48 / 58
社長、横恋慕かもしれません
江戸のカクテル
しおりを挟む食事のあと、奏汰は、せっせとセーターを編んでいるつぐみの横に座り、ニュースを見ていた。
こちらを振り向きもしないつぐみを見下ろし、言う。
「つぐみ。
お前、お前の好きな江戸時代にもカクテルがあったの知ってるか?」
えっ? とつぐみは顔を上げた。
一生懸命編んでいる様子が可愛らしくもあるんだが……。
「教えない」
と言い、立ち上がると、ええっ!? とつぐみは編み棒をつかんだまま、声を上げる。
「風呂入ってくる」
本当に教えないまま、つぐみを置いて風呂場に消えると、
ええーっ!?
とつぐみが叫んでいるのが扉越しに聞こえてきた。
笑いをこらえ、湯に浸かる。
翌日、社長室で奏汰が大欠伸をしていると、西和田がやってきた。
「どうかしましたか? 社長」
と訊いてくる。
「いや、寝不足で」
と言うと、なにか身構えたように、
「……秋名ですか?」
と訊いてくる。
「そうなんだ。
あいつ、どうしても自分が編むと言って聞かなくてな。
つぐみが風呂に入ってる隙に、編んでやったら、地団駄踏んで悔しがっていた」
案の定、なにやってるんだ、この二人は、という顔をされた。
「社長、編み物がお好きなら、秋名に編んでやったらいいじゃないですか」
と言ってくるが、別に編み物がしたいわけではない。
そう思っていると、西和田が、
「もしかして、秋名が編み物に夢中なのがお嫌だとか?」
と訊いてきた。
「そんなわけないだろ」
と言う。
そんなわけない……、はずだ……。
いや、ほんとうに……。
昨夜、自分が風呂に入っても、風呂から出ても、つぐみは、せっせせっせと編み物をしていた。
このせっせせっせが可愛いんだが……。
ちょっとはこっちを見てみないか? つぐみ。
そんなことを思いながら、奏汰は必死にセーターを編んでいるつぐみの横から立ち上がる。
しばらくして戻ってくると、
「ほら」
とつぐみの前に、グラスを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
とようやく顔を上げたつぐみがその淡い琥珀色の酒を見る。
これは? という顔をしていた。
「江戸のカクテル。
柳陰だ。
ま、柳陰は上方の呼び方で、江戸では、本直しと言ってたんだが」
つぐみは一口呑んで、
「甘い……」
と呟いていた。
「でも、呑みやすいです」
と氷の入ったグラスを見つめ、言ってくる。
「氷入れたからな。
少しすっきりした感じがするだろう。
焼酎とみりんだから、ちょっと甘いな。
落語の『青菜』にも出てくる江戸時代のカクテルだ。
当時は冷たいのは井戸くらいだったから、井戸で冷やして呑んだそうだぞ」
つぐみはもう一口、口に入れ、
「うん……。
今は、この甘さがすごくいいです」
と呟いていた。
「そりゃ、疲れてるからだ」
と言いながら、側に腰掛けると、
「奏汰さんは呑まないんですか?」
とこちらを振り向き、訊いてきた。
ああ、とキッチンを見る。
自分のは特に作ってはいなかった。
すると、
「はい」
とつぐみがグラスを自分に差し出してくる。
黙って、その琥珀色の酒を見ていると、つぐみが、
「あっ。
私の呑みかけ、嫌ですよねっ」
と言い出した。
「……莫迦か。
恋人の呑みかけを呑まないとかいう男が居るか」
え、いや、えーと……とつぐみは赤くなりながら、出した酒を引っ込めようとした。
莫迦、そうじゃない、と思う。
つぐみが口をつけたグラスを差し出されただけで、中高生のように動揺してしまっただけだ。
「……ありがとう」
と言い、一口もらう。
グラスを受け取るとき、つぐみの指先が触れただけで、緊張してしまっていた。
婚約者なのに。
なんだか酒の味もよくわからない。
つぐみにグラスを返すと、つぐみは機嫌よくそれを呑んだあとで、もう少し編んでいた。
……おい、お前は俺の呑みかけ、気にならないのか。
そんなことを考えている間に、セーターは編み上がり、二人でアイロンをかけ、パーツをつなぎ合せる。
「出来たぞ!」
「出来ましたねっ!」
巨大ダムが完成して喜ぶ人々くらいの勢いで、二人で手を取り、喜び合う。
華やかな草色の立派なセーターが出来上がった。
自分は、ようやく完成して、ほっとしていたが、つぐみは、何故か、すぐに、つまらなさそうな顔をする。
「……終わってしまいました」
と残念そうに呟いている。
おい、そんなに編み物にはまったのか?
また、次の毛糸を買ってくるんじゃないだろうな? と思っていると、つぐみは渋い顔をし、
「奏汰さんと奪い合って作るの、楽しかったのに」
と言う。
そこか、とちょっと笑うと、つぐみはローテーブルに置いていたグラスを取って、柳陰を一口呑み、
「美味しい。
ありがとうございます」
とこちらを見て笑った。
やり遂げた顔で、つぐみは――
いや、半分は、俺が編んだんだが……
セーターを膝に置き、満足そうに酒を呑んでいた。
無意識のうちにか、
「美味しい……」
とまた呟いたつぐみの横顔を見ながら、
「……人になにかしてやるってのもいいもんだな」
と呟くと、
「え? なにか言いました?」
とこちらを見たつぐみが、
「あ、そうだ。
明日、奏汰さんに、違う毛糸と編み棒買ってきてあげますよ。
今度は私が奏汰さんが編むのを手伝ってあげますねっ」
と笑顔で言ってくる。
「いや……結構だ」
1
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説
リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした。今度こそ幸せになります!!〜
ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。
イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。
8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。
※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
怠け狐に傾国の美女とか無理ですから! 妖狐後宮演義
福留しゅん
キャラ文芸
旧題:怠狐演義 ~傾国の美女として国を破滅させるなんて無理ですから!~
「今すぐ地上に行って国を滅ぼしてこい」「はい?」
従属神の末喜はいつものようにお日様の下で菓子をかじりながら怠惰を貪っていたら、突如主人である創造母神から無茶ふりをされて次の日には出発するはめになる。ところが地上に降り立ったところを青年に見られてその青年、滅ぼすべき夏国の皇太子・癸と縁が出来てしまう。後宮入りして傾国の女狐として国を滅ぼす算段を立てていくも、何かと癸と関わるようになってしまい、夏国滅亡計画はあらぬ方向へいくことになる。
「愛しの末喜よ。そなたを俺の后に」「どうしてそうなるんですか!?」
※完結済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる