あやかし吉原 弐 ~隠し神~

菱沼あゆ

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隠し神

玉菊灯籠

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「忠信。
 久しぶりだな。

 ……ほんっとうに久しぶりだな。
 なにをやっておったのだっ」
と道信の屋敷を訪ねた那津は怒られた。

 誰も居ないのに、忠信と呼んだのは、なかなか忠信として仕事に行かないことに対する嫌味だろう。

 廊下を歩きながら、道信はまだ言ってくる。

「まだ体調が悪いからと言ってあるが。
 吉原をフラフラしてたら、何処が体調が悪いんだと言われるだろうがっ」

「すみません。
 上から内密に頼まれて動いているとでも言っておいてください」

 道信はやれやれ、という顔して言う。

「まあ、突然、姿を消したり、現れたりしていたし。
 そんな風に勘繰ってる連中も居るようだから。

 上手いこと言っとくさ」

 お待ちかねだよ、と道信は座敷の方を見た。



 座敷には平伏した年配の男が居た。

 顔を上げ、
「那津様。
 このたびはご面倒をおかけ致しまして」
と言う。

「いや、たまたま見覚えのあるものが目についたから」

「申し訳ございません。
 城下を見回っている途中にすられまして」
とその男、『じい』は苦笑いして頭を掻く。

「家秋様にいただいた根付だったので、心底困っておりました。
 やはり、隠し神の仕業だったのですね。
 戻ってくると良いのですが」

「じいに戻す機会がなければ、戻せないだろうな。
 意味もなく、町中をうろついてみたらどうだ。

 隠し神を名乗る者――

 いや、ひとりではないような気もするが。

 その窃盗団は、とりあえず、金になりそうな物をいくつが奪って、いくつか戻すを繰り返している。

 これは使えそうだ、とか、高く売れそうだ、とか。

 あるいは、本人に高値で買い取らせたらよさそうだ、とか、見極めたあと。

 それ以外のものを戻し、安心させているようだった。

「家秋からもらった物だと気づかなければ、ただの根付と思って返してくるんじゃないか?」

「そうですねえ。
 すりとられたのは、あの根付と煙管きせるで。

 このじじい、ロクなもん持ってねえな、と思われて、そのうち返されるかもしれませんな」

 まあ、待ちましょう、とじいは笑う。

 それと……と言いかけ、那津はやめた。

「今度、最中の月をおごってよ」
と言っていた愉楽の顔が頭に浮かんだからだ。

 協力させておいて、お得意様をつぶすのも申し訳ないな、と思ったのだ。

 愉楽の客の大名は、人に見つかってはまずいものをすられたと言っていた。

 調べてみたところ、妙な感じに羽振りがいい。

 怪しい動きも見られるし。

 大事に隠し持っていた密貿易の割符でもすられたのかもしれない。

 もしかしたら、吉原にもなにかの取引をするために、通っていたのかもしれないなと思う。

 隠し神に相当ふんだくられるかもしれないが、そのうち、割符は戻ってくるだろう。

 密貿易がなにかの役に立つこともあるかもしれないし。

 まあ、ほっとくか、と思った。

「いや、なんでもない」
と話をまとめると、じいはまた平伏して言う。

「ありがとうございました。
 那津様、ぜひ、お礼を」

「いや、こちらこそ。
 こんなに自由に過ごさせてもらっていて、なにかしなければと思ってはいるんだ。

 ……そうだ。
 家秋の影武者でもやってやろうか」

 滅相もございませんっ、とじいは慌てる。

「那津様。
 そんなことより、このままでは、じいの気が済みませぬ。

 じいでできることなら、なんでもおっしゃってください」

「そうだな。
 ……じゃあ」


 七月。
 吉原は玉菊灯籠の灯りで埋め尽くされる。

 趣向を凝らした提灯見たさに集まっている江戸の人々の前に花魁道中が現れ、更にその目を楽しませる。

