部下に詫びた。
元はと言えば、わたしが、きっかけを作ってしまったのだ。
とはいえ、そんな、口に出すことが憚られる単語を、地元の人間である彼が、会話の中でぽろりと口にしてしまうというのも、ずいぶん迂闊な話ではある。ふつう、そんなことがあるのだろうか。なにか釈然としないものが残る。
気まずい雰囲気が漂い、わたしたちは無言で、最後の皿を空にして、そして、残りの酒も飲み干した。
ちょっとしたハプニングはあったものの、やはり、この酒はわたしに合うな、舌に残った酒の粒を感じながら、そんなことを思った。
「さて、そろそろ、戻ろうか?」
「はい……」
頃合いだろう。
わたしたちは勘定をすませて、店を出る。
店の扉が閉まると、路地は真っ暗だ。
店の裏にはジャングルが大きな影のようにのしかかる。
「……すみませんでした、ヤマダさん。いやな気持ちに」
宿舎へと歩きながら、部下が謝ってくる。
「え? いや、ぼくは楽しかったよ。料理も美味しかったな。また、連れてきてね」
「そう言っていただけると、ありがたいですが……」
わたしは心からそういったのだが、彼の顔は浮かないのだった。
4)
天罰――「パラーレ」。
気になって、少し調べてみた。
と言っても、まさか、うかつに他の従業員に尋ねるわけにもいかないだろう。
酒場の店員の怒り顔を思い出すと、気楽に聞くのは躊躇《ためら》われる。
それで、事務所のコンピュータからネットに接続し、検索をかけてみた。
そもそも綴りがわからない。
それらしい綴りを、思いつくままに入れていく。
なかなかヒットしない。
いや、検索に上がってはくるのだが、意味が合わない。
部下は「天罰」といったけれど、検索しても似た意味、関連のありそうな意味が出てこないのだった。
画面に示された意味は、餌、水、虫、などなど……。
どこに「天罰」の意味があるというのか。
しばらくやってみたが、けっきょく求める答えはみつからず、あきらめた。
(これは、やっぱり彼に聞いて見るしかないのかなあ……)
彼にもはやり、あんなことがあった以上、聞きづらいのだが。
それにしても、Kは一体、何をしたというのだろう。
天罰が下るほどのなにか。
いや――。
ふと、別の考えが頭に浮かんだ。
天罰というものは、天が下すものとは限らない。
たとえ人がそれを行ったとしても、それが天罰と見なされることはありうるのではないか。
まさか、恨みを買ったKは、怒った人々によって……。
やめておこう。
これ以上考えると怖いことになる。
わたしは首を振って、その考えを頭から追い払ったのだ。
5)
ここだ。
この店だ。
ようやく辿りついたぞ。
あれからわたしは、なんどか、部下にまたあの店に連れて行ってくれるように頼んだ。日が経っても、あの紫色の酒と、料理の味が忘れられないのだった。
忘れられないどころか、もう一度あれを味わいたいという気持ちが、渇望のように強くなっていく。
ところが、いくら頼んでも、部下は言を濁して、案内してくれない。
そのうちに、というばかりだ。
あんなことがあったから、やはり、わたしを連れていくのは良くないと思い定めたのかも知れなかった。真面目な男だから、ありえなくもない話だ。
はぐらかされ続けて、とうとうわたしは、辛抱しきれなくなってしまった。
連れて行ってもらえないなら、一人で行くまでだ。
そう思い切って、宿舎を出た。
さすがに、夜、暗い中、あの店までひとりで行くのは不安だったので、休みの日の午後に出かけた。
あの日の記憶を頼りに、大通り(と言っても、車がやっとすれ違えるくらいの幅しかないのだが)から、路地に入っていく。
ぐねぐねと曲がる路地を進む。
鬱蒼としたジャングルの木々が、向こうにわだかまっているから、方向はそんなに間違っていないだろうと思う。
ぬかるんだ路地の泥が乾燥して、生臭い臭いをかもしだす。
強い陽の光にさらされた、路地の家々は、その粗末さが明らかだった。
まるで廃屋だ。
わたしが廃屋を連想したのは、建物のボロさだけからではなかった。
路地が、ひっそりと静まっているのだ。
人々はどこにいるのか。
働きにでているのだろうか、それにしてもひと気がない。
誰もいない路地を歩いて行く。
汗がダラダラと流れ、わたしの服はぐっしょりと濡れてきた。
なんだか頭もぼうっとしてきて、風景が歪む。
いや、風景がユラユラ揺れて見えるのは、熱された地面から立ちのぼる水蒸気のせいだろうか。
そして、わたしはやっと、それらしい店にたどり着いたのだった。
だが、そこでわたしは、いかに自分が間抜けかに気づいた。
店には営業時間というものがあるだろう。
このひと気の無さから言って、今、店は営業していないのではないか?
この酒場通りは、平日の夜だけ、仕事を終えて酒を飲みにくる客のために開けている店なのではないか。
それなら、こんなふうに、辺りにだれも人がいないのもうなずける。
意気込んで、がんばって来てはみたものの、なんでそんな基本的なことに気がつかない。
自分はなにをやってるんだ……。
途方に暮れてしまった。
たぶんここだと思う店の前で、しばらくぼうっとたたずんでいた。
そうしていても、店の中からは、まったく人の気配がしてこない。
やっぱり夜だけの店なんだな……。
きびすをかえそうとしたが、それでもせっかく来たのだからと思い直した。
暑い中を歩いて、喉もカラカラだ。
せめて、なにか飲み物だけでも。
立て付けの悪い、傾いた扉に手をかける。
そっと引くと――開いた。
鍵がかかっていなかった。
戸口に立って、中の様子をうかがう。
日差しのふりそそぐ戸外からは、暗い店の中の様子はまったくわからない。
「Ola……」
これだけは覚えた、土地のあいさつの言葉で、呼びかけてみた。
応えはない。
「……Ola?」
もういちど声に出し、中をのぞきこむ。
店の中で、なにかが動いた。
だれかいるのか?
怖じ気づいて、身を引こうとしたが、遅かった。
「うわっ!?」
何者かが、いきなりわたしの手をつかみ、すごい力でぐいとひいて、わたしは抵抗もできず店の中にひきずりこまれた。
異国の酒場にて(後編)に続く
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