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いつもより多めに懐いています
出社できないイケメン
しおりを挟む一度、寮に帰ったのどかは、玄関ロビーに花を活けてから、買い物をし、貴弘の会社に行った。
「お疲れ様です~」
と顔を覗けると、社員が一人、狭い禁煙スペースで煙草を吸っているのが見えた。
「どうしたんですか?
ついに行政の指導でも入ったとか?」
とそちらを見ながら言うと、北村が苦笑いして言ってきた。
「……社長、禁煙することにしたそうです。
それで、他にも何人か禁煙する気になったのが居て。
匂いを嗅いで、吸いたくならないよう、吸う人が禁煙スペースに」
……ややこしいな、相変わらず、と思ったとき、腕を組み俯いていた貴弘が言ってきた。
「禁煙すると、イライラするな。
なにか殴りたいな、のどか」
「いや……凶悪化するのなら、禁煙しないでください」
はい、差し入れです~とのどかは貴弘の机にどさりと紙袋を置いた。
「金曜しか開いてないパン屋さんのパンですー」
「やる気あるのか、そのパン屋」
とイラついている貴弘が言ってくる。
……すみません。
さっさと吸ってください、と思うのどかの袖を引き、北村が小声で言ってくる。
「もしかして、のどかさん、おめでたですか?」
いや、最近は、キスしただけで子どもができるのですか……?
と思いながら、マンションでの最後の夜にしたキスを思い出し、赤くなる。
寮に入ってからは、案の定な怒涛の忙しさと騒がしさで、あんな風な、しっとりとした二人の時間を持つことなどできないでいるのだが。
まあ、寮も店もオープン前なので、仕方がない。
「いや、全然、そんなんじゃないです。
なんで急に禁煙なんて――」
とのどかが言うと、貴弘は俯き、頭を抱えたまま、
「……ずっとお前の先を行くと決めたからな。
元気でいつまでも走り続けなければと思ったんだ」
と言ったあとで、いきなり、貴弘はデスクに何度か頭を打ち付け始めた。
……こんな愉快な社長は初めて見たな。
禁煙がこんなに人を錯乱させるものだとは。
かえって身体に悪い気がする、と思いながら、のどかは言った。
「あの……とりあえず、電子タバコにしたらどうですか? 買ってきますよ」
鞄を手に出て行こうとして、
「のどか」
と呼び止められる。
「行かないでくれ。
俺の手を握っていてくれ」
デスクに額をつけたまま貴弘は言ってくる。
まるで、捨てないでくれ、と土下座されて、懇願されているかのようだ……。
「……社長、もう吸った方がいいですよ」
とのどかが言うと、そのままの体勢で貴弘は言ってきた。
「そうだ。
そろそろあいつが寮に出社するから頼む。
……あいつ、ほら、あいつだ」
名前まで出てこなくなりましたか。
軽い痴呆の始まりのようで、ちょっと怖いので、さっさと吸ってください、
と煙草を咥えさせて、火をつけたくなる。
しかし、寮に出社、という言葉でわかった。
「青田さんですね?」
例の出社できないイケメンのことだろう。
「そうだ。
あの寮には、これ以上若い男を住まわせたくなかったんだが。
人から預かった手前、あいつが出社できるようになるまで、面倒見なければな。
そうだ、お前ら。
もうすぐ寮も社食兼カフェも完成するんだが、誰か寮に入りたいやつは居るか」
俯いたままの貴弘の脳天を皆が見た。
今の話の展開で、入りたいです、と言い出せるツワモノは此処には居ないようだった。
というか、社長は居る、刑事は居る、もしかしたら、よその会社の社長も居る寮に入りたい人間は居ないに違いない。
家でくらいゆっくりしたいはずだ。
……あの寮が寮である意味は一体、と思ったあとで、のどかは、
「じゃ、電子タバコ、買ってきます~」
と言って、会社を出た。
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