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それにしても。めっちゃ、キメキメなのに残念感が半端なくて……笑ったらいけないって思えば思うほど腹筋がひくひくしてヤバかった。シミの原因を作った私が笑うわけにいかない。とにかくうつむいて堪えていると、
〈うわ、事務課の柳課長……〉
〈可哀想。一度目をつけられるとねちっこいんだよね、あの人……〉
というひそひそ声が聞こえてきた。(あっ。この人、丸山さんの愚痴ってた上司なんだ!)って、私思った。同時に、久しぶりに会った同期は私を見捨ててさっさとトンズラしたのだと悟った。
ほんと、私って運が悪い……。
何も言えないでいる私にさらに怒りが増幅したのか、
「キミッ、僕のスーツが汚れちゃったじゃないかッ、一体どうしてくれるんだッ」
っていう怒鳴り声が降ってきた。その声の鋭さったら! 思わずヒイッて小さい悲鳴をあげちゃったくらい怖かった。
社食中ピンと静まり返って、空気が凍りついている。
みんながこちらを注視しているのがわかって、恥ずかしいし怖いしで私はすっかり固まっていた。すると、
「あらあら、大変」
と、ひときわ明るく装った声が響いた。柳課長の後ろからきた女性が発した声だった。柳課長より歳上、多分五十代半ばに見えた。白髪混じりのショートヘアにパンツスーツ。柔和な印象の中にキリッとしたものを感じさせる女性。なんとなく見覚えがあるような内容な……誰だっけ? とにかく助け舟が入ったらしい。彼女は私に近寄ってくると、
「あなた、大丈夫? まあ、こんなに汚れてしまって」
と言いながら、テキパキと周りにいる人たちにタオルと雑巾を借りてこさせ、自らも床を拭こうとする。私は慌ててそれを押しとどめた。この状況にたった一人助け舟に入ってくれたこの女性は、多分役職者。ペーペーの私がボーッと見てるってわけにいかない。だから、
「あっ、いいです。私、拭きますからっ」
って、言ったんだけど……。
「いいから。それよりも着替えはあるの?」
って、雑巾を受け取ろうとした手をやんわり拒絶されてしまった。心から心配してくれてるって感じの問いかけに、感謝より戸惑いが上回る私って素直じゃない、かな?
会社に替えのスーツを置くっていう発想が私にそもそもなかったから、戸惑ったっていうのもあるんだけど。
そんな私の様子に軽くため息を吐いた彼女は、あろうことか柳課長に、
「柳さん、悪いけどここきれいにしておいて」
と、雑巾を押し付け、私の手を取った。
「え! そんな……私が拭きますからっ」
だって、マズイでしょ。柳課長に床を拭けって……すごく怒ってるんだよ? この女性は良くても私は良くない。後日嫌がらせとかされても困るから。
手を振り解くのは失礼な気がして、でも柳課長から雑巾を取りもどすにはそうするしかない私は、女性と柳課長と雑巾と、ただただ視線を彷徨わせた。そしたら、しゃがんで床を拭いていた柳課長が顔を上げ私を見た。
「いいんだよ、キミ。私も怒鳴ってすまなかった。せっかく専務がこうおっしゃっているのだから行きなさい」
明らかに取り繕った感満載の猫撫で声。咄嗟に柳課長から視線を外したから表情まではわからない。ただ、思わず背筋が薄寒くなったのは気のせいじゃない。その時、
「専務、こちらにいらしたのですか。午後イチで取引先との会議が控えておりますのに」
と言いながら小走りで近寄ってきたのは、レンだった。
彼女はひと目で状況を悟ったのか、
「柳課長、私が代わりにいたします」
と言った。しかし、女性……じゃなくて専務は首を横に振って私の方を見た。
「いえ、彼女の面倒をお願い」
と言われたレン、表情は変えなかったけど、私には彼女が目の奥で火花を散らせたのがわかった。(自分の面倒すら自分でみれないの?)と心の中で私のこと馬鹿にしてるのが見え見え。思わず下唇を突き出しかけたけど、我慢した。専務は私のことを気の毒がって、レンに私を預けようとしてるんだ。明らかに嫌味を言われてもいないのに喧嘩をふっかけたりしないわよ。社会人だもんね、私。
「準備はしっかりやってもらってあるから、大丈夫よ」
と専務に腕を軽く叩かれてレンは美しい頬を紅潮させた。私に向けた蔑みは一切消してレンは使命を与えられたよろこびに顔を輝かせて首肯した。
「専務がそうおっしゃるのでしたら」
(ふっ、ふっ、ふっ。しっかり面倒みてもらおーじゃないの)
