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#5-②

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「はーい、あ、五番テーブルの方、今日のスープをご注文です!」
「あいよ。シェン、それ運んだら休憩に行っていいからね。賄いを置いてるよ!」

 にっこりと笑って「ありがとう」と言うシェンことアーシェンは、見事に町娘然としていた。幼いころから整えられていたその美貌だけは隠しきれてはいなかったが。

 病で枕も上がらないと噂を流し、部屋にこもっているかのように細工し始めてはや一か月。ようやくパルテン王国の議会にアーシェンの現状についての議題が上がったと聞いてため息を隠すのは難しかった。いくら何でも遅すぎるというものだろう。その分準備や情報収集はやりやすかった。よもや自分は泳がされているのではないかと疑って探りを入れたこともあったが見事に杞憂だった。

 今日の賄は、この酒場の女将のチャーハンだ。毎日毎日食べたことのない、平民の料理にアーシェンは舌鼓を打つ。その中でも一番好きなチャーハンをアーシェンは口いっぱいに頬張った。そうしながらも意識はフロアの客の話に向ける。料理を堪能しているだけのように見せながらもアーシェンは有益な情報はないものかと耳を澄ませた。

 この酒場はここらで一番大きな酒場で、ともすると人も情報も集まる。接客していると探りを入れなくても客の方から話してくれることもある。なにより酒の入った状態の人間が、気の置けない人と話す内容には宝石の原石のような情報がごろごろと転がっているものだ。

「…で? その女は?」
「いやぁ…それがな? 生まれてから不自由ない暮らしをしてきた貴族のくせに市井で働いててよ」
「没落したのか? 最近はそんな話聞かねぇけどな…」
「貴族が働いているとしても没落とは限らないだろうよ。そうだな…たとえば、」

 聞いたことのある声。癪に障る話し方。該当する人物は一人しかいない。

「お客様! 少々お話がございます!!」

 歯を見せて笑う男に声をかける。「俺はないね」

「私はあるんです! こちらに来てもらえます?」
「…モテる男はつらいねぇ?」向かいに座る男が言った。
「そんなんじゃありません」「んなことねぇよ」

 同時に口にした二人に男はククッと喉を鳴らし、お邪魔虫は消えようかねと銅貨を二枚置いてさっさと出て行った。残された男に、アーシェンはため息をつく。

「何をしたいのですか、あなたは。私の邪魔をしないって、お話では?」
「そんなこと言ったか? お前の気のせいだろ」
「約束を違える不誠実な男は嫌われますよ。それと、その話し方似合いませんね」
「ほっ…といてくれ。…好きな人に嫌われなきゃそれでいい。実際、こうして嫌われてはないようだしな」
「さあ? どうでしょうね」
「それよりいいのか? お前の部屋に王医が呼ばれたらしいぞ?」

 ビールをあおる男は、そのなりからは到底わからないがこの国の第二王子本人だった。一か月近く前、完璧とも自負していた町娘の変装がその初日に、同じように平民の装いで酒場に来ていたカミールにばれてしまっている。

 警戒心が極限に達したの猫のように睨みをきかせていたカミールは、深窓の姫君で自分では何もできない女と思っていたアーシェン本人がそこにいることが信じられなかった。しかし、一度見た人間の顔を忘れることはないし、間違いないと確信してしまえばなぜそこにいるのか、気になって仕方ない。

 女将に頼んでアーシェンを店の上の部屋に呼んでもらい、聞いた。


『国を知るにはその市井が一番顕著である』


 驚くべきことに、まったく同じ考えで二人は市井で変装までしていたのだ。それを知ったカミールはある種の親近感を覚えた。

 それからというもの、毎晩のように酒場に訪れてはアーシェン扮するシェンをからかう日々。公爵令嬢だとわかる人はいないだろうが、それでもどこかの貴族のお嬢様ではと疑われるか否かのぎりぎりを攻めてくるのだ。ばれるのも時間の問題だろう。そう思っているアーシェンは、実際そこにいるほとんどの客の中で家出してきた令嬢というのが暗黙の了解になっていることなど、知る由もない。

 場末に近く、それでいてすぐにでも王都中央に戻りやすい立地の酒場周辺には、なにがしかの事情を抱えた令嬢が降りてくるなど日常茶飯事だった。

「王医? 女医ではなく?」
「いや、おそらく女性ではあるだろうが…」

 帰った男の座っていたところにアーシェンは腰を下ろす。呆れを込めて盛大にため息をついた。

「何というか…正直すぎるというか…。今更王医を用意したってことは私の体調不良を利用しようという魂胆でしょうか。さらに薬代などと名目をつけて帝国に報告しようものなら開いた口がふさがらないというものですね。ここまで裏表がないと逆に何かしらの思惑があるのかと勘ぐってしまうのも無理ないでしょうけど、杞憂になりそうですわ」
「まったくだ。血がつながっているのが恥ずかしいぐらい、と言いたいところだが実際それは覆らない…。とにかく身代わりはしっかりしているのか?」
「そこはもちろん。けれど、いったん帰らないといけないかもしれませんね」
「そうか」

 微妙に柔らかくなったその表情は、僅かな変化に過ぎなかったが安堵しているように思えた。はて、何に安堵したのだろう、とアーシェンは首をかしげる。

「ところでずっと聞きたかったのですけれど」
「…なんだ?」
「どうして甘んじているのです?」向かいに座るアーシェンの顏は、気高い公爵令嬢のそれだった。

 ごくりと唾を嚥下したカミールは息をのむ。化粧もそこそこに髪も適当に結んだだけのはずなのにそこにいる女性が、この世の者であることを疑わずにはいられないほどに美しかった。

「甘んじる…?」
「はい。言い方を変えるなら、逃避でしょうか」
「…」

 噂にあるようなどうしようもないはどこにもいない。それどころか、第二王子カミールは少し話しただけでもわかるくらいに聡明で頭の回転が速い。様々な教育を受けてきたアーシェンでさえも緊張するほどである。

 むしろ、王太子である第一王子の方が噂のそれに近いとアーシェンは思っていた。王都の市井には、その真偽は定かでない貴族の噂が飛び回る。それは年々重くなる税にあえぐ民のガス抜きの役割を担っていた。とはいえ、火のないところに煙は立たない。少なからず的を射た噂ばかりなのだ。

「わたくしがこちらに来る前に聞いていたあなたについてのお話は、まるっとすべてお兄様のことではないのですか。…かような場所ですから、敬称は省かせていただきますね」
「…」
「当事者を入れ替えるなんて、手間がかかる上に否定されるリスクの方が高い。逆に言えば、入れ替えに使われた方は否定がしやすい。新たに民の気を引く情報を流すでも、箝口令を敷いたうえで実は、などと複数人でこっそり話せばいい。それをなぜあなたはしなかったのですか?」
「…」

 黙ったままのカミールは静かにグラスを傾けた。ぬるくなった酒が喉を流れていく。

 しばらくの沈黙は決意のため息に破られた。

「きみは、家族に殺意を持ったことはあるか」
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