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ついに来ました、ヤツが
帽子を被って楽器をかき鳴らしそうなイケボの人が現れました
しおりを挟む開店祝いだと祝儀袋を置いて、彼らは去っていった。
他の客が居たので、見送れなかったのだが、いや、いいいい、と言って帰っていった。
気のいい人たちだ。
「私、逸人さんのお友だちに初めて会いました」
と休憩時間に言うと、
「……いい奴ばかりだからな」
と自分で作った賄を片付けながら、逸人は言う。
何故、いい人なら、私が会ったことないのでしょう、と思いながら、芽以がまだ賄いの炒飯を食べていると、誰かが裏口の戸を叩いた。
はーい、と立ち上がる。
戸を開けたが、誰も居ない。
おや? と思いながら、外に出ると、店の前に止まっている軽トラから、青果市場で見るような大きな青いカゴを抱えた男がやってきた。
ヒゲを伸ばしたどっしりとした体格の男だ。
「こんにちは。
私、神田川と申します。
逸人さん、いらっしゃいますか?」
と笑う。
神田川は、日本人が勝手に抱いているイメージの中のメキシコ人風だった。
彼らがみんな、あんな帽子を被って楽器をかき鳴らしたりしているわけでは、もちろん、ないのだが。
「この間お話ししたパクチー持ってきましたとお伝えください」
「神田川さん、パクチー農家さんなんですか?」
とカゴの中の大量のパクチーを見ながら、芽以が訊くと、
「いやいや。
最近作り始めたんですよ。
要望が多くて」
と神田川は笑う。
意外にイケメン声で、あれっ? この人、若いのかな、と思った。
ヒゲのせいか、よくわからない。
「逸人さーん」
と戸を開け、中に呼びかけたが、なにか用事をしていたのか、逸人はすぐには来なかった。
レストランからの要望で始めたパクチー作りの話をしているうちに、神田川も、パクチー嫌いなことが判明した。
「ブームとはいえ、苦手な人、まだまだ多いですよね。
でも、丹精込めて育てたので、美味しく食べていただきたいです。
……私は食べられませんが」
と人の良さそうな笑顔で言ってくる。
「私もですっ」
と芽以はパクチーを手に、商品の説明をしていた神田川の日焼けした分厚い手をつかんだ。
「私もパクチー苦手なんですけど。
逸人さんが作ったお料理、みなさんに、美味しく食べていただきたいですっ」
と言うと、
「逸人さん、いい奥さん、もらわれましたね」
と神田川は微笑む。
あれっ? と思った。
「……ご存知なんですか?」
私たちが結婚してること、と窺うように見ながら問う。
別に隠しているわけではないが、そうおおっぴらに言ってもいないからだ。
現に、さっきのご友人たちも知らなかった。
「はい。
うちは代々、相馬家に無農薬野菜を納めさせてもらってるので」
と神田川は言う。
そういえば、さっき、逸人さん、と名前で呼んでたな、と思ったとき、目の前に先端のよく尖った肉切り包丁が出てきた。
「芽以、その手を離せ」
ひっ、と思いながら、芽以は、うっかり神田川の手に触れたままだった手を離す。
「三分以上、男と話すな。
ふしだらな女だな」
といつの間にか後ろに立っていた逸人が言ってきた。
ははは、と神田川が笑う。
「いや、私のようなものまで、そういうくくりに入れていただいてありがとうございます」
「いえいえ、神田川さんは素晴らしい方です。
いいですね、このパクチー。
吐き気がするほど、香り高くて」
と逸人は素敵な笑顔で言い出した。
そのまま、二人はパクチーの出来について語り合う。
「いや、我ながら、これはいい出来なんですよー。
うちの母親、収穫に行って、むせかえるような匂いで具合が悪くなったって、帰ってお香の匂い嗅いでましたからねー」
「それは素晴らしい」
なんだかわからないが、楽しそうだ……。
ま、それはいいんですが。
私の前から包丁を退けてください、逸人さん、と思いながら、芽以は身動きできないまま、立っていた。
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