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一年生・冬の章
がんばってね
しおりを挟む「……」
早朝になり目を覚ましたフィンは、隣にリヒトが寝ていないことを確認するとこっそりと執務室を覗きに行く。
扉は僅かに開いており、少しだけ覗くとそこではかなり集中して仕事をしているリヒトの姿があった。
「(ずっと寝ないでお仕事してるのかな)」
フィンはそのまま足音を立てず、邪魔にならないようにその場を離れるとシャワーを浴びに行った。
一方のリヒトは、とある一文の解釈にかなり手を焼いていた様子で大きな溜息を吐き珍しく頭を悩ませていた。
「この一文が、後半の解釈を大きく変える……」
帝国式古典語は世界で最も文法が多く、一つの文字で何通りもの読み方をするものも少なくない。どれを選択するかで読み方が大きく異なり意味合いも変わってくるため、リヒトはそれ以上進めることが出来なかった。
一旦ペンを置くと、緊張の糸が一旦切れてどっと眠気に襲われる。
「(一旦寝るか)」
仮眠を取るため、執務室にあるソファーに横たわったリヒトは目を閉じ睡眠をとりはじめた。
それから数十分後、シャワーを浴び終えたフィンはミスティルティンの制服に着替え準備を整えると、アネモネが用意した朝ごはんを一人で黙々と食べる。
今日はオープンからのシフトのため、あと30分後には家を出なければならなかった。
「(リヒト、朝ごはん食べないのかなあ)」
フィンは食事を終えてからもう一度執務室を覗くと、ソファーで仮眠を取るリヒトを確認する。
「あれ、寝てる……?」
フィンはそっと執務室に入りリヒトの寝顔を確認すると、ふと机の上の紙が目に入り興味本意で覗き込んだ。
紙にびっしりと書かれた帝国古代語と、別の用紙に書かれた均整のあるリヒトの字。
「(帝国古代語だ!これを翻訳するお仕事なのかな?勝手に見ていいのかな……)」
フィンはまじまじとリヒトの翻訳を眺めていたが、ある一文で翻訳が止まっていることに気付く。そこにはペンを何度も押し当てたような跡が残っており、フィンは思わず首を傾げその文を眺めた。
「(この一文で迷ってる、のかな?)」
ミスティルティンに置かれている貸出不可の書物“帝国古代語講座”の初級、中級、上級を何故か読破していたフィンは、ペンを借り真っ白な紙を拝借して、サラサラと詰まることなく文字を書いていく。
悩むこと数十分。脳内に残るありとあらゆる文法を当てはめていくことを繰り返し、自分の納得のいく答えを見つけるとパッと笑みを浮かべた。
「(この文章は、”この時、赤色に光った場合はすぐさま青い炎を用いて三分反応を繰り返す。その際は混ぜてはならない”……に見えるけど、最後に否定を意味する単語がないからどっちにかかるか分からない。でもこの文法なら)」
フィンはサラサラとペンを書き進めていくと、一度見直し大きく何度か頷く。
「よしっ」
フィンはふと時計を見ると、ミスティルティンに向かうため書き置きを残して物音を立てぬようにゆっくりと机から離れる。去り際にリヒトの寝顔を見ると、目を細め優しく微笑んだ。
「がんばってね、リヒト」
フィンは囁くような声でそう言ってリヒトの額に口付けをすると、そのまま部屋を後にした。
-----------------------------------------------
「ん……」
目を覚ましたリヒトは、時計を確認すると気怠そうに上体を起こし首を鳴らして立ち上がる。30分だけ寝るつもりが、予想以上に疲労が溜まっていたのか1時間も寝てしまっていたため、その分を取り返そうと再び髪をくくり椅子に座った。
「?」
フィンが残した紙を見つけたリヒトはそれを手に取り眺める。柔らかく綺麗な文字を見ると、フィンの筆跡だとすぐに気付き一気に眠気が飛んだ。
「フィン」
リヒトは驚いた表情でそのメモを食い入るように眺めると、原文を確認し再びメモを見ることを繰り返した。
「これは」
自分が寝ている間に、フィンが興味本位で書類を見て厄介な一文を翻訳したことに気付いたリヒト。
数時間も悩み何パターンも翻訳をして可能性を一つ一つ潰していったリヒトだが、おそらくフィンは脳内でそれを素早く行ったのであろう。
「さすがフィンだ……本物の天才だな」
これまで天才や神童だと周囲から言われ崇められてきたリヒトだが、フィンを目の前にすると自分は凡人に過ぎない。本当の天才というのはこういうことだなとリヒトは小さく笑った。
リヒトはペンを取ると、迷いなく翻訳をし始める。
フィンのメモにはこう書かれていた。
“文章の最後ではなく、文章の間に否定分が入っている場合、後ろの文章に二重の肯定文があればその前の文章も二重の否定文となる。これは三つある否定分のうち、「iraë」が過去に二回以上使用された場合に適用される“
「つまり、”この時、赤色に光らない場合はすぐさま青い炎を用いて三分反応を繰り返す。その際は混ぜなければならない”、になるということか」
リヒトはフィンのヒントを頼りに翻訳すると、後半にかけての翻訳の辻褄が合うことに気付き安堵した表情を浮かべる。この定義が実際に存在することも裏付けが終わり、リヒトは安堵の溜息を吐いた。
「帝国でもこの例文をあえて使用する人は少ない……。故に参考書には申し訳程度でしか紹介されていないような文法だな。わざわざ二重文にせずとも他に簡略的な文法がある。いずれにせよこんな知識がフィンにあったなんて驚きだな……」
リヒトはもう一度フィンの書き置きを眺め、右下に書かれた可愛らしい猫の絵が描かれていることに笑みを浮かべる。
「そういえば、フィンは帝国古代語をいつの間に勉強したんだ?」
リヒトはフィンの才能に改めて驚きを示した後、残された時間を計算しすぐさま翻訳作業にもどった。
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