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お客さんと心がひとつになりました
くノ一にすら、なれない女
しおりを挟む「可愛いわねえ、芽以は」
芽以がお茶を淹れてくれるというので、逸人は、砂羽と一緒に窓際の席に来ていた。
砂羽は厨房を見ながら、
「芽以が圭太を好きだったかはわからないけど。
ずっと側に居て、なんとなく、そんな風だったのに、いきなり放り出されたから、ショックでないはずはないと思うのよ。
なのに、泣きもせずに、ああして、あんたに付いて働いてる。
圭太の遺言だから、あんたに従ってるのかしらね?
それとも、少しはあんたに気があるのかしら?」
と言ってくる。
相変わらず、いきなり核心を突いてくる奴だ……と思いながら、暖かい日差しを背に浴びながら、逸人は姉の顔を見る。
「遺言って、圭太、死んでないだろ」
「いや、もう死んでる。
なんか人として、死んでる」
仕事はちゃんとやってるんだけどねえ、と砂羽は言うが。
そんな生気のない社長にみんな付いていくのだろうかと不安になる。
「圭太は優しいからね。
なんだかんだで、自己犠牲の人よ。
あんたは譲らないわよねえ。
結局、芽以を手に入れた」
いや……なにも手に入ってない、と思う。
芽以の心は自分を向いてはいないし。
一緒に住んでいても、そんな芽以に手を出すことさえ出来ずに居る。
「俺が奪ったわけじゃない。
圭太が俺に押し付けたんだろ?」
「これ幸いともらったじゃない。
なんで、頑張って、圭太の許へ行けと背中を押してやらなかったの?
芽以の方から押してたら、圭太は折れてたわよ」
そんなこと、わかってたでしょう? と砂羽は言うが。
いや、まったく言わなかったわけじゃないし。
芽以との結婚を迷わなかったわけでもない。
だから、圭太に言われ、芽以に電話をかけたとき、すぐに来いと言った。
自分の覚悟が揺らぎそうだから。
圭太を好きなままの芽以と結婚する覚悟――。
「会社は圭太にくれてやったから、芽以はもらってもいいと思ったの?」
「なんで俺が責められてんだよ。
圭太は芽以より会社を選んだんだ。
だから、俺もそこまでの覚悟があるのなら、と圭太の邪魔にならないよう、会社を辞めたんだ」
「それで嫌いなパクチーの専門店開いちゃうのがあんたよね?」
そういうとこは、とことん自分に厳しいのかしら、と砂羽は笑う。
「いや……」
それはちょっと違う、と思っていた。
自分がパクチーの店を開いたのには訳がある。
そして、それを続ける決心が出来たのにも訳がある――。
「ともかく、圭太は芽以を捨てて、会社を選んだんだ。
俺なら、会社を捨てて、芽以を取る」
思わず、そう言ってしまい、一瞬、あっけに取られたような顔をした砂羽だったが、すぐに笑い出した。
「あれだけ、必死に仕事してたのにね……。
あんたの方が、実は情熱的ね、逸人」
でも、後悔はない? と砂羽は訊いてくる。
「その顔が障害になるかもよ。
圭太とそっくりな、その顔を見るたび、芽以は圭太を思い出す」
そう言って、そっと頬に触れてきた。
子どもの頃のように。
そのとき、芽以がおっかなびっくりお茶を運んできた。
どうやら、淹れすぎたようだ。
こぼさないよう、抜足し差し足やってくる。
……大丈夫か、この店員。
客が居ないと、すぐに気を抜くようだ。
姉は自分が芽以を妻として手に入れたと思っているようだが。
いや、手に入れたのは、いまいち使えるんだか使えないんだかわからない、忍者もどきなんだが。
あくまで忍者で、色仕掛けを使ってくるくノ一ですら、ない。
そんなことを思っていると、お茶を置くとき、案の定、芽以は、立ててあるメニューにお茶を飛ばした。
「ああっ、すみませんっ」
と芽以は、ふきんで拭こうとして、手にしたメニューを見、
「前から思ってたんですけど。
アヒージョって、女の人の名前みたいですよね」
と言って、笑う。
「……逸人。
もう一度訊くけど、後悔はない?」
と砂羽が訊いてきた。
はあ、まあ……たぶん……。
……きっと。
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