上 下
9 / 40
化粧品フロア

どうしようもない部下の観察日記

しおりを挟む
 

 久嗣あげはは、始業時間にちょっと遅れてやってきた。

「……お使いに出したことにしてるから」
と言ったら、ありがとうございますっ、と頭を下げられたが。

 どのみち、部長も滅多にやってこない。

 ここは、会社の中にこんな場所があったなんて、俺も知らなかった辺境の地。

 第三地下倉庫だ。

 ここにあるのは、小さな明かりとりの窓とデスク。

 そして、謎の膨大な資料だけだ。

 第二マーケティング部という札さえ入り口にない。

「で?
 百貨店の客の依頼は完了したのか?」

 ノートパソコンを広げてどうでもいい雑用をこなしながら、奪は訊いた。

 急いで座ろうとしたせいか、どすんと乙女にあるまじき音を立てて自分の席に座りながら、あげはは言う。

「エンさんがあれからまた、ヘリオトロープの香水を買い集められてたみたいなんですけど。
 どれも似たのがなかったらしくて、それで……」

「メモ帳、見つかったのか?」

 あげはが取り出してきた小さなリングメモを見て、奪が言うと、

「そうなんですよ。
 エンさんがサービスカウンターの落とし物入れに入れといてくれてたみたいで」
とあげはは笑う。

 いや……あの百貨店に生きた人間、こいつしか入っていないのでは。

 落とし物入れに入れる意味とは、と思いながら聞いていた。

「エンさんが試してみたいことがあるとおっしゃって。
 必要な物も集めないとといけないので、とりあえず、メモして来たんですけど」
とあげはは、メモ帳を見せてくる。

 何故見せる。

 俺にも協力しろと言うことか、と思いながらそれを見た奪は驚いた。

「字が綺麗じゃないか!」

「なんで意外そうなんですか」

「大きな字で書き殴ってそうなのに。
 意外にびっしりと、絵付きで……」

 奪はそこで沈黙した。

「お前、これ、仕事用のメモ帳だよな?」

 めくってみると、最初の方には、ちゃんと、大きな声で挨拶するとか、人の顔を覚えるとかどうでもいいことが書いてあった。

「百貨店のことしか書いてないじゃないか!」

「いや~、覚えることいっぱいあるんで」

「……仕事も覚えろ」

 まあここでは、頼まれた資料をまとめるくらいしかすることはないのだが。

 しかも、こいつ、意外とパソコン関係の業務は効率よくやるし。

 実のところ、教えることはあまりないのだが――。

「早くしないと、あの霊、移動してしまうかなと心配してたんですが。

 好きなことや熱中してることは時間を忘れると言いますが。
 あの方の中ではまだ、一、二時間しか経ってないみたいで」

「百貨店なんて、ちょっと眺めりゃ充分では?」

「わかってないですねー、課長。
 女は一日中いられるんですよ、百貨店。

 いや、その昔は、屋上に遊園地なんかもあって。
 家族で、一日、遊んで食べてってできたみたいですけどね」

「『今日は帝劇、明日は三越』ってやつか」

「反対されたらしいですけどね、あのキャッチコピー」

「……空いてる時間に、やりたいことがあるならやってもいいぞ」

「えっ?」

「こっちは暇だから。

 いろいろ頼まれてるんだろ?
 あのエンとかいうスクランブルエッグ焼くのが上手いやつに」

 そう言う言い方をすると、あげはは何故か、ぷっと笑った。



しおりを挟む

処理中です...