眠らせ森の恋

菱沼あゆ

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まるで、嫁入りです

モスクワのラバ

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 ほら、と奏汰は、こちらにモスコミュールの入ったマグカップを向けてくる。

 ちゃんとライムまで差してあった。

 自宅で呑むのに芸が細かいな、と思いながら、口にする。

「美味しい。
 この間お店で呑んだのより」
と言うと、奏汰は、

「だろう?」
と勝ち誇る。

 まあ、カクテルが美味しいかどうかはその人の好みに寄ると思うが。

 奏汰のモスコミュールは甘みが少なく、すっきりして呑みやすかった。

 冷たさが心地よく感じられる銅製のマグカップに入っているのもいい。

 さすがこだわりの男、と思っていると、
「お前、モスコが好きなのか」

 だが、程々にしとけ、と奏汰は言ってくる。

「モスクワのラバに蹴られたくらいアルコールが強いって意味で、モスコミュールって名前だって俗説があるくらいだからな。

 婚約者の俺が手を出してないのに、他所で酔って、他の男に手篭めにされたとか勘弁だからな」
とどさくさ紛れに言ってくる。

 奏汰はサラミやスモークチーズを出したあとで、自分も手早く作って呑みながら、
「次はなにがいい?」
と訊いてきた。

 まだ呑み終わってないんだが、自分の腕前を披露したくて仕方ないようだな、と思いながら、
「じゃあ、ソルティドックで」
と言うと、

「つくづくベタだな、お前」
と言ってくるが。

 呑みやすくて美味しいので、大体、店でもまず、モスコミュール、次がソルティドックの順で呑んでいる。

「ウォッカベースの酒が好きなのか? じゃあ、次はスクリュードライバーか」
と訊いてくるので、

「いえ、カルーアミルクで」
と言うと、いきなりか、と言ってきた。

 しかし、カルーアはちゃんとあったようで、ソルティドッグのあと作ってくれた。

「カルーアミルクはホットも美味いぞ」
と言ってくるので、

「じゃあ、次はホットでお願いします」
と言うと、奏汰は、はいはい、と言って、本当に作り始めた。

 おっと社長をずっと働かせてるな、と気がついて、立ち上がり、
「では、私が一品」
と唐突に茄子を切り始め、炒めて、醤油を鍋肌に流す。

 醤油の焦げるいい匂いがした。

「人がお洒落な雰囲気を醸し出しているのに、何故、突然、と思うが。
 シンプルだが、美味いよな。

 油と茄子もよく合うし」

 よし、なんでもありなら、俺はししゃもを焼くぞ、と言い出す。

「ありましたっけ? ししゃも」
「なかったら、買いに行こう」

 二十四時間スーパーはすぐそこだ、と言い出す。

 ええっ? 勘弁してくださいよーっ、と言いながらも、社内のつまらぬ話などしながら、楽しく呑んだ。

 なにか結構笑った気がするのだが、あまり記憶にない。

 ソファに移動したあと、途中で奏汰が、
「本当に酔わないな」
と上目遣いにこちらを窺いながら、言ってきたので、

「いや、今日は、酔ってないというわけでもないんですけどね。
 やはり、家だという安心感があるからでしょうか」
と言うと、奏汰は伏し目がちに何故か笑う。

「右向いて左向いたら記憶がなかったりもするんですけど」
と言うと、……もう寝ろ、と言われた。

 奏汰は立ち上がりながら、
「歩けるか?
 部屋まで連れてってやろうか」
と言ってくる。

「え? どうやってですか?」
と問う、つぐみの頭の中では、死体のように腕か脚をつかまれ、引きずられて行っていたが、そうではなかった。

「お姫様抱っこに決まってるだろ。
 好きなんだろ? 女子」

「あー、いいですねー。
 襲わないのなら、どうぞ運んでください」
と言うと、

「襲うに決まってるだろ」
と奏汰は淡々と言ってくる。

「何故ですか」

「何故ですかって、お前の夫になるからだ」

「まだなってませんし、私、初めてなのでやめてください」

「じゃあ、一生そのままで居るつもりか」
と何故か社内で訓示をたれているときのような、立派なご高説が始まる。

 単に手篭めにしたい、という話のようだが。

 言葉を変えて言ってみるもんだな、と感心して聞いていた。

「あのーでも、社長は私には興味関心がないように感じるのですが。
 何故、襲おうとなさるのですか?」

「白河さんに子どもを見せるためだ」

 いや、ちょっと待て、と思う。

「俺は、本当に白河さんにはお世話になったんだ。

 うちの父親が周りの人間が信用できなくなって、世捨て人みたいになったとき、白河さんが別荘に匿《かくま》ってくださって、本当にお世話になった」

「社長のお父様って、前社長ですよね?」

「今は山にこもって、立派な陶芸家になっている」

 そ、そうなのですか。

「俺が後を継げそうになかったのに、白河さんが押してくださって、今の地位に居る。うちの一族に顔が利くからな」

 本当に感謝してるんだ、と奏汰は言った。

「俺のために俺が社長で居たかったというより、父親が気にするから、そうしたかっただけなんだが」

「……いいお話ですね」
と言いながら、だからって、それで私が襲われるというのもおかしな話ですが、と思って聞いていた。

「でも、結婚前にそういうの、白河さんのようなご年配の方はお嫌なんじゃないですか?」
と言うと、

「大丈夫だ。
 どうせお前はすぐにはさせないだろう。

 少しずつ、慣らしていこう」
と大真面目に言われる。

 なにか手を繋いで、プールで子どもを水に慣らす親みたいだな、と思いながら聞いていた。

「まあ、今日は疲れたろうから、なにもしないでおいてやろう」
と言って頭を軽くぽんぽんと叩かれる。

 俺も疲れた、と言う奏汰に、そうか、とつぐみは思った。

 毎晩、社長を疲れさせたりして、早く寝かせれば襲われないかも、と思っていると、いきなり奏汰がソファに座るつぐみの身体の下に手を差し入れてきた。

 ひょいと軽く抱えられる。

「今日は大サービスだ。
 なにもしないが、運んでやる」
と言ったあとで、

「そうだ。
 家では、社長はやめろよ」
と言ってきた。

「会社に居るみたいだし。
 無理やり秘書を連れ込んでるみたいで落ち着かないから」
と言う。

 それ、後半の話は、なにかひとつでも違いますかね、と思いながら、眠いので、そのまま運ばれた。

 『社長』じゃなかったら、なんて呼んだらいいんだろうな。

 奏汰の腕の中で揺られながら、
「半田さん」
と唐突に呼んでみた。

「なんで名字だ……」
と奏汰が言う。


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