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月末までに、お前を払ってもらおう

結婚式以来、会ったことのない夫に呼び出されました

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「僕の大切なお姫様。
 幸せになるんだよ」

 そう言って、父は私を育てた。

 ところが会社が傾き、昔からの知り合いに金を借りようとした父は、

「そういえば、あんたの先祖、証文書いてそのまんまだよ」
と言われ、

『金が返せなかったら、なんでも欲しいものを差し上げます』
という酔った弾みで書いたんじゃないかというような無茶な証文に従って、娘を売り飛ばし。

 自らは相手先の系列の銀行から多額の融資を受けた。

 相手の顔を写真ですら見ないままの結婚式。

 父は微笑み、娘に言った。

「おめでとう、真珠まじゅ

 僕の大切なお姫様。
 幸せになるんだよ」

 ……いや、なれるか~っ!

 

「はーい。今日は素晴らしい感じに盛れましたよー」

 キッチンスタッフの白い制服を着た真珠は大きな海老が二匹ものっている天丼を小洒落た社食のカウンターに出した。

 たまたま、この会社で働いていた大学の先輩、萩原佳苗おぎわら かなえがトレーに丼をとりながら言う。

「何処が綺麗に盛れてんのよ。
 ってか、あんた、なんでうちの社食で働いてんの?

 どっかいい会社に就職してなかった?」

 そんな佳苗の後ろにいた、ちょっと軽そうなイケメン、吉田が真珠に言う。

「君、佳苗ちゃんの大学の後輩なんだってね。
 めっちゃ優秀じゃん。

 なんで会社やめちゃったの?」

 はは……と笑った真珠は、
「ま~、いろいろありましてね」
と流れ流れて、この職場にたどり着いた、すごい過去のある人のようなことを言いながら、次の人の天丼を手際悪く盛り付けた。



 最後の客に料理を出し、片付けが始まったところで、真珠がいる近くのテーブルに座っていた佳苗が豚汁を啜りながら訊いてきた。

「真珠。
 あんた、なにやらかして会社クビになったのよ」

 いや、何故、クビ限定……とザルを洗いながら真珠は思う。

「はあ、まあ、いろいろありまして。

 でも、ここのお仕事、すごく楽しいんですよ。
 私がお出ししたご飯を食べて、みなさんがお仕事頑張ってくださるとかっ。

 とっても、やりがいがありますっ」

 いや、まだまだ慣れないので、言われたものをよそったり、カウンターに出したりしているだけなのだが……。

 OLとして働いていたとき、社食は安らぎの空間だった。
 自分もそんな場所で働けたら、と思い、ちょうど求人があったので、応募してみたのだ。

 いまいち不器用な自分でも、おばちゃんたちは丁寧に教えてくれた。

 真珠がおばちゃんたちに感謝したそのとき、ポケットに入れていたスマホが鳴った。

 ああ、しまった、音切ってなかった、と思いながら、一通り片付けたあとで、スマホを見てみる。

 入っていたのはショートメッセージだった。

「今すぐ来い」

 登録していない番号からのようで、名前も出ていない。

 イタズラメールにしては妙だ。

 もしかして……有坂ありさかさん?

 有坂桔平ありさか きっぺいは真珠の戸籍上だけの夫だ。

 あまり会ったこともない相手なので。
 携帯の番号も一応、聞いてはいたのだが、登録まではしていなかった。

「いや、登録くらいしろよっ」
と桔平には怒られるかもしれないが。

 そのくらい接点がなく。
 おそらく、この先もないはずの夫だった。

 とりあえず、警戒しながらも返信してみる。

 食後の珈琲を飲みながら仕事の話をしていた佳苗がこちらを振り返り、言ってきた。

「真珠ー。
 今、中峰なかみねに、あんたがうちの社食にいるってメールしたら。

 今度、駄菓子研のみんなで飲まないかってー」

 爽やか系イケメン、中峰は佳苗と同じ、大学の駄菓子研究会の先輩だ。

「えっ? いつですか?
 私、ちょっと行かねばならないところができまして」

「どこ行くの?」

 再び入ってきたメッセージを見ながら真珠は言った。

「……ドバイです」

 言いながら、自分でも、えっ? ドバイ!? と思う。

 遅くても月末までにドバイまで来い、とそこには書かれていた。

「へー、なにしに行くの?
 旅行?」

「いえ、夫が急に来いと……」

「夫!?
 あんた、いつ、結婚したのよっ」

 はあ、駄菓子研究会で山に登ることになったとき、野暮用があるのでいけないと言った、あのときですかね。

 ……決して、しんどい登山が嫌なので、あの日を結婚式にしたわけではないのですよ、ええ。

「夫とは別々に暮らしているんですが。
 なにかあったときには駆けつけると約束してるので」

「へえ。
 ドラマチックだね」
と感心したように吉田は言うが。

「いえ、なにかあったときには駆けつけるので。
 それまでは、ほっといてくださいと頼んでるんです」

「ご主人、別の場所にいるのかい?」
 奥で休憩していたおばちゃんたちが訊いてくる。

「出稼きかい?」
「はあ、まあ、そんな感じです」

 本社は日本のはずだから、ある意味、出稼ぎだな、と思いながら、真珠は言った。

「急用ってなんだい?
 怪我でもしたのかい?」

「早く行ってやりなよ」
 そうおばちゃんたちは心配して口々に言ってくる。

「でも、行ってみないとどんな感じかわからないので。
 もし、長期滞在にでもなったら……」

 いきなりパート辞めるわけにもいきませんし、と真珠は言ったが、のいいおばちゃんたちは、

「なに言ってんだいっ。
 なんか大変なんだろ? 早く行っておやりっ」
と言ってくれる。

「大丈夫だよ。
 代わりの人ならすぐ見つかるから」

「こういう時はとるものもとりあえず行くもんだよ。
 旦那、建築現場で骨折でもしたのかい?」

「そうなんですかね?」

 建築現場……。

 何故、おばちゃんたちは今、彼の新しいホテルがドバイに建築中なことを知っているのだろう、と思いながら、真珠は、ありがとうございます、と頭を下げた。

 単におばちゃんたちは、出稼ぎから建築現場を連想しただけだったのだが……。

「ところで、旦那が出稼ぎ行ってるの、何処なんだい?」

「ドバイです」

「鳥羽かい。急いで行きな」

 人のいい人たちに背を押されるようにして、真珠は勤めはじめたばかりの職場を辞めた。



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