あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

文字の大きさ
上 下
57 / 58
終章 色のない花火

色のない花火

しおりを挟む
 ドンドンと腹に響く音が聞こえ、からくり部屋に居た咲夜は立ち上がった。

 花火?
 まだ季節には早いのに。

 外が見えるようになった窓から確認しようとしたとき、扉が開く音がした。

 聞き覚えのある足音が自分に近づく。

 咲夜は花火を見ないまま、その音だけを聞き、大きく息を吸った。

 覚悟を決め、振り向くときちんと着物を正し、両手をついて頭を下げる。

 咲夜は夫を出迎えるように、微笑み顔を上げる。

 血のついた小刀を手に幽鬼のように周五郎が立っていた。

「お待ちしておりました」




「おい、なんで花火が上がってんだ!?」

 那津に付いて走っていた小平が夜空を振り仰ぎ、叫ぶ。

「まだ上げていい時期じゃないですよね?
 誰かが上げさせたんですかね?」

 弥吉が息を弾ませながら叫び返している。

 江戸の町で花火を上げるのは期間も決まっているし、許可も居る。

 予感があった。

 周五郎だと。

 周五郎が最後の手持ちの金で上げさせているのだ。

「待て、おいこらっ」
と叫ぶ小平の声が遠くなる。

 自分も倒れそうだったが、那津は足を止めなかった。




 もう咲夜を買えない端金はしたがねで、せめて江戸の夜空に光の花を――。




「咲夜っ!」

 からくり部屋の扉を開け、那津は中に飛び込んだ。

 薄暗い部屋の中には花火の音だけが響いている。

 周五郎の姿はそこにはなかった。

 様変わりした部屋の中央には一組の布団が敷かれている。

 そこから身を起こした女に、誰もが息を呑んだ。

 もう花火も終わりなのか。

 かなり大きな花火が打ち上がったらしく、部屋の中まで、ぱあっと赤くなる。

 はだけた着物から覗く白い肌がその赤橙色の光に、艶やかに照らし出された。

 自分の知る咲夜の姿は既になく。

 妖しいまでに美しい吉原の遊女がそこに居た。

「……幽霊、花魁」

 弥吉が小さく呟いた。




 私は『明野』を殺すだろう――。

 そう、あのとき思っていた。

 あの美しい花魁道中で。



 二代目明野が自分に向かい、手を差し出してきた桜の下。

 緋毛氈ひもうせんに腰掛け、彼女を見上げながら自分は思っていた。

 きっと私は『明野』となった咲夜を殺してしまうだろうと。

 この美しい女を永遠に自分の許に留めておくことは、この吉原では不可能なことだろうから。

 それなのに……。

 まさか、この手でお福を刺すとは。

 周五郎は後悔していた。

 本当に手にかけたいのは、愛する者だったのに。

 誰にも彼女を渡さないため――。

 だが、咲夜は血塗れの小刀を手にして現れた自分をまるで夫を迎えるように穏やかに出迎え、その名を呼んでくれた。

『周五郎様』
と。

 咲夜――。

 美しい花火が正面に見えた。

 咲夜の部屋を出たあと、川に飛び込んだ周五郎はそのまま水に浮いて漂い、流れていた。

 船を沈めた嵐の名残りもなく、川は比較的静かだった。

 自分で小刀を刺した腹からあふれる血は冷たい水とともに流れててき、止まる気配もない。

 周五郎は無理を言って打ち上げてもらった花火をぼんやり眺めていた。

 夜空に弾ける花火は赤い色しかないはずなのに。

 何故か、今の自分には、黄や緑や青や、いろんな色に見えていた。

 まるで、いつか見た夢のようだと周五郎は思った。

 そのとき、川の側を歩く人影が見えた。

 お福だ。

 側には、あの手代が寄り添っている。

 お福は腹から血を流しながらも、そこを押さえ、歩いていた。

 自分を捜しているのだとわかった。

 あのとき、一瞬、何が起こったのか、わからなかった。

 自分の突き出した小刀がお福の腹に深々と刺さったとき。

 なんだ、つまらない、と思った。

 自分は咲夜を殺すだろうと思っていたのに。

 偽物のあかしを手に、咲夜を口汚く罵る妻の言葉をいつものように黙って聞いていればよかった。

 だが、今までは扇花屋に行けば、いつも咲夜が笑顔で出迎えてくれ、ささくれ立った心を穏やかにしてくれていたが、そんなことももう出来ないから。

 左衛門は店を出され、金を無くした自分など、冷たく追い払うに違いない。

 吉原というのはそういうところだと、重々承知していたはずだったのに。

 店の者の手前、父が自分を許してくれることなどないだろう。

 巨額の仕入れを番頭たちも反対していたのに、押し切ったのは自分だ。

 ただ、咲夜に会う金を得るために――。

 もう咲夜に会えないという想いに突き上げられ、ついに福の罵りの言葉に耐えられなくなった。

「あんな気持ちの悪い指を後生大事に持ってっ。
 遊女は偽の指も髪も、誰にでもあげてるのにっ。

 大事な女のその指が、偽物にすり替わっていても、気づかないくせにっ」

 気がついたら、刺していた。

 ああ、なんでこんなところで、こんな女を――。

 お福には申し訳ないが、自分が最初に思ったことはそれだった。

 これから、咲夜はどうなるのだろう。

 遊女になってしまうのだろうか。

『周五郎様』

 無邪気に呼びかける咲夜の顔が浮かんだ。

 そして、自分と身体を重ねたあとの、しどけない二代目明野の姿が。

 彼女は左衛門が期待した通り、桧山を越える花魁となるだろう。

『周五郎様――』

 今、お福が流れていく自分に気づいた。

 呆然と見つめ、立ち竦んでいる。

 後悔と申し訳なさから、お福を刺したのと同じ場所を刺した自分に気づき、辛そうな目で自分を見ていた。

 彼女に向かい、微笑みかけると、そのまま冷たい水に押し流されていく――。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

あやかし吉原 弐 ~隠し神~

菱沼あゆ
歴史・時代
「近頃、江戸に『隠し神』というのが出るのをご存知ですかな?」  吉原と江戸。  夜の町と昼の町。  賑やかなふたつの町に、新たなる事件の影が――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一大事!

JUN
歴史・時代
 国家老嫡男の秀克は、藩主御息女との祝言の話が決まる。なんの期待もなく義務感でそれを了承した秀克は、参勤交代について江戸へ行き、見聞を広めよと命じられた。着いた江戸では新しい剣友もでき、藩で起こった事件を巡るトラブルにも首を突っ込むことになるが、その過程で再会した子供の頃に淡い恋心を抱き合っていた幼馴染は、吉原で遊女になっていた。武家の義務としての婚姻と、藩を揺るがす事件の真相究明。秀克は、己の心にどう向き合うのか。

処理中です...