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第一章 鵺の鳴く夜
欲しいのは、蘇ではありません
しおりを挟む典薬寮は医療関係の部署で、薬や薬草などの管理もしている。
牛乳や乳製品も薬として扱われていたため、それらを扱う乳牛院も典薬寮の中にあった。
「何故、乳牛院に行きたい」
と吉房は鷹子に訊いてくる。
「私の女御ともあろうものが乳牛院にわざわざ出向くなどと。
なんの用があるというのだ」
な、なんの用だと言われましても。
「う、牛に会いたいんです……」
答えに困って、鷹子はそう言った。
「……牛に、あはれでも感じたか。
では、今度、牛車で連れていってやる」
存分に牛車から牛を眺めよ、と言ったあとで、吉房は気づいたようだった。
「待て。
それなら、わざわざ乳牛院まで行かずとも、その牛車の牛を見ていればいいではないか」
今、ものすごい間抜けな構図が、私の頭に浮かびましたが……。
鷹子の頭の中では、鷹子が牛車から身を乗り出し、長い黒髪を風にたなびかせながら、先頭にいる牛の顔を眺めていた。
「いやあの、すみません。
ほんとうは、牛の乳が欲しくて」
と白状すると、
「お前が望むなら、なんでも手に入れてやると言っただろう。
牛の乳は確かに高価だが。
私なら簡単に手に入る。
お前が好きとは知らなかったが、いつでもお前が欲しいだけ用意しよう」
そう吉房は言ったが。
いや、それをですね。
加工したいわけですよ。
でも、ここでやるのはどうかな~と思うし。
ここが自分たちの世界とは違うとしても。
今ここにあるはずのないものを作って、歴史が狂ってしまわないかな~と思うんです。
鷹子は、うーん、と考えたあとで、言った。
「あのですね。
実は、ここだけの話にして欲しいんですけど」
「なんとっ。
お前と私だけの内緒ごとかっ」
と何故か吉房は喜ぶ。
いや、まあ、ここ、人払いしたところで、命婦たち、聞いてますけどね。
そう思いながらも、鷹子を少し身を乗り出した。
すると、吉房も身を乗り出す。
声をひそめて鷹子は言った。
「実は、最近、たびたび夢に見るのです」
鷹子が夢で見たオープンカフェの様子を語ると、ふむふむ、と頷き、吉房は言う。
「この間言っておった宴のことだな。
内緒だが、今、用意しようとしておる」
……今、言ったら、なにも内緒になってません、と思いながら、鷹子は、
「いえいえ、宴などいいのです。
堅苦しくて疲れますから」
と思わず言って、
「あ、すみません」
と謝る。
せっかく準備してくれているのに悪かったなと思ったからだ。
「そうか。
お前が嫌ならやめておこう。
宴に、また鵺でも現れたら困るからな」
「……そうですね。
いやまあ、私はただ、そのような開放的な場所で、夢で見たような甘いものを食べたいわけです。
でも、所詮、夢で見たものですから、おいしくできるかもわからず、ひっそりと作って。
ひっそりと味わってみたいかなあなんて」
なるほどなるほど、と吉房は頷くが。
ほんとうにわかっているのかな、と鷹子は不安になっていた。
「わかった。
とりあえず、牛の乳を運ばせよう。
蘇を作ったりするわけではないのだな?」
蘇は牛乳を煮詰めて作る加工食品だ。
現代でも土産物屋で売っていたりする。
まあ、蘇なら税として納められているから、普通にあるのだが。
欲しいのはそれではない。
「蘇ではパンチが……
失礼。
インパクトが……
えーと、いまいち印象に残りませぬ」
ここの言葉でなんと言っていいのかわからず、鷹子は何度も言いかえた。
現代の記憶が蘇ってからは、言葉もそちらに引きずられがちだった。
「わかった。
他に必要なものなどあったら、なんでも私に言え」
「はい」
と鷹子は手をつき頭を下げたが、吉房は、何故かまた同じ言葉を繰り返す。
「他に必要なものなどあったら、なんでも私に言え」
「……は、はい?」
と頷きながら、鷹子は小首を傾げる。
実は吉房は、私ではなく、晴明に頼んだりするなよ、という意味で言ったのだが、口には出さなかったので、鷹子にはもちろん、伝わってはいなかった。
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