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喫茶室
紅茶の味と左遷された課長
しおりを挟む「美味しい……」
あげはが紅茶を一口飲んで、思わず、そうもらすのを彼はカウンターの方から眺めていた。
「そうか?」
とかなり疑問系で訊き返してくる。
男は、カウンターに手をつき、ちょっとダレたように立っていた。
さっき、座らせてくれたときのスマートさは何処に?
と思いながら、あげはは東洋風の絵柄で描かれた鳥の絵のカップを置いた。
「そのブレンドティー、飲ませるの、お前が初めてなんだ」
「あ、そ、そうなんですか。
お砂糖入れてないのに、ほんのり甘くて、えぐみもなく。
鼻に爽やかな香りが吹き抜けていくような感じで、とても美味しいです」
こう見えて、味に厳しい人で、客の感想が気になっているのかな、と思ったあげはは紅茶を飲んで感じたことを詳しく述べてみた。
「ふーん、そんな味なのか」
――いや、そんな味なのかって……。
「いろいろ本見てブレンドしてみたんだが」
そう言いながら、彼が視線を向けた奥の棚には、アンティークなカップと並んで、その辺で売ってそうな紅茶の本がニ、三冊立ててあった。
そちらを見たまま、彼は言う。
「味を感じないんだ。
匂いも――」
「え?」
「紅茶だけ、わからないんだ、何故だかわからないが」
そう呟いた彼はなにかに気づいたように、壁の方を見た。
淡い金の蔦模様の壁紙をじっと見ている。
その向こうにあるものを見透かそうとするように。
「おい、お前、その紅茶の代金は支払わなくていいぞ」
「えっ?」
「これもなにかの縁だろう。
お代はいいから働いていけ」
そう彼は言った。
第二マーケティング課という名の窓際部署に左遷されて、一ヶ月。
与えられた部下は新人の使えなさそうな女が一人だけ。
名前だけは立派な感じの――
ああ、久嗣あげは、だったな。
そんなことを考えながら、第二マーケティング課課長、前原奪は大通りから一本外れた通りを歩いていた。
ほんの少し前までは、同期の中でも抜き出て出世が早く、最年少で課長になったと、もてはやされたものだが。
……いや、別に人に褒められなくてもいいんだ。
俺は俺の納得できる仕事をしたいだけだ。
そんなことを考えながら歩いているうちに、いつもは通らない道に出ていた。
ふと、廃墟のような建物があるのに気づく。
昔の百貨店みたいだな。
こういう建物は好きだ。
別に写真、撮っても構わないだろう。
営業もしていないようだし。
百貨店は真っ暗だった。
日曜の昼なのに、休みってこともないだろうから、やはり、営業してないんだろうな、と思いながら、中を窺ってみた。
左手のガラス張りのエリアは元は喫茶室だったようだ。
手前に見える、重厚な雰囲気の赤いカーテンはちょっと新しいようにも見える。
俺好みの店っぽいが、やっていないのでは仕方ないな。
奪はスマホにパチリとその百貨店を収めた。
……うん、いまいちだな。
別にSNSに上げたりするわけでもないが、写りが気に入らず、何度か撮り直した。
少し斜めの角度から撮った廃墟の百貨店は、そこそこいい出来だった。
奪は、よし、と頷き、満足して歩き去る。
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