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第二章 覗き女
噂――
しおりを挟むそんな思い出話をする周五郎に、咲夜は拗ねたように言った。
「もう、その話蒸し返さないでくださいよ~」
客にこういう態度、どうなんだろうなと自分でも思ってはいたが。
もう長い付き合いになる周五郎は、隆次と同じように、咲夜にとっては兄のような存在となっていた。
「いやいや、嬉しかったんだよ」
と穏やかに笑う周五郎は、此処では酒も呑まないので、碁を打ってすぐに帰り支度を始める。
そんな周五郎に咲夜は謝った。
「すみません。
いつも付き合ってもらっちゃって」
そう言うと、ええ? と周五郎は驚いたように笑い出す。
「付き合ってもらってるのは、私の方だろう? 咲夜」
「でも私、周五郎様が来てくださるの、とても楽しみにしているんです。
他に碁を打ちに来てくれる人も居ないし」
ぷっと吹き出した周五郎は、
「立派な花魁になったねえ」
と言い出した。
ええっ?
何処がですかっ? と思ったのが顔に出たようで、周五郎は、
「そんな風に別れ際に、また男が来たくなるようなことを言うのさ、此処の人たちは」
と教えてくれる。
いやいや、そんなんじゃないですっ、そんなんじゃっ、と訴える咲夜を見て、周五郎は楽しそうに、
「また来るよ」
と言った。
「ああ、そういえば、よく此処を抜け出してるんだってね」
出ていきかけて振り返った周五郎がそんなことを言ってくる。
「た、たまにですよ。
私は此処で習い事ができないので、外のお師匠さんに習いに行くときくらいです」
そのあと、隆次兄様のところで遊んできたりしますけどね、と咲夜は心の中だけで付け加えた。
「最近、吉原に出入りする女を狙った辻斬りが出るそうだから気をつけて
腕を斬られるらしいから」
ああ、それ聞きました、と咲夜は頷く。
「肘って聞いてたけど、腕なんですね」
思わず、自分の腕をさする咲夜を見て、周五郎は笑った。
「じゃ、気をつけて」
そう言い、周五郎は咲夜の部屋から出ることにした。
人目のないときを見計らい、長太郎がからくり扉を開けてくれる。
出られない咲夜の代わりに、妓楼の外まで送ろうとする長太郎を断った。
だが、いえ、とだけ言い、長太郎はついてくる。
まあ、この男の立場から行って、ついてこないわけにも行かないか、と周五郎は素直に送ってもらうことにした。
この男の咲夜を見る目が気になっていた。
その目は特に何かの強い感情を示しているわけでもないのだが、いつも、ただ、じいっと彼女を見ている。
自分が咲夜の髪を切っているときも、目を逸らさずに、ただ見ていた。
最近はあまり、幽霊花魁が出なくなったという階段下に着く。
そういえば、今も下に明野は転がっていない。
いつも未練がましく、おのれの遺体を見せつけてくるのに。
本当にあの咲夜の姉とは思えない。
まあ、姉妹だからといって、性格が似るわけではないのだが。
顔が似ているがゆえに、その違いが際立つ。
そのとき、楼閣に入ってきた男が視線を合わせ、会釈をしてきた。
この吉原では、知り合いに会っても、知らんふりをするものだが。
さすがに知り過ぎている人物だと、まるきり無視するわけにもいかず、軽く頭くらいは下げたりもする。
男はとある店の主人だった。
なんだかわからないが、にんまりと笑う。
そういえば、別の店の店主にいつか言われた。
『噂の幽霊花魁の正体は、あの明野だって言うじゃないですか。
若旦那が囲ってるって聞きましたが』
誰から聞いたのか。
少しずつ、自分が明野を囲っているという噂が外に広まっていっている気がした。
ちらと内所に座る左衛門を見たが、薄っぺらい笑顔で頭を下げてくるだけだった。
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