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関係なくないのですよ
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「見て。婚約者に捨てられた公女様ですわ。あなた話しかけに行ってみては?」
「ご冗談を。それにしても勇敢ですわね、わたくしだったらもうこの場にいられないわ。…婚約者の手綱も握ることもできないなんて…」
「ええ、まったくですわ。恥ずかしいったら…」
好き勝手に話す令嬢たちを横目に、アンナは料理に舌鼓を打っていた。国王が主催しているだけに、一級品ばかりが並んでいる。人間の作り出す料理はなんとかぐわしいことか。いつの世も料理のおいしさだけは変わらないな、とフォークを持つ手は止まらなかった。
「見ろ。まるで豚のようではないか」
そんな至高の時間に水を差す輩がひとり。悲しいかな、彼は成人になってもなお子供っぽさを残した人間であった。
「…。王太子殿下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌うる、」
「あーあー、うるさい。もう黙れ。お前の声なんぞ聞きたくない」
「…」
「殿下ぁ~、怖いですわぁ。ネリィ、何をされるかわからないですもの」
「安心するといい。この俺が、公爵令嬢ごときには何もさせないから」
猫なで声と驚くほど優しげな声が聞こえる。あいさつで頭を下げたままのアンナにはその顔を見ることはかなわないが、きっと二人とも幸せそうに笑みを浮かべていることだろう。
公爵令嬢ごとき、とはいうが、その生まれからも王太子の婚約者であることからも王太后に次いでこの国で二番目に地位の高い女性がアンナである。王太子に礼を示すためとはいえ、その横にあずかり知らぬ令嬢がいることは望ましくない。貴族社会というのは秩序とバランスによって成り立っているのだ。それが崩れた時に何が起こるかなど、深く考えずともわかるはずだが、いずれその秩序の上に立つヴィシャールには、どうやらわからないようだった。
「殿下。そのお方は?」
「お前には関係ない」
「関係ありますわ。どなたです? どうやら娼婦ではないようですが」
「なっ…無礼にもほどがあるぞ!」
「では、どなたですか? 今までその方は挨拶どころか、お見掛けすらしていないのです。殿下の婚約者として、愛妾を許さぬほど狭量ではございませんが、知ってはおくべきでございましょう?」
「ひどいっ! わたくしが下位貴族だからってバカにしているんですね?!」
わっと声を上げて令嬢は泣き出した。19歳のヴィシャールが連れる女性だ。おそらく同じほどの年齢であろう。しかし、その姿はデビュタントを迎えたアンナよりも幼い印象を周囲に与えた。そんな令嬢を連れるとは、と殿下を非難する声も聞こえてくる。残念ながらヴィシャールの耳には届いていないようだった。
「殿下。お教えくださいますか?」
「くどい! お前には関係ないと言っているではないか!」
「ですから、関係なくないのですよ。わたくしは殿下の婚約者ですから。…そちらの方。お名前をなんと言いますの?」
肩を震わせ、涙を流す令嬢は、顔を覆う指の間からアンナを睨みつける。ようやくアンナの瞳に映った令嬢の姿は嫉妬そのものだった。
「うっうっ…、ネリアン・ポアルドですわ。お願いですから、わたくしを虐めるのをやめてください!!」
「ポアルド…」
聞いたことがなかった。分厚い貴族名鑑でも見かけたことすらない。よもや貴族ですらないのかとアンナは首をかしげる。
「おい、無視するな!」
「…殿下。この方を愛妾に?」
「何を言うか! 側妃だ! 言っておくがな、俺はお前を愛するつもりはない! 妻として遇するつもりもない! 俺の本当の妻はネリアンであり、お前はお飾りに過ぎん。そこをしっかり覚えておけ!」
「…」
この人間はこれほどまでに愚かだっただろうか。アンナは自らの目を疑った。国中の貴族が集まる夜会の中心で、しかも国王の御前での『飾りの妻』宣言。それは自殺行為とも捉えられる行為である。国王というのは貴族がいてこそ成り立つ。王侯貴族は平民がいてこそ成り立つ。その原理を覆さんばかりの宣言を口にし、当の本人は誇らしげに胸を張っている。
「筆頭公爵家が娘の私を、そのように言う意図をお聞かせくださいませ」
「そういうところだ!」
「…はい?」