 禿や新造たちを従えた愉楽も現れ、チラとこちらを見たが、一瞬のことだった。

「明野だ」

「明野の花魁道中だ」
と遠くで声が上がる。

 いなせな若い者に傘を差し掛けられ、咲夜がやってきた。

 灯籠のあかりに照らされた咲夜の白い肌が艶かしく、美しい。

 今日は特に晴れ晴れとした顔で輝いて見えるが。

 ずっととり憑いていた長太郎の霊を払ったせいだろう。

 明野もこちらを見る。

 周りに居た、七郎と弥吉が、
「今、俺を見たよっ」
「いや、俺だっ」
と揉めて騒ぎはじめる。

「やかましいっ」
と小平が一喝し、隆次は微笑ましげに咲夜を見ていたが。

 ……いや、俺にはもう一人、花魁が一緒に道中しているように見えるんだが、と那津は思っていた。

 咲夜の横に並び立つ花魁は、初代明野だった。

 長太郎を祓ったあと、咲夜に客をとらせないようにしてくれと頼んだのだが。

 咲夜に張り付いている明野は好き放題やっていて。

 それはそれで楽しそうではあった。

 明野が夢にまで見ていた花魁道中だ。

 隆次に見せてやりたいなと思うのだが、彼には見えない。

「……綺麗だぞ、明野」
と言ってやったが、隆次は咲夜のことだと思ったらしく。

「そうだな。
 珍しいな、お前が口に出して言うなんて」
と言って笑っていた。

 そのとき、人々の囁きがもれ聞こえてきた。

「今日の明野の客は大名らしいぞ」

「もう隠居されると聞いていたのに。
 わざわざ、明野を見にお出ましになったらしい」

 隆次がこちらを振り返り言う。

「もしかして、お前、なにかしたか。
 ……お前は思った以上に、得体の知れない奴のようだからな」

「ちょっと知り合いに頼んだだけだ」

 大名の許に行き、おじいさんに話しかける孫娘のような笑顔を見せている咲夜を見て微笑む。

 じいに頼んだのだ。

「どうしても、褒美をくれるというのなら。

 すまないが。
 死にそうなくらいの年だが、まだウロウロできる大名に当てがあるなら。

 扇花屋の明野の客になるよう、頼んでみてくれないか」
と――。

「若い男が嫌なのはわかるが。
 あんな死にかけのジジイに無理させるなよ」
と隆次が言う。

 まあ、若い男でも、あっちの明野が追い払ってくれるだろうが。

 こちらから客になってやってくれと頼んでおいて、追い払わせるのもな、と思っていた。

「那津様。
 ありがとうございます」
とまた内所を人に任せてきたらしい左衛門がいつの間にか側に居て、満面の笑みで言う。

「こちらがお礼をせねばなりませんのに」

「いや――」

 お前の息子を祓ってしまったからな、と那津は思っていた。

 ふと、町人の格好をした自分を見て、気を取られ、隠し神にすられたという左衛門の話を思い出す。

 それは、生きている忠信なのか。

 それとも――。

 今度は桧山の花魁道中がやってきた。

 吉原の三大美女と艶やかな灯籠の灯り。

 客たちが歓喜の声を上げる中、三人の美女がそれぞれ引手茶屋に入る前、那津を見た。

 それに気づいた七郎が言う。

「やっぱ、旦那はすげえや。
 お暇をもらってきますから。

 旦那、雇ってくださいよう。
 吉原でモテるコツを教えてください~っ」

「剣術を習え、剣術をっ」
と揉める七郎と弥吉の声を聞きながら、那津は笑みをこぼす。

 華やかな美女たちの消えた引手茶屋の軒下では、鮮やかな色の提灯たちが風に吹かれ、くるくると回っていた。


                      完

 
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みんなの感想(1件)

あさのりんご

江戸吉原の雰囲気を、楽しませていただきました。美しい咲夜は、ミステリアス。隠し神が気になりましす。更新、お待ちしてます。

2022.06.02 菱沼あゆ

夢野凛さん、
ありがとうございますっ(⌒▽⌒)
頑張りますね~。

解除

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