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第三章 あやかしは清涼殿を呪いたい

猛烈に急いでいますっ

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 鷹子は女房たちを引き連れ、走るわけにはいかないので、出来るだけ早足で移動していた。

 誰かに出くわすたび、スピードを落とし、しずしず歩くのを忘れないようにしながら。

 なんとかたどり着いた花朧殿かろうでんでは女房がひとり待っていた。

 すぐに鷹子を通してくれる。

 先に連絡してあったからだ。

 いつも艶やかな花朧殿の女御が現れる。

「なにか変わったものを持ってこられたとか」

「はい。
 いろいろお世話になりましたので」

 鷹子は女房に命じ、花朧殿《かろうでん》の女房に、その玻璃のグラスを渡させる。

 紅いクリームソーダだ。

 少量しか用意できなかったが、ちゃんとアイスもついている。

 その上にクリームソーダと似た色のシロップづけ支那実桜 しなみざくらの実もちょこんとのっていた。

「あら。
 鮮やかね。

 これは飲み物?」

花朧殿かろうでんの女御様の雰囲気にあわせて作ってみました。
 このたびは、いろいろとご相談に乗っていただき、ありがとうございました」

 ちなみに、この色は紅花でつけました、と鷹子は説明する。

 わざと綺麗に混ぜなかったので濃い紅色の部分とただの炭酸の部分でグラデーションになっていた。

 中には、ちっちゃな氷が数個。

 透明感ある紅色のサイダーの中を、ぽこぽこと上がってくる泡も愛らしい。

 卵が入ってないので、真っ白なアイスと紅いソーダの境もいい感じだ。

「美しいわね……」

 花朧殿の女御は毒見も通さず、自分でいきなり口にしようとした。

「あ、女御様」
と鷹子がそれを止める。

「これを」

 鷹子は密かに作っておいた麦ストローを差し出した。

 グラスに口をつけて飲んだら、女御の美しい口許がアイスで汚れると思ったからだ。

 古代メソポタミアではまだビールに不純物が多く、それを避けるためにあしの茎を使って飲むようになったのがストローのはじまりらしい。

 もっとも、金持ちは金でストローを作ったりもしていたようだが。

 やがて、麦わらなどがストローとして使われるようになり、わらという意味のstrawストローという名で呼ばれるようになったと聞いた。

 鷹子は現代の喫茶店で麦ストローを見たことがあった。

 プラスチック削減のため、麦ストローが見直され、ふたたび使われるようになっていたからだ。

「麦で作ったんです。
 これを飲み物にさして、液体を吸い上げます。

 紅があまりとれなくていいですよ」
と言うと、女御は興味を示す。

 麦ストローは、麦の節と節の間をカットし、薄皮を剥がして、煮沸したあと、天日に干して作った。

 大量に作ると大変だろうが、みんなでちょこっとしか作らなかったので、結構楽しかった。

「細いのでちょっと吸いにくいかもしれませんが」
と鷹子が言った瞬間、吸った花朧殿の女御が、いきなりむせた。

「毒っ!?」
と花朧殿の女房たちが慌てる。

「いえいえ。
 それは、そのぽこぽこした泡、炭酸のせいです。

 喉で弾ける感じが楽しいと思いますが、いかがですか?」

 炭酸飲料に慣れないこの時代の人には刺激が強すぎるかと思ったが、さすが、好奇心旺盛な花朧殿の女御。

 うん、と頷き、もう一口啜る。

「このパチパチする感じがたまらないわ。

 甘いわね。
 支那実桜の実の味と香りがする」

「紅花で色をつけたので、それっぽい味にしてみました」

 支那実桜の実の汁だけでは甘くないので、もちろん砂糖も入れてある。

 そんな話をしている間に、かなりアイスが溶けて紅色のソーダはピンクっぽく変わってきていた。

「また色が変わってきたわ。
 あなたは不思議なものを作るわねえ。

 ……こういうもので帝をとりこにしているのかしら?」

 そう言い、にやり、と花朧殿の女御は笑う。

 俗に言う、胃袋をつかむというやつだろうか。

 いや、特につかみたくはないのだが……と思いながら、鷹子は、
「いえいえ、そういうわけでは。
 では、次がありますのでっ」
と早々に退出しようとする。

「次?」
と花朧殿の女御に訊かれ、ふふ、と鷹子は微笑んだ。

「何種類か作ってみたので、皆様にお配りしようかと。
 ああ、炭酸水が手に入るようになりましたので、これとはまた違う良いものができそうですよ。

 またお持ちしますね」
と言って、鷹子は去っていく。

「慌ただしいわね~」
と御簾の向こうで呆れたように女御が言うのが聞こえてきた。


「女御様。
 何故、こんなに急がれるのですか?」

 一緒に移動する命婦が早足な鷹子に訊いてくる。

「炭酸が抜けるからよっ」

 そもそもがふんわりとした栓しかできないまま運んで来ているのだ。

 急がねばっ。

 鷹子はあの御簾の前で足を止めた。

 そこが何処か気づいた命婦が、ひっ、と息を呑む。

「中宮様っ、お目通りをっ」

 花朧殿には知らせを出せたが、中宮の許には人ではない女房たちしか居ない。

 若い女房に訪ねさせても返事すらしてもらえないだろう。

 なので、予告もなく中宮の居室を訪れ、いきなり御簾越しに呼びかけたのだ。

 すると、御簾をかい潜ってあの黒猫が姿を現す。

 その場にしゃがみ、鷹子は言った。

「中宮様っ」

 すると御簾の向こうで、中宮寿子ひさこの声がした。

「何度言ったらわかるのじゃ、それは猫じゃっ」

 御簾が舞い上がり、あの良い香りの立ち込める中、中宮の声がした。

「ひとりだけ連れて入れ、斎宮女御よ」

 鷹子は命婦を見た。

 命婦はなにがなんだかわからない様子だった。

 なにも見えていないし、聞こえていないのかもしれない。

 だが、命婦は覚悟を決めたように鷹子を見、頷いた。

 若い女房からもうひとつのグラスを命婦は受け取る。

 美しく透明感ある青色のクリームソーダだ。

「では、中宮様、失礼致します。
 みんなは待っていて」

 女房たちに此処に居るよう声をかけ、鷹子は命婦とともに、ふたたび御簾の内に入っていった。


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