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第三章 のっぺらぼう

扇花屋の新しいあやかし

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「また覗き女が出たらしいだんすよ。
 誰にも見咎みとがめられずに消えるなんて、あれは絶対、あやかしだんすよ」

 那津が桧山の部屋に行くと、気心の知れてきた新造、かつらがそんなことを言ってきた。

 これ、と桧山はたしなめるふりをしたが、それほど強くは言わなかった。

 吉原の女たちにも、何かしらの気分転換が必要だと思っているからかもしれない。

「まったく。
 こんなところに長く居ると、いろいろ見るのは当たり前だんすよ。

 下の部屋の壁にはよく血が飛び散ってるだんす。
 見えるお客が来るときには、そこに着物をかけておくだんすが」

 そんな桧山の言葉に、ひいっ、と桂が余計怯える。

「そうそう。
 那津様、これを咲夜のところに持ってってくれだんす」

 桧山は上品で鮮やかな赤い着物をこちらに向ける。

 これも、とその上に本を置いた。

「今日は長太郎は用事で出かけているから、よろしく頼むだんす」

 ……まさかとは思うが、自分が咲夜に会いたくないから、俺にこれを運ばせようとして呼んだのか?

 霊を祓うために雇われたはずなのに、いつの間にか小間使いのようになっている。

 そのうち、上手いこと言いくるめられて、此処で若い者として酷使されるのでは、と那津は怯えた。

 それにしても、桧山は何故、咲夜を疎むのか。

 咲夜は桧山を慕っているようだし、桧山も咲夜をいろいろと気遣っているように見える。

 嫌い合っている風には見えないのに、何故。

 年々、咲夜の顔が明野と似てきているからとか?

 那津がそう思ったとき、桂が笑って言ってきた。

「私が持っていってもいいんだんすけどね。
 長太郎さんについて部屋に行ったときとか、咲夜姉さん、いつもお菓子をくれるから」

 まだまだ無邪気な桂を桧山は微笑ましく眺めながらも、これ、とたしなめる。

 咲夜の部屋を開けるには、ちょっとしたコツが必要だ。

 長太郎や桧山はそれを知っているが、桂は知らないようだった。

 うっかりものの桂がみんなの前で開けたりしないよう、教えていないのに違いない。

 それもあって自分を呼んだのだろう。

 そんな風に咲夜を思いやっているようにも見えるのに――。

 赤い着物を眺めている桧山の美しい横顔を見ながら那津は訊いてみた。

「咲夜の着物はあんたが買ってやってるのか」

「支払うのは咲夜だんすけどね。
 私はいつも、表に出られないあの子の代わりに選んでやってるだけだんす」

 そう言う桧山は明野よりもよっぽど姉らしい顔をしていた。

「……じゃあ、届けてくる」

 那津が立ち上がると、えーっ? と桂が声を上げた。

「もう行くだんすか~?」
と名残惜しそうだ。

 外の話をもっと聞きたいようだった。

「那津様」
と桧山が呼び止める。

「覗き女の件、咲夜が首を突っ込まないよう、見張っておいてくれだんす」

 ……突っ込みそうだな、と思いながら、那津は、じゃあ、とその場を去った。



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