「お前は生まれた家門が高位貴族だったというだけだろう。なのに偉そうに俺に意見する。それが気に食わないと言っているんだ! 人は生まれで評価されるべきではない! だから下位貴族の生まれだからと、側妃に似合わないとネリアンを虐めるのはやめろ! 愚行だぞ!」
「…」
開いた口がふさがらない、とはこのことを言うのだなとアンナは心の中で納得していた。
ヴィシャールは己がどれだけ忖度されているのかを知らないのだろう。その言い分はほぼすべてがぐるっと回ってヴィシャール自身のことを指していて、しかも、人間は生まれながらに平等と理解されかねない言動である。高位貴族であればあるほどその思想を否定するものだ。それを傍観している国王の姿が不思議でたまらなかった。
『生物はみな同じよ。どうして身分をつくるの?』
かつて情を分けた初代国王の男に、純粋な気持ちで聞いたことがある。男は笑ってこう答えた。
『早く発展するためには効率が必要なんだ。効率には統率者が必要だろう? これは発展途中だと仕方ないんだ。早く生活を安定させるべきだからね』
『じゃあ、生活が安定して、国が安定した時にみなは同じになるのかしら?』
『ああ。もちろんだ』
なるほど、とアンナは目を閉じた。これは変革なのだ。根付いた貴族制度を撤廃するには、これくらいの起爆剤が必要になるのだろう。ならばそれに乗るべきか…。
ふと国王との話から戻ったフリオの方を見、視線を投げたアンナは頷く父親の姿を見た。アンナに任せる、そういう意味だと理解し、再びヴィシャールを見据える。
「殿下。その志、しかとお聞きしましたわ。ですが、そのようなことは事前に言っていただけると、このように混乱を招かず済むというものです」
「何?」
「周りをご覧くださいませ。貴族たちが困惑しておりますわ」
ヴィシャールの言動が何を差すのか、分かっている者とそうでない者とが半々であろう。この先のヴィシャールの言動には、彼を支持する者たちの期待がひそかに寄せられていた。
周囲を見渡したヴィシャールはようやく自分がどんな位置にいるのかを理解したらしい。ふん、と鼻を鳴らした。
「ふん、どうとでも言っていればいい。俺を支持する者がいる限り、お前には何の権限もやらん。覚えておけ。…行こう、ネリィ」
「はいっ、ヴィシャール殿下っ!」
エリアンの腰を抱き、ヴィシャールは背を向けてその場を離れていった。ざわめく会場のど真ん中にアンナを残して。
次期国王の少年は、その場を正しく読めないほどに身勝手で馬鹿であった。
「ご冗談を。それにしても勇敢ですわね、わたくしだったらもうこの場にいられないわ。…婚約者の手綱も握ることもできないなんて…」
「ええ、まったくですわ。恥ずかしいったら…」
好き勝手に話す令嬢たちを横目に、アンナは料理に舌鼓を打っていた。国王が主催しているだけに、一級品ばかりが並んでいる。人間の作り出す料理はなんとかぐわしいことか。いつの世も料理のおいしさだけは変わらないな、とフォークを持つ手は止まらなかった。
「見ろ。まるで豚のようではないか」
そんな至高の時間に水を差す輩がひとり。悲しいかな、彼は成人になってもなお子供っぽさを残した人間であった。
「…。王太子殿下にご挨拶を申し上げます。ご機嫌うる、」
「あーあー、うるさい。もう黙れ。お前の声なんぞ聞きたくない」
「…」
「殿下ぁ~、怖いですわぁ。ネリィ、何をされるかわからないですもの」
「安心するといい。この俺が、公爵令嬢ごときには何もさせないから」
猫なで声と驚くほど優しげな声が聞こえる。あいさつで頭を下げたままのアンナにはその顔を見ることはかなわないが、きっと二人とも幸せそうに笑みを浮かべていることだろう。
公爵令嬢ごとき、とはいうが、その生まれからも王太子の婚約者であることからも王太后に次いでこの国で二番目に地位の高い女性がアンナである。王太子に礼を示すためとはいえ、その横にあずかり知らぬ令嬢がいることは望ましくない。貴族社会というのは秩序とバランスによって成り立っているのだ。それが崩れた時に何が起こるかなど、深く考えずともわかるはずだが、いずれその秩序の上に立つヴィシャールには、どうやらわからないようだった。
「殿下。そのお方は?」
「お前には関係ない」
「関係ありますわ。どなたです? どうやら娼婦ではないようですが」
「なっ…無礼にもほどがあるぞ!」
「では、どなたですか? 今までその方は挨拶どころか、お見掛けすらしていないのです。殿下の婚約者として、愛妾を許さぬほど狭量ではございませんが、知ってはおくべきでございましょう?」
