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隠し神

一匹居たら……

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 左衛門は内所から那津の様子を窺っていた。

「那津にしょっぴいて来いとか言っても、無駄だと思うわ。
 やらないわよ」
とまだそこに居た咲夜が言う。

 そのまま外を眺めていると、咲夜が、
「あら、大名をしょっぴいて来た」
と言った。

 なにをやっているのだろうな、那津様は。

 まあ、ああいう人の考えることは常人にはわからぬが、と思う。

 那津は何故か、岡っ引きではなく、大名に詰め寄っていた。

「無礼打ちにされないかしらね」
と咲夜はひとごとのように言っている。

 まあ、ほんとうにそうなったら、泣いて止めに入ってみせるのだろうが。

 遊女にありがちな嘘の涙で。

「でも、那津の方から絡んでいくなんて珍しい。
 あの大名なにかあるのかしら?」

「何者だか知らないが。
 こんなところに入り浸っているような人間、ロクなもんじゃない」
と左衛門自ら言う。

 吉原に入り浸っているのは、仕事もまともにしないものばかりだ。

 良い客は短時間で、さっと大金を使い。
 みんなに嫌な思いのひとつもさせずに、気持ちよく去っていく。

 それが粋というものだが。

 近年、そんな簡単なことを理解できない人間が増えているようだ――。

 そう左衛門が思ったとき、咲夜が身を乗り出して外を見ながら言った。

「そういえば、あの大名、最近、やけに吉原をウロウロしているわね。

 まあ、大名がひとり入り浸ったら、他の大名も、ああ、吉原に入り浸ってても恥じゃないのかと思って、たくさん来るようになるかもしれないわよね。

 一匹いたら、たくさんいる御器噛ごきかぶりみたいに」

 御器噛とは、今で言うゴキブリのことだ。

「吉原に大名が来ても、うちに来なければ意味はないがな。
 あの気取り