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第二章 覗き女
小平の過去
しおりを挟む七輪に載ったホタテの貝殻の中で、出汁に浸かって煮えているシラウオやゴボウを眺めながら、弥吉は項垂れていた。
「申し訳ありません」
「まあ、仕方が無い。
相手が一枚上手だったってことだ」
ほら、食え、と小平は上役らしく、弥吉を慰めている。
男を取り逃がしたあと、何か食おうという小平に連れられ、那津たちはいつもより少し上等な店に来ていた。
いつものように荒っぽく、店の前に看板代わりの蛸が投げてあったりしない店だ。
いつまでも落ち込んでいる弥吉を見ていた小平が話を変えるように、那津を振り向き言ってきた。
「那津。
お前、また捕り物の手伝いをすることがあったら、忠信様とかいう消えた与力のフリをすりゃいいんじゃないか?」
「……なんでだ」
「与力の格好して、ウロウロしてて見咎められたら、死んだ忠信様の霊のフリをすればいいってことだよ」
「いや、本当に死んでるのか、忠信様」
と言う那津の言葉に被せるように、小平は、
「お前、得意だろ、霊の真似」
と言ってきた。
いや、得意なのは、真似じゃなくて、除霊なんだが……。
美味しいものを食べて少し元気を取り戻したらしい弥吉は、小平や口を挟んでくる周りの客の話に笑ったあとで、厠に立った。
ホタテ鍋の煮詰まったいい香りが店内に漂っている。
小平はお猪口を持ったまま、近くの柱に後ろ頭を寄せて言った。
「……俺は昔、幽霊花魁を見たことがある」
階段下に、ぼうっと立ってやがった――。
そんなことを小平は言う。
幽霊を見たという、ただ、それだけの話なのに、何故か小平の口調は重かった。
「今でも夢に見るんだ……」
そう呟き、小平は目を閉じた。
そんな小平の意外に整った横顔を見ながら、那津は呼びかける。
「小平」
「なんだ」
「ひとつ言っていいか」
酔っている小平が薄く目を開けたとき、那津は言った。
「お前に霊は見えない」
「……なんでそんなことがわかる」
「お前と居て、お前が霊に反応したのを見たことがないからだ。
町中でも、吉原でもだ。
もしかしたら、生きた人間だと思って通り過ぎているのかもしれないが、吉原の霊はかなり毒々しい格好で現れるから、誰でもぎょっとするはずだし。
この間もお前の後ろに……」
やめろ、聞きたくない、と両耳をふさいだ小平は柱から身を起こした。
「今夜から一人で歩けなくなるじゃねえかっ」
騒ぐ小平に容赦無く那津は言う。
「今もお前と一緒にジイさんが鍋をつついてるんだが、見えてないだろう」
厠から戻ってきた弥吉が畳に上がってくる。
「どうしたんですかい? 旦那」
「今、弥吉がジイさんを踏んだ……」
小平に霊が見えていないことを証明するために、いちいち解説する那津に、やめろ、馬鹿っ、と小平が叫ぶ。
弥吉が戻ってきたせいで、話は辻斬りに戻り、江戸のうまい店の話に流れ、小平は調子よく呑んでいた。
いつものように食べて呑み、……暴れる。
「もう~、酒癖悪いんだからっ」
ねえ、と座ったまま倒れかかってくる小平の肩を押さえながら、弥吉がこちらを見た。
少し笑って、那津は湯桶からちろりを取り上げた。
弥吉のお猪口に注いでやる。
ぬるい酒が注がれるのを見ながら、弥吉は堪えていたものが溢れ出したように、涙ぐむ。
「那津さん、小平さん、ありがとうございます……。
旦那、旦那に拾ってもらって、家族も持てて。
ほんとありがたいと思ってるのに、肝心なときに役に立てなくてすみませんでした」
弥吉は、うとうとしている小平に、そう言って謝っていたが、そういうのが照れ臭いのだろう小平は、ずっと寝たフリをしていた。
帰り道。
弥吉を先に帰らせ、那津は酔った小平を送っていった。
静かな江戸の町。
提灯よりも明るく頭上に輝く月を那津は見上げた。
「吉原の辻斬りは腕だけを斬る。
なんで腕を斬るんだろうな」
そう呟くと、見た目ほど酔っていなかったらしい小平が確かな口調で言ってきた。
「なにか下手人にしかわからねえ理由があるんだろうよ」
暗い夜道を那津は、ふっと振り返ってみた。
そこに、なにか禍を呼ぶものが立っていそうな気がして。
――それは、悪鬼の如き形相の幽霊花魁、明野か。
それとも、刀を手にした、辻斬りか。
だが、静かな道には現れたのは提灯を手に楽しげに歩く酔っ払いだけだった。
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