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第一章 幽霊花魁
あっけない幕切れ
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どうしたら、階段下に居るという幽霊花魁と波長が合うだろうか。
住み着いている廃寺の庭を掃きつつ、那津がそんなことを考えていたとき、また扇花屋から呼び出しがかかった。
水子の霊が出るという。
今度のお呼びは、桧山からの依頼ではないらしい。
どれだろうな。
水子の霊なら、たくさん出てたが……。
まあ、行くのなら、桜のあるうちに、みなに紛れて行った方がいいか、と思った那津はすぐに吉原に向かうことにした。
那津を呼んだのは、扇花屋では、桧山に継ぐ人気の女だった。
「姉さんが貴方を呼べたのに、私が呼べないなんて」
と言う。
張り合うな……と思ったが、一応仕事だし、仕方がない。
確かに水子の霊も憑いていたことだし、一応、経はあげておいた。
しかし、それで終わることはなく、彼女の桧山への愚痴はいつまでも続いた。
楼主も忙しいらしく、顔を出さなかったので、止めてくれるものもいない。
ついには日が落ち、行灯に明かりが灯り出した。
遊郭が遊郭らしくなっていく、厭な時間。
泣く遊女たちの霊が、昼間よりもはっきりと見えてくるからだ。
この空気を華やかだという連中の気が知れない、と思いながら、階段に向かう那津の前に、いきなり女が現れた。
たゆたう灯りの中で、儚げに美しいその女は、まだ年若い新造のように見えた。
だが、その幻想的な雰囲気の美貌に似つかわしくない、にやりと形容するのが相応しいような笑みを女が浮かべたとき。
ふっと廊下の隅の灯りが消えた。
下から上がってきた油さしの男が行燈の火をつけ直してくれたときには、もう女の姿はなかった。
「今、女が居なかったか?」
那津は訊いたが、細身のその男は無表情に、
「いいえ、どなたも。
気のせいでございましょう」
と言うだけだった。
男は少し頭を下げ、通り過ぎていく。
そのとき、那津は自室が出てきた桧山が、こちらを見ているのに気がついた。
いや、見ているのは自分ではない。
彼女の視線は、あの油さしの男の背を追うように動いている。
そのままそこに居るのも無粋な気がして、那津は階段へと向かった。
ぎしり、ぎしりと鳴る階段の途中で、ふいに声が聞こえてきた。
あー
という女の声だ。
その声の聞こえる場所は階段の上から下へと変わっていった。
やがて、しん、とする。
階段下を見つめてみたが、そこに幽霊花魁らしき霊は居ない。
那津は振り返り上を見てみた――。
「よお、坊さん。
幽霊花魁の絵は描けたかい?」
その日の夜、那津がいつもの店で食事をしていると、この間の男が声をかけてきた。
いつの間に、描いてみせることに決定したんだ? と思いながら、
「いや……」
と答えたそのとき、
「何が幽霊花魁だ」
といつの間にか側に居た小平がいつものようにわめき始める。
「霊なんて居るわけねえじゃねえか」
そう言う小平の後ろには生きてはいない男が座って、酒を呑んでいるのだが。
もちろん、小平は気づいていない。
「お前まだ吉原行ってんのか。
お前みたいな怪しい奴、辻斬りと間違われるぞ」
「辻斬り?」
「主に吉原帰りの客を狙った辻斬りだ。
今の時期、女も多いから、女が狙われている。
まあ、幸い、死んだものは居ないんだが。
辻斬りは着流しに頭巾を被っていて、顔はわからないそうだ。
ま、花魁たちに、ちやほやされながら、幽霊探してるお前にゃ関係ない話か」
酒を呑みながら毒づく小平に、さっきの男が笑って言う。
「さては、旦那、羨ましいんですね?」
「莫迦を言うな。
俺は……吉原が嫌いだ」
いつも騒々しい小平が、そのときだけは沈んだ表情を見せていた。
食事を終えた那津が廃寺に戻ると、妓楼からの使いが待っていた。
もう幽霊騒動は収まったので、来なくてよい、と伝えられる。
どうやら、左衛門は桧山が退治して欲しがっているのが、幽霊花魁だとは知らなかったそうなのだ。
それが知れて、自分をもう呼ばないよう言われたらしい。
断ったのに、使いは金の包みを置いていった。
翌日、那津がそれを道具屋の店先で開いていると、隆次が言う。
「物騒なものを店先で晒すなよ」
刀よりなにより、金こそが物騒なものだと隆次は主張する。
「犯罪者を引き寄せるからな。
江戸はまさかの町って言うだろ」
何が起きてもおかしくない町。
まさかの町と人は言う。
幽霊騒動の顛末を聞いて、隆次は笑った。
「あっけない幕切れだな。