「ひどいっ! わたくしが下位貴族だからってバカにしているんですね?!」
わっと声を上げて令嬢は泣き出した。19歳のヴィシャールが連れる女性だ。おそらく同じほどの年齢であろう。しかし、その姿はデビュタントを迎えたアンナよりも幼い印象を周囲に与えた。そんな令嬢を連れるとは、と殿下を非難する声も聞こえてくる。残念ながらヴィシャールの耳には届いていないようだった。
「殿下。お教えくださいますか?」
「くどい! お前には関係ないと言っているではないか!」
「ですから、関係なくないのですよ。わたくしは殿下の婚約者ですから。…そちらの方。お名前をなんと言いますの?」
肩を震わせ、涙を流す令嬢は、顔を覆う指の間からアンナを睨みつける。ようやくアンナの瞳に映った令嬢の姿は嫉妬そのものだった。
「うっうっ…、ネリアン・ポアルドですわ。お願いですから、わたくしを虐めるのをやめてください!!」
「ポアルド…」
聞いたことがなかった。分厚い貴族名鑑でも見かけたことすらない。よもや貴族ですらないのかとアンナは首をかしげる。
「おい、無視するな!」
「…殿下。この方を愛妾に?」
「何を言うか! 側妃だ! 言っておくがな、俺はお前を愛するつもりはない! 妻として遇するつもりもない! 俺の本当の妻はネリアンであり、お前はお飾りに過ぎん。そこをしっかり覚えておけ!」
「…」
この人間はこれほどまでに愚かだっただろうか。アンナは自らの目を疑った。国中の貴族が集まる夜会の中心で、しかも国王の御前での『飾りの妻』宣言。それは自殺行為とも捉えられる行為である。国王というのは貴族がいてこそ成り立つ。王侯貴族は平民がいてこそ成り立つ。その原理を覆さんばかりの宣言を口にし、当の本人は誇らしげに胸を張っている。
「筆頭公爵家が娘の私を、そのように言う意図をお聞かせくださいませ」
「そういうところだ!」
「…はい?」
「お前は生まれた家門が高位貴族だったというだけだろう。なのに偉そうに俺に意見する。それが気に食わないと言っているんだ! 人は生まれで評価されるべきではない! だから下位貴族の生まれだからと、側妃に似合わないとネリアンを虐めるのはやめろ! 愚行だぞ!」
「…」
開いた口がふさがらない、とはこのことを言うのだなとアンナは心の中で納得していた。
ヴィシャールは己がどれだけ忖度されているのかを知らないのだろう。その言い分はほぼすべてがぐるっと回ってヴィシャール自身のことを指していて、しかも、人間は生まれながらに平等と理解されかねない言動である。高位貴族であればあるほどその思想を否定するものだ。それを傍観している国王の姿が不思議でたまらなかった。
『生物はみな同じよ。どうして身分をつくるの?』
かつて情を分けた初代国王の男に、純粋な気持ちで聞いたことがある。男は笑ってこう答えた。
『早く発展するためには効率が必要なんだ。効率には統率者が必要だろう? これは発展途中だと仕方ないんだ。早く生活を安定させるべきだからね』
『じゃあ、生活が安定して、国が安定した時にみなは同じになるのかしら?』
『ああ。もちろんだ』
なるほど、とアンナは目を閉じた。これは変革なのだ。根付いた貴族制度を撤廃するには、これくらいの起爆剤が必要になるのだろう。ならばそれに乗るべきか…。
ふと国王との話から戻ったフリオの方を見、視線を投げたアンナは頷く父親の姿を見た。アンナに任せる、そういう意味だと理解し、再びヴィシャールを見据える。
「殿下。その志、しかとお聞きしましたわ。ですが、そのようなことは事前に言っていただけると、このように混乱を招かず済むというものです」
「何?」
「周りをご覧くださいませ。貴族たちが困惑しておりますわ」
ヴィシャールの言動が何を差すのか、分かっている者とそうでない者とが半々であろう。この先のヴィシャールの言動には、彼を支持する者たちの期待がひそかに寄せられていた。
周囲を見渡したヴィシャールはようやく自分がどんな位置にいるのかを理解したらしい。ふん、と鼻を鳴らした。
「ふん、どうとでも言っていればいい。俺を支持する者がいる限り、お前には何の権限もやらん。覚えておけ。…行こう、ネリィ」
「はいっ、ヴィシャール殿下っ!」
エリアンの腰を抱き、ヴィシャールは背を向けてその場を離れていった。ざわめく会場のど真ん中にアンナを残して。
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