眠らせ森の恋

菱沼あゆ

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今日から婚約者なんだそうです

ちょっと敵には回したくない人だな

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「これより、お前を俺の婚約者に任命する」

 つぐみが社長室に呼ばれて行くと、奏汰はいきなりそんなことを言い出したあとで、
「……お前今、舌打ちしなかったかっ?」
と言ってくる。

 いや、舌打ちはしていない。

 そんな顔をしただけだ。

「ただし、社外だけだ。
 社内で絶対にデカいツラするなよ」

 どうやら、本気で結婚する気はなさそうだ、とほっとしていると、
「それから行儀見習いでうちへ住み込め」
と言い出した。

「だ、誰がご指導くださるのですか?」

 社長のお母様とか? と怯える。

 嫁でもないのに、嫁いびりとか勘弁だ、と思っていると、
「俺だろう」
と言う。

 どうやら、社長は一人暮らしのようだった。

 今まで、ただの一社員だったので、そんなことも知らなかった。

 いや、これから先もただの一社員で居たかったのだが。

 そんなことを思っていると、奏汰は、
「いや、明らかに他人っぽいから、いずれ、白河さんにお前をご紹介するまでになんとかしたいだけだ」
と言ってくる。

「一緒に住んでるだけでも、少しは恋人らしく見えるだろう」
と淡々と言ったあとで、

「まあ、俺と結婚することは黙っておいてやる」
と恩着せがましく言い出した。

「西和田ごときとちょっと親しくしただけでやられたんだろ?
 またいじめられるだろうからな」

 そう言う奏汰を上目遣いに窺いながら、
「あのー、西和田ごときって」
と訊いてみると、奏汰は、

「ああ、あいつ、専務のスパイだから」
とあっさり言ってくる。

「本人からこの間お聞きしましたが。
 社長は、なんでそれ、わかってて西和田さんを使ってるんですか?」

「いや、尻尾を掴まれたくないのと、クビになるわけにはいかないのとで完璧に仕事をやってくれるだろ」
と奏汰は言う。

 この人、敵には回したくない人だな、と思っていると、こちらを向いて、奏汰は、にやりと笑う。

「お前も、いずれ破談にしたとき、お前のせいだと周りに言われたくないのなら、せいぜい、いい婚約者を演じるんだな」

 ほら、戻れ、新人、とさっさと出て行くよう、急かされた。

 

 なんだかわからないまま、奏汰に丸め込まれ、またふらついて奥の院から出ていくと、社長室に入ってすぐのところにある秘書用のデスクで書類をまとめていた西和田が、顔を上げ、

「どうした?」
と訊いてきた。

 つぐみは、よろりと彼の向いのデスクに手をかけ、言った。

「もう駄目です。
 私の人生終わりました。キズモノです」

 だが、西和田は、
「別にいいじゃないか。
 社長に傷物にされるんなら、責任取ってくれるだろ」
と軽く言ってくる。

「いや、そういう問題じゃ……。
 っていうか、あれ、責任取る気あるんでしょうかね?」
となにをされたわけでもないが、既に人生に傷がついた気がして、そう訊いてしまう。

 今まで、誰かと付き合うでもなく、堅実に、というか、ぼうっと生きてきたのに、突然、何故、こんなことに、と思っていたからだ。

 此処で訂正しておかないと、西和田さんの中で、私は既に社長に手篭てごめにされたことになってしまう、とは思っていたのだが、今、それを正す元気はなかった。

 西和田はチョコレートの扉を振り返りながら、
「お前、相手が、あの社長でなんの不満があるんだ」
と言っている。

「いやあの、西和田さん、敵なんですよね?」
と思わず、確認してしまった。


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