社食を出ていく専務を見送る蓮の顔を覗き込んでニヤニヤしてたら、レンが私にぎりぎり聞こえるボリュームで、ちっ、と舌打ちした。
〈うわ、事務課の柳課長……〉
〈可哀想。一度目をつけられるとねちっこいんだよね、あの人……〉
というひそひそ声が聞こえてきた。(あっ。この人、丸山さんの愚痴ってた上司なんだ!)って、私思った。同時に、久しぶりに会った同期は私を見捨ててさっさとトンズラしたのだと悟った。
ほんと、私って運が悪い……。
何も言えないでいる私にさらに怒りが増幅したのか、
「キミッ、僕のスーツが汚れちゃったじゃないかッ、一体どうしてくれるんだッ」
っていう怒鳴り声が降ってきた。その声の鋭さったら! 思わずヒイッて小さい悲鳴をあげちゃったくらい怖かった。
社食中ピンと静まり返って、空気が凍りついている。
みんながこちらを注視しているのがわかって、恥ずかしいし怖いしで私はすっかり固まっていた。すると、
「あらあら、大変」
と、ひときわ明るく装った声が響いた。柳課長の後ろからきた女性が発した声だった。柳課長より歳上、多分五十代半ばに見えた。白髪混じりのショートヘアにパンツスーツ。柔和な印象の中にキリッとしたものを感じさせる女性。なんとなく見覚えがあるような内容な……誰だっけ? とにかく助け舟が入ったらしい。彼女は私に近寄ってくると、
「あなた、大丈夫? まあ、こんなに汚れてしまって」
と言いながら、テキパキと周りにいる人たちにタオルと雑巾を借りてこさせ、自らも床を拭こうとする。私は慌ててそれを押しとどめた。この状況にたった一人助け舟に入ってくれたこの女性は、多分役職者。ペーペーの私がボーッと見てるってわけにいかない。だから、
「あっ、いいです。私、拭きますからっ」
って、言ったんだけど……。
「いいから。それよりも着替えはあるの?」
って、雑巾を受け取ろうとした手をやんわり拒絶されてしまった。心から心配してくれてるって感じの問いかけに、感謝より戸惑いが上回る私って素直じゃない、かな?
会社に替えのスーツを置くっていう発想が私にそもそもなかったから、戸惑ったっていうのもあるんだけど。
そんな私の様子に軽くため息を吐いた彼女は、あろうことか柳課長に、
「柳さん、悪いけどここきれいにしておいて」
と、雑巾を押し付け、私の手を取った。
「え! そんな……私が拭きますからっ」
だって、マズイでしょ。柳課長に床を拭けって……すごく怒ってるんだよ? この女性は良くても私は良くない。後日嫌がらせとかされても困るから。
手を振り解くのは失礼な気がして、でも柳課長から雑巾を取りもどすにはそうするしかない私は、女性と柳課長と雑巾と、ただただ視線を彷徨わせた。そしたら、しゃがんで床を拭いていた柳課長が顔を上げ私を見た。
「いいんだよ、キミ。私も怒鳴ってすまなかった。せっかく専務がこうおっしゃっているのだから行きなさい」
明らかに取り繕った感満載の猫撫で声。咄嗟に柳課長から視線を外したから表情まではわからない。ただ、思わず背筋が薄寒くなったのは気のせいじゃない。その時、
「専務、こちらにいらしたのですか。午後イチで取引先との会議が控えておりますのに」
と言いながら小走りで近寄ってきたのは、レンだった。
彼女はひと目で状況を悟ったのか、
「柳課長、私が代わりにいたします」
と言った。しかし、女性……じゃなくて専務は首を横に振って私の方を見た。
「いえ、彼女の面倒をお願い」
と言われたレン、表情は変えなかったけど、私には彼女が目の奥で火花を散らせたのがわかった。(自分の面倒すら自分でみれないの?)と心の中で私のこと馬鹿にしてるのが見え見え。思わず下唇を突き出しかけたけど、我慢した。専務は私のことを気の毒がって、レンに私を預けようとしてるんだ。明らかに嫌味を言われてもいないのに喧嘩をふっかけたりしないわよ。社会人だもんね、私。
「準備はしっかりやってもらってあるから、大丈夫よ」
と専務に腕を軽く叩かれてレンは美しい頬を紅潮させた。私に向けた蔑みは一切消してレンは使命を与えられたよろこびに顔を輝かせて首肯した。
「専務がそうおっしゃるのでしたら」
(ふっ、ふっ、ふっ。しっかり面倒みてもらおーじゃないの)
社食を出ていく専務を見送る蓮の顔を覗き込んでニヤニヤしてたら、レンが私にぎりぎり聞こえるボリュームで、ちっ、と舌打ちした。
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