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終章 色のない花火
先見のその先
しおりを挟むすっかり様変わりした隠し部屋に立ち、此処に来てからのことを思い出していた咲夜は背後から、いきなり腕を捕まれた。
長太郎だ。
「なに? どうしたの?」
「此処から出ろ」
いつも淡々として表情のない長太郎がなにかを決意したような顔で自分をからくり扉まで引きずっていこうとする。
だが、開いたままの扉の先に、左衛門が立っていた。
今まで逃亡しようとした遊女やそれに手を貸した人間を折檻し、殺してきた左衛門だったが。
長太郎を咎めもせず、ただ悲しそうに彼を見つめ、立っている。
「長太郎」
自分の側を尚も通り抜けようとする彼を、左衛門は呼んだ。
幼少より面倒を見、共に手を汚してきた相手。
そして、長太郎はやはり噂通り左衛門の子なのだろう。
今の見たこともない左衛門の表情でわかった。
それでも、長太郎が自分を連れて逃げれば、左衛門は彼を放っておくことはできない。
「長太郎」
淋しげに左衛門は長太郎の名を呼び、自分より大きくなった彼をただ見つめていた。
咲夜は少し緩んだ長太郎の指を外させる。
家族で憎しみ合ったり、殺し合ったりするのはもうごめんだ。
咲夜は二人の横をすり抜け、階段に出る。
内所の前の階段下に明野の姿はない。
何処に行ったんだろうな。
なんだかんだで気楽な人だ。
自由に恨み罵り、やりたいことをやる。
生きているときも、死んでからも。
逃れられない籠に囚われつつある咲夜はそんな姉の生き様を少し羨ましく思いながら、誰も居ない階段下を眺めていた。
「よう。一杯やってんのか、珍しいな」
いつもの店に居た那津の許に、小平が現れた。
畳にどっかりと腰を下ろす。
「まあ、呑まなきゃやってらんねえか」
小平は、ほらよ、と自分に運ばれてきた酒も那津に向けた。
「他所の男に囲われるのと、遊女となって生きるのと。
好きな女にどっちになって欲しいかと言ったら。
……ま、どっちも嫌だよな」
いつの間にか雨は上がっていたようだ。
窓の外に見える江戸の町は赤い夕陽に染まっている。
その異様な色にいつもとは違う空間に迷い込んだような気持ちになったそのとき、弥吉が飛び込んできた。
旦那っ、と取り乱した様子で小平を呼んだあとで、こちらにも気づき、慌てて言う。
「渋川屋の若旦那が、女房、お福を刺して逃げました」
話を最後まで聞くか聞かないかのうちに、那津は外に飛び出していた。
「おいっ、待てっ」
小平の声が追いかけてくる。
ずっと思っていた。
周五郎は咲夜には余裕をもって接していたが、内心はそうではないのだろうと。
初めて扇花屋に行ったとき、咲夜の隠し部屋のある壁に張りついている町人風の男を見た。
生霊だ。
ぞっとする、と思ったのは、その顔立ちが整い過ぎているからだけではなかった。
強い執着を持って、その壁に張りついているのがわかったからだ。
自らが囲いながらも、咲夜には手が出せない。
その想いが、周五郎をあそこに張りつかせていたのだ。
そんな周五郎が取引での失態から勘当され、彼女を手放すことになったとき。
彼とその妻が、どんな諍いを起こし、どんなことになるのか。
そして、この先、何が起こるのか。
手に取るように想像できた。
通りの道は、あちこちに水たまりが出来ていて何度も足を取られる。
落ちていく陽に染まる江戸の町を那津は北に向かって走っていった。
左衛門や咲夜と別れたあと、長太郎はやり場のない思いを抱えたまま、いつものように手燭の準備をしに廊下に出た。
するとそこに、こんな時間だというのに、装わない桧山が立っていた。
不審に思い、素顔でも美しいその顔を見つめると、
「もう諦めたの?
咲夜を逃がそうとしたそうね」
と桧山は訊いてくる。
長太郎は彼女の手にあるものに気づいていたが、特に身構えることもなく立っていた。
「ねえ、私のこと、少しは想ってくれていた?」
「……はい」
桧山は静かに長太郎に近づく。
そのまま抱きしめるように覆い被さってきた。
耳許で、かつてよく聞いた甘いささやきのような声がもれる。
「……でもそれ、
あの娘が現れるまでよね……」
背後で桂の悲鳴が響き渡った。
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