7 / 58
第一章 幽霊花魁
幽霊花魁の正体
しおりを挟む扇花屋に着くと、桧山を部屋に残し、那津は階段下へと下りた。
内所の左衛門と目が合ったが、やれやれ、という顔をしただけで、咎められることはなかった。
まあ、引手茶屋から連絡が入っているだろうから、自分が来たことは知っていたのだろうが。
お金を落としてくれるのなら、少々の面倒事はいいということか。
入り口に背を向けるように設えられている階段。
その下に立つと、華やかな酒宴の声が聞こえてくるにも関わらず、なんだかじっとりとした雰囲気で落ち着かない。
いきなり後ろで女が笑い出したと思ったら、生きてはいない遊女だった。
笑ったり叫んだり、めまぐるしく、その態度を変えながら通って行く。
生きているうちに気がふれて、死んでもまだそのままらしい。
もうお前を苦しめるものはないのにな、と思いながら、何も出来ずにそれを見送った。
見れば、左衛門もまた、それを目で追っていたから、彼にもこの霊が見えているのだろう。
遊女に祟られて一人前とでも言いたげな発言をしていた左衛門だが。
その瞳を見ていると、少しは哀れに感じているようにも見えた。
左衛門は重い身体で立ち上がり、側まで来る。
「此処に見えるんですかな、貴方には」
幽霊花魁など私には見えません、と左衛門は言う。
やけにきっぱりとした口調だった。
「そんなものは、みなの罪悪感が作り出した幻ですよ」
罪悪感?
左衛門は質問を避けるように頭を下げ、そこを去る。
桧山の居る部屋に戻ろうと、階段を上がりかけたとき、上に誰かが立っているのに気がついた。
新造のような装束を着て、壁に背を預けるその女はこちらを見下ろしている。
可愛らしい顔に似合わぬ冷めた目で。
そこまで上がっていくと、自分を見上げて彼女は言った。
「罪悪感ねえ」
と呟く。
「ねえ、お坊様、幽霊花魁には会えた?」
「ああ、会えたよ」
へえ、と笑う彼女に、
「幽霊花魁はお前だろう、咲夜」
と言うと、彼女は壁から背を浮かして言った。
「そう言う人も居るわね。
でも、もともとの幽霊花魁は私じゃないの」
その視線は真っ直ぐ階段の下を見ていた。
「階段下の霊か。
俺には見えない」
「そうね。
貴方に見えるはずがないわ。
というか、此処数日は他の人にも見えないことの方が多かったはずよ」
「どういう意味だ」
咲夜は無言で足許にあった灯籠を持ち上げ、こちらに向けると、壁を指差した。
そこには自分の影と、肩に手を置き、覆い被さるようにしている女の影が映っていた。
「噂の幽霊花魁は、貴方が気に入ったみたいね」
見えないはずだ。
俺の後ろに憑いていたとは、と那津は思う。
そういえば、桧山も階段下の霊は見えたのかと訊きながら、自分の後ろを眺めていたなと気がついた。
「貴方が気に入ったからなのか。
それとも、桧山姉さんに幽霊花魁を退治するよう、貴方が言われたからなのか。
……他に行くべきところがあるでしょうにね」
そう淡々と咲夜は、もうひとりの『幽霊花魁』について語る。
他に行くべきところとは、あの世のことだろうか、と思いながら、那津は咲夜に確認する。
「幽霊花魁についての噂話が錯綜していたのは、幽霊花魁と呼ばれるモノが二人居たからなんだな?」
ひとりは階段下の霊。
そして、もうひとりがこの生きた咲夜だ。
咲夜は、そんな那津の問いには答えず、
「ねえ、ちょっと来る?」
と言いながら、階段近くの壁を向く。
そこは、あの町人風の男が張り付いていた壁だった。
そこに手を伸ばした咲夜は板の小さな節にその細い指を突っ込み、引っ張った。
壁が回転し、隠し部屋が現れる。
ちょうど笑い声とともに、近くの障子が開く音がした。
咲夜が落ち着き払っているので、こちらがハラハラしたが、廊下に人の気配がする前に、咲夜とともに、その部屋に滑り込めていた。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
融女寛好 腹切り融川の後始末
仁獅寺永雪
歴史・時代
江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。
「良工の手段、俗目の知るところにあらず」
師が遺したこの言葉の真の意味は?
これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。
春嵐に黄金の花咲く
ささゆき細雪
歴史・時代
――戦国の世に、聖母マリアの黄金(マリーゴールド)の花が咲く。
永禄十二年、春。
キリスト教の布教と引き換えに、通訳の才能を持つ金髪碧眼の亡国の姫君、大内カレンデュラ帆南(はんな)は養父である豊後国の大友宗麟の企みによってときの覇王、織田信長の元に渡された。
信長はその異相ゆえ宣教師たちに育てられ宗麟が側室にしようか悩んだほど美しく成長した少女の名を帆波(ほなみ)と改めさせ、自分の娘、冬姫の侍女とする。
十一歳の冬姫には元服を迎えたばかりの忠三郎という許婚者がいた。信長の人質でありながら小姓として働く彼は冬姫の侍女となった帆波を間諜だと言いがかりをつけてはなにかと喧嘩をふっかけ、彼女を辟易とさせていた。
が、初夏に当時の同朋、ルイスが帆波を必要だと岐阜城を訪れたことで、ふたりの関係に変化が――?
これは、春の嵐のような戦乱の世で花開いた、黄金(きん)色の花のような少女が織りなす恋の軌跡(ものがたり)。

【完結】絵師の嫁取り
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ二作目。
第八回歴史・時代小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
小鉢料理の店の看板娘、おふくは、背は低めで少しふくふくとした体格の十六歳。元気で明るい人気者。
ある日、昼も夜もご飯を食べに来ていた常連の客が、三日も姿を見せないことを心配して住んでいると聞いた長屋に様子を見に行ってみれば……?
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる