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第二章 覗き女
なにかがあったようだ……
しおりを挟む駆けつけたその人物は、抜いた刀の鞘で男の腹をつき、よろけたところを見計らって、刀でその足元を払ったようだったが。
その動きは流れるように美しかった。
途中から雲は晴れていたので、自分を助けてくれたのは与力だとわかった。
……与力。
なわけないっ、と思ったとき、月の光の下で、その美しい顔をした与力が怒鳴ってくる。
「小平っ。
気を抜くなっ。
なにをやってるんだっ。
お前ほどの腕があって遅れをとるとはっ。
最初に相手を斬ろうか、捕まえて口を割らせようか迷っただろうっ」
そのせいで出遅れたのだと、この与力は見破っていたようだった。
与力……
じゃ、ないだろうがっ。
「説教か、那津っ!」
てめえ、なんて格好してやがるっ、と強い川風に袴をはためかせた美丈夫の与力に向かい、小平は叫んだ。
与力の着物に鬘をつけた那津は、面白がる桧山のせいで、船宿の主人がこれしか貸してくれなかったと渋々語り出す。
「……汚すとまずい」
先程までとは別人のように、子どものようなことを那津は言った。
「お前な、与力を騙ると大変なことになるぞ」
小平がそう言い終わらないうちに、誰かが騒ぎを聞きつけ、吉原の方から駆けてきた。
「お富っ」
提灯を手にした何処かの店の主人のようだった。
「大丈夫か、お富っ」
礼を言おうと振り返った主人が、ひいいいいっ、と悲鳴を上げる。
「たっ、忠信《ただのぶ》様っ」
主人は、どうやら那津の顔を見て、怯えているようだった。
慌てて女の手を掴むと、吉原に向かい、逃げていく。
「あー、思い出した」
そのずんぐりむっくりした後ろ姿を見ながら小平は言った。
「あれ、裏茶屋の主人じゃねえか」
裏茶屋とは吉原の裏通りにある茶屋で。
訳ありの男女が秘密の逢瀬に使う場所だ。
吉原の中でも、怪しいことこの上ない場所だった。
「お前を見て、忠信様と言っていたな」
「そういえば、俺と似た顔の与力が昔居たと引手茶屋で聞いた」
こけつまろびつ逃げて行く裏茶屋の主人を見ながら、小平は呟く。
「あのジジイがその忠信様とやらを殺したんじゃないのか?」
「そんな度胸はありそうにもないぞ。
なにか知ってて黙ってるとかだろ。
……この着物、もしやその忠信様とやらのだろうかな」
と那津は今羽織っている着物を薄気味悪そうに見下ろしていた。
死者の物かもしれないからだろう。
まだ座り込んだままだった小平は那津を見上げて言う。
「お前……もう着替えろよ。
その格好で側に居られたら、偽物とわかってても落ち着かねえんだよ」
現れた月の光に川の流れが煌めいて見える。
少し先の川原にずぶ濡れの男たちが上がってきていた。
弥吉たちは、男を取り逃がしたようだった。
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