あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

文字の大きさ
上 下
50 / 58
第三章 のっぺらぼう

宴のあとで――

しおりを挟む
 

 私は知っていた。
 自分の未来を知っていた。

 私は――
  いつか明野を殺すと知っていた。



「ありがとうございました、若旦那」

 引手茶屋から引き上げ、扇花屋に帰ったところで、咲夜は深々と頭を下げた。

 いやいや、と周五郎は手を振る。

「まともな方法で吉原に来たの、初めてだから緊張したよ」

 そう彼は笑っていた。

 ついて歩いてくれた桂もほっとしたように微笑んでいる。

 愉楽ゆらくが目をいてこちらを見ていたのが、彼女にはツボだったらしい。

 いつまでも繰り返し言い、笑っていた。

「明野」

 はい、と振り向いた咲夜は左衛門の姿を見る。

 よくやった、という表情をしている彼に言った。

「このためだったんですよね」

 うん? と左衛門は笑ったまま訊き返してきた。

「このために私をずっと隠していたんですよね」

 冷酷な楼主は何も言わずに微笑んでいる。

 明野が殺されたあと、程よく彼女を頼って私が現れた。

 でも、私はまだ子どもだったから、大人になるまで隠していたのだ。

 明野の身代わりをしてもおかしくない歳になるまで。

 そう。
 見世の稼ぎ頭である桧山の不名誉な噂を打ち消すために、私は今まで此処に閉じ込められていたのだ――。




 再び、二階で催された宴会の席には、若旦那が那津たちも呼んでくれていた。

 気心の知れた人間しか此処には居ない。

「あーあ、顔さらしちゃったから、もう外を歩けないかも」

 そんなことを言った咲夜に、那津と隆次が揃って言う。

「大丈夫だ」

「……なんでよ」

 すぐにわかる、と隆次は言った。

 誰もが酒宴に興じる中、真っ先に騒ぎそうな小平が今日は静かだった。



 咲夜は自分が、はばかりに立ったとき、すっと小平が立ち上がるのを見た。

 廊下に出ると、側に来ようとしたので早足で角まで行く。

 慌てて追いかけてきた小平を袖で顔を隠して振り返り、言った。

「こんな顔かい?」

 小平が立ち止まる。

「どんぶり洗ってたのは、きっと私ですよ」

 もう怖くない、と言うように彼に告げると、小平は、ふっと笑ってみせた。

「あんたの姉さんだったんだってな」

 小平があの場に居たことは、もう聞いていた。

「……私の姉さんは、桧山姉さんだけです」

 何かを謝ろうとした小平の言葉を遮るように、そう言うと、小平は言った。

「あんた、吉原の遊女にはなれないな」
「なんでですか?」

「その言葉遣いだよ」

「これから覚えますよ。
 ……って、遊女になりたいわけじゃないんですけど」

 だが、障子を開けて現れた周五郎を見て、咲夜は呟く。

「もうなってるか」
と。

 左衛門の策は功を奏し、自分が周五郎に囲われている理由もなくなった。

 これからどうなるのだろうな、と咲夜は、ちょっと不安に思う。

 周五郎を見つめていると、彼は側に来て言う。

「帰るよ」
「えっ」

「たまには早く帰らないと、お福がうるさいからね」

 お福というのが、彼の女房のようだった。

 そんなことを言ってくれるのは初めてだった。

 いつも、いいよいいよと言ってくれるばかりで。

 愚痴を言われて、初めて少し、彼に近づいた気がした。

「今までありがとうございました」
と咲夜が頭を下げると、

「今まで?」
と彼は笑ってみせる。

「大丈夫だよ。
 ずっとお前を買い続けるよ。

 お金が続く限りはね」

「でも――」

「左衛門の考えとは別に、私は私の道楽でお前を買っていたんだから」

 また来る、と周五郎は肩を叩いてきた。

「また碁の相手をしてもらうから、腕を上げて待っておいで」

 はいっ、と咲夜は答えた。

「こてんぱんにしますから、待っていてくださいっ」

「いや、そうじゃねえだろ……」

 どんな花魁だ、と小平が突っ込み、周五郎も笑う。

 帰っていく彼を見送る準備をしながら、
「よかった」
と咲夜は呟いたが、まだ側に居た小平が、何故か、

「わかってねえなあ」
と呟いていた。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

あやかし吉原 弐 ~隠し神~

菱沼あゆ
歴史・時代
「近頃、江戸に『隠し神』というのが出るのをご存知ですかな?」  吉原と江戸。  夜の町と昼の町。  賑やかなふたつの町に、新たなる事件の影が――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一大事!

JUN
歴史・時代
 国家老嫡男の秀克は、藩主御息女との祝言の話が決まる。なんの期待もなく義務感でそれを了承した秀克は、参勤交代について江戸へ行き、見聞を広めよと命じられた。着いた江戸では新しい剣友もでき、藩で起こった事件を巡るトラブルにも首を突っ込むことになるが、その過程で再会した子供の頃に淡い恋心を抱き合っていた幼馴染は、吉原で遊女になっていた。武家の義務としての婚姻と、藩を揺るがす事件の真相究明。秀克は、己の心にどう向き合うのか。

死神若殿の正室

三矢由巳
歴史・時代
わらわは豊前守の養女の田鶴(たづ)と申す。 さる大名の御世継の妻となることになった。 なれどこの御世継の隆邦(たかくに)様という方、たいそうな美形というのに、これまで四人の方と婚約し、そのうち三人がはかなくなられ、四人目も故あって破談となったという。 五人目の許婚者となったわらわは無事に嫁いだものの、世の中はそれでめでたしとはいかぬもの。 なにしろ隆邦様にはすでに側室がおり、姫までも儲けておいで。 離縁の話まで持ち上がってしまった。 子どもの頃から愛されないのには慣れているわらわなれど、果たしてどうなることやら。 なお、この話はムーンライトノベルズの「『香田角の人々』拾遺」「わたくしたちのお殿様」のエピソードを再構成し増補改訂したものゆえ、そこは御含みおきを。 18歳以下の方が見てはならぬエピソードのタイトルの末尾には★があるゆえご注意召されよ。

処理中です...