結局、幽霊花魁も見れずじまいか」
「……いや、見れたよ」
那津がそう言うと、隆次は、……へえ、と笑う。
住み着いている廃寺の庭を掃きつつ、那津がそんなことを考えていたとき、また扇花屋から呼び出しがかかった。
水子の霊が出るという。
今度のお呼びは、桧山からの依頼ではないらしい。
どれだろうな。
水子の霊なら、たくさん出てたが……。
まあ、行くのなら、桜のあるうちに、みなに紛れて行った方がいいか、と思った那津はすぐに吉原に向かうことにした。
那津を呼んだのは、扇花屋では、桧山に継ぐ人気の女だった。
「姉さんが貴方を呼べたのに、私が呼べないなんて」
と言う。
張り合うな……と思ったが、一応仕事だし、仕方がない。
確かに水子の霊も憑いていたことだし、一応、経はあげておいた。
しかし、それで終わることはなく、彼女の桧山への愚痴はいつまでも続いた。
楼主も忙しいらしく、顔を出さなかったので、止めてくれるものもいない。
ついには日が落ち、行灯に明かりが灯り出した。
遊郭が遊郭らしくなっていく、厭な時間。
泣く遊女たちの霊が、昼間よりもはっきりと見えてくるからだ。
この空気を華やかだという連中の気が知れない、と思いながら、階段に向かう那津の前に、いきなり女が現れた。
たゆたう灯りの中で、儚げに美しいその女は、まだ年若い新造のように見えた。
だが、その幻想的な雰囲気の美貌に似つかわしくない、にやりと形容するのが相応しいような笑みを女が浮かべたとき。
ふっと廊下の隅の灯りが消えた。
下から上がってきた油さしの男が行燈の火をつけ直してくれたときには、もう女の姿はなかった。
「今、女が居なかったか?」
那津は訊いたが、細身のその男は無表情に、
「いいえ、どなたも。
気のせいでございましょう」
と言うだけだった。
男は少し頭を下げ、通り過ぎていく。
そのとき、那津は自室が出てきた桧山が、こちらを見ているのに気がついた。
いや、見ているのは自分ではない。
彼女の視線は、あの油さしの男の背を追うように動いている。
そのままそこに居るのも無粋な気がして、那津は階段へと向かった。
ぎしり、ぎしりと鳴る階段の途中で、ふいに声が聞こえてきた。
あー
という女の声だ。
その声の聞こえる場所は階段の上から下へと変わっていった。
やがて、しん、とする。
階段下を見つめてみたが、そこに幽霊花魁らしき霊は居ない。
那津は振り返り上を見てみた――。
「よお、坊さん。
幽霊花魁の絵は描けたかい?」
その日の夜、那津がいつもの店で食事をしていると、この間の男が声をかけてきた。
いつの間に、描いてみせることに決定したんだ? と思いながら、
「いや……」
と答えたそのとき、
「何が幽霊花魁だ」
といつの間にか側に居た小平がいつものようにわめき始める。
「霊なんて居るわけねえじゃねえか」
そう言う小平の後ろには生きてはいない男が座って、酒を呑んでいるのだが。
もちろん、小平は気づいていない。
「お前まだ吉原行ってんのか。
お前みたいな怪しい奴、辻斬りと間違われるぞ」
「辻斬り?」
「主に吉原帰りの客を狙った辻斬りだ。
今の時期、女も多いから、女が狙われている。
まあ、幸い、死んだものは居ないんだが。
辻斬りは着流しに頭巾を被っていて、顔はわからないそうだ。
ま、花魁たちに、ちやほやされながら、幽霊探してるお前にゃ関係ない話か」
酒を呑みながら毒づく小平に、さっきの男が笑って言う。
「さては、旦那、羨ましいんですね?」
「莫迦を言うな。
俺は……吉原が嫌いだ」
いつも騒々しい小平が、そのときだけは沈んだ表情を見せていた。
食事を終えた那津が廃寺に戻ると、妓楼からの使いが待っていた。
もう幽霊騒動は収まったので、来なくてよい、と伝えられる。
どうやら、左衛門は桧山が退治して欲しがっているのが、幽霊花魁だとは知らなかったそうなのだ。
それが知れて、自分をもう呼ばないよう言われたらしい。
断ったのに、使いは金の包みを置いていった。
翌日、那津がそれを道具屋の店先で開いていると、隆次が言う。
「物騒なものを店先で晒すなよ」
刀よりなにより、金こそが物騒なものだと隆次は主張する。
「犯罪者を引き寄せるからな。
江戸はまさかの町って言うだろ」
何が起きてもおかしくない町。
まさかの町と人は言う。
幽霊騒動の顛末を聞いて、隆次は笑った。
「あっけない幕切れだな。
結局、幽霊花魁も見れずじまいか」
「……いや、見れたよ」
那津がそう言うと、隆次は、……へえ、と笑う。
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