眠らせ森の恋

菱沼あゆ

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いろいろと迷走中です

不眠なのか……?

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 なんか変な社長押しの人になってしまったじゃないか、と思いながら、西和田が廊下を歩いていると、専務に出会った。

 自分よりも小柄だが、そんなことは問題にならないくらい、如何にも専務、といった風格が貫禄がある。

「やあ、西和田くん。元気にやってるかね」
 足を止め、そう言ってくれる専務に、はい、と最敬礼で頭を下げた。

 院に行くかどうしようか、迷っているうちに、なんとなく就職活動しそこね、なんとなく、コンビニでバイトをしていた自分がこの会社に入れたのも、専務のお陰だ。

「まあ、社長を助けて頑張りなさい」
と言ってくれる。

 頭を下げ、専務が通り過ぎるのを待った。

 ふう、と息をつきながら、
『西和田さんは本当に社長のことがお好きなんですね』
というつぐみの言葉を思い出していた。
 

「なに欠伸してんのよ」
 給湯室から戻って、書類仕事の続きをやっていると、英里が訊いてきた。

「いえ、夕べ、床の上に布団敷いて寝たら、ちょっと身体痛くて」

 畳じゃないし、ラグもなかったからな、と思いながら、肩をまわしていると、
「自分の部屋で?」
と問われたので、黙っていると、

「なによ。
 あんたを床に寝かせるの? あんたの彼氏」
と大きなこえで言い出した。

 声、デカイですーっ。
 みんな振り返ってるし。

 っていうか、社長もこっち見てるしっ!

 たまたま、秘書室を訪れたらしい奏汰が、俺が床に寝かせたんじゃないぞ、という顔をしている。

 ご、ごもっともです……ハイ。


 奏汰が社長室に居ると、西和田が仕事のついでに、
「社長、女性の方を床に寝かせるのはどうかと」
と言ってきた。

 お前、スパイのくせに、そんなことにまで口出してくんなよ、と思いながら、奏汰が家に帰ると、つぐみがソファでまた本を読んでいた。

「今日はなんの本読んでんだ?」
と訊くと、つぐみは慌てて本を隠す。

 読み耽っていて、玄関が開いたのにも気づかなかったようだ。

 ……いっそ楽しみになってきたな、と思っていると、つぐみは、
「すみません。気づかなくて」
と言いながら、さりげない風をよそおい、本をクッションの下に隠していた。

「夕食出来てます」
と立ち上がる。

 ああ、と言いながら、つぐみがキッチンに立ち、背を向けた隙に、そっとクッションを動かして、伏せてある本の表紙を盗み見た。

「不眠の本」

 ……誰が不眠なんだ。

 お前、不眠じゃねえだろ。

 俺も違うし。

 いやまあ、昨日はつぐみが横に寝ていたので、気になって、なかなか眠れなかったが――。

 最初の夜はさほど気にせず眠れたのにな、と自分でも不思議に思っていた。


 ダイニングテーブルを見ると、どうかと思うご馳走が並んでいた。

「何処の国の宮廷料理だ……」
と奏汰は呟く。

 迷走しているぞ、つぐみ……。

「フランスです」
とつぐみは言う。

「手づかみで食事をしていたフランスに、イタリア、メディチ家から来た王妃カトリーヌがお抱えの料理人を連れてきたあとの洗練された宮廷料理です」

 なるほど。
 フォアグラ、キャビア、豚の足などを使った豪華な料理が並んでいる。

「……すみません。明日はお茶漬けにします」
「極端に走るな」

「二千四百万は使ってませんから」
と言うつぐみに、当たり前だ、と言う。

 今度は満腹にさせて寝かせようと言うのか、と思ったら、そうではなかった。

「なに作ったらいいかわからなくて。
 図書館に行ったら、こういう料理の本があったので、綺麗だなあ、と思って眺めてたら、つい」
と苦笑いしている。

「デザートに、カトリーヌがフランスにもたらしたお菓子のひとつ、マカロンです」

 その語り口調に、お前は何処の店の回し者だ……と思ったが、自慢げに脚のある真っ白な皿に盛ったカラフルなマカロンを持ってくるつぐみは可愛らしい。

「カトリーヌの時代のマカロンは、もっと素朴な感じだったみたいですけど。
 今のはカラフルで可愛いですよね」
と微笑む。

 奏汰がキャベツのスープを口にしながら、
「いや、まあ、美味いよ」
と言うと、

「ほんとですか?」
と笑う。

「……でも、毎日はやめてくれ」

 了解で~す、とつぐみは笑って言っていた。
 

 食事のあと風呂に入り、ソファで並んでテレビを見ていると、つぐみがソワソワした風に、
「もう九時半ですよ。
 まだ寝ないんですか?」
と言ってきた。

 子どもか。

「不眠症ですか?」

 阿呆なのか?

「眠れないのは、交感神経に対して、副交感神経が優位に立っていないからです。
 自律神経のバランスが取れてないんです」
と今得たばかりらしい怪しい知識を披露し始める。

 だから、九時半だ……と思っていると、いきなり、つぐみに手首をつかまれた。

 そのまま向き合って座り、つぐみは脈を測っている。

「ほら、脈も乱れています」

 ……お前が手を握っているからだ、莫迦者、と思ったが言わなかった。

 つぐみに手を取られたくらいで動揺していると知られたくなかったからだ。

「脈が乱れているときはレム睡眠だそうです」

 今、起きてるだろうが……。

「そして、これが安眠のツボです」
と手を伸ばし、耳の後ろに触れてくる。

 そのまま、ぐりぐりツボを探し始めた。

 なにをするっ! と思ったが、つぐみは、
「あれ?」
とか言いながら、本を広げて見つつ、また耳に触ってくる。

 いや、正確には耳の後ろなのだが。

「尖った骨のちょい下。

 ――ん?

 後ろからやった方がいいのか」
と後ろに回り込み、今度は、

「首を包み込むようにして、押す」
と両手で触れ、

「ゆっくり撫でるように、押す」
と指先でやわらかく押し始める。

 ぞわっと来るからやめろっ!

 襲われたいのかっ! と思っていたが、なんだか言うと負けなような気がして言えなかった。

「で、此処が神門しんもん
 精神を安定して、ストレスを緩和するそうです」
と言いながら、また前に回り、本を片手に耳をつかんでくる。

 やめろーっ、とついに、つぐみの手を払った。

「安定しないだろっ、精神っ!」

 思わず叫ぶと、つぐみは、なんで? という顔をしたあとで、安眠のための本を見下ろし、
「効きませんね、ツボ」
と呟いていた。

 いや、お前が押すからだ……、と思っていると、
「そうだ。
 お酒、呑みませんか?

 呑みたくなるツマミを習ってきたんです。
 海野うんのさんに」
とつぐみは言い出す。

「海野さん?
 総務のお局様じゃないか。

 どうやって習ってきたんだ?」

 若い女子社員の顔を見たら、意味もなく怒鳴りつけると噂なのに、と思っていると、
「いや、社食で一緒になったら、料理についてのご講義が始まったので、これ幸いと訊いてきました」
と言う。

「そりゃ、さぞ、喜んで話してくれたろうな」

 普段、若い子たちはみな煙たがって、彼女の話には、はいはい、と頷いているだけだからだ。

 つぐみは笑い、
「社長でもお局様とか言うんですね」
と言う。

「みんなが言ってるから、ついな。
 っていうか、あの人、俺にも平気で怒鳴りつけてくるぞ」

 俺が子どもの頃から居るからな、と言うと、つぐみが笑う。

「嬉しいんですね、それが」

 俺は嬉しいのか?

 ……そうなのか?

 まあ、社長になったら、怒鳴りつけられることもないからな。

 初めて知ったな、自分の感情なのに、と思っていた。

「……やっぱり呑むか」
と言うと、はいっ、とつぐみは実に嬉しそうに言う。

 可愛いが、これって、俺にさっさと寝てくれって思って笑ってるわけだよな。

 機嫌良くキッチンに入っていくつぐみの後ろ姿を見ながら、吹き矢で撃ってやろうかと思った。



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