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第二章 覗き女
捕り物
しおりを挟む「来ねえじゃねえか、あの男」
日本堤の手前。
ちらちらと揺れる辻行灯の側で小平は腕を組み、那津を待っていた。
「実は頼りにしてるんですかい?」
弥吉が笑ってそんなことを言ってくる。
弥吉と数人の荒くれ者を捕り物が始まったときのために連れてきていた。
「うるせえっ。行くぞっ」
と叫んで、小平は那津を待たずに歩き出す。
月のない夜だった。
だが、暦的にはないはずがない。
厚い雲がかかっていて、地上に月の光が届かないようだった。
吉原か。
厭な場所だ、と小平は思う。
付き合いでは行くが、自分から望んで行こうとは思わない。
川からの風が強く、小平は思わず、目を閉じていた。
袖が強くはためいたそのとき、向こうから提灯を手に誰かが歩いてくるのが見えた。
夜桜見物の帰りだろうか。
それにしても、遅い時間だし、最近、辻斬りが出るのも広まっているから、まさか女じゃないだろう、と思ったのだが、遠くに、ぽうっと見えたその髪と着物の輪郭は女のものだった。
莫迦じゃねえのか。
何処かの使いか?
遊女以外にも、吉原で働いている女たちは大勢居る。
誰かの使いで、急いで外に出たのかもしれない。
「おい」
危ないぞ、と小平が声をかけようとした瞬間、女の前に怪しい影が走り出た。
なにっ? と慌てて駆け出す。
自分の足で間に合わない距離ではない。
だが、相手はすでに抜き身の刀を手にしている。
自分は今、刀を抜こうとしている。
何度も修羅場を潜り抜けている小平は、この差が致命的な物になることを知っていた。
なんとか女との間に割り込み、相手の刃を受けたが、押されて刀をはね除けられる。
女の落とした提灯の灯りで、座り込んだ自分に向かい、男が刀を振り上げるの見えた。
刀どころか提灯も遠い。
おいおい。
刀、手で掴むしかねえのかよ。
無理無理無理。
あ~、ロクな人生じゃなかったな。
いや……と思った小平の頭に浮かんだのは、こちらに向かいかけてこようとしているはずの弥吉たちや、町でいつも話す町人たち。
彼らの笑顔がなんだか遠い。
そう思ったとき、ふと、たまにちょっとだけ笑ってみせる那津の顔が浮かんだ。
……滅多に笑わない奴が笑うと、ドキッとするよな。
それもあんな綺麗な顔だと、見惚れる女どもの気持ちもわか……
って、死に際に思い出すのが男ばっかりってどうだよっ。
どんだけ女に縁がない人生だったんだっ。
このままでは死んでも死に切れないっと思ったとき、頭の上まで振り下ろされていた刀が飛んでいった。
え? と小平が思った瞬間、向きを変えかけた男はなにかに腹を突かれたように、ぐはっと声を上げてよろけた。
一瞬の間も置かず、その足元を刀が払う。
さすが男は避けたが、さっきの一撃が効いているのか、踏ん張りが効かず、よろけて土手を転がり落ちていった。
「追えっ」
という弥吉の声が背後でしたとき、落ちた男が川に飛び込む音が聞こえてきた。
数人の荒くれ者たちが男を追って飛び込んでいく。
小平はまだ、立ち上がれないでいた。
頭に振り下ろされかけた刀の衝撃のせいではなく、男を追い払った人物の動きに見惚れていたからだ。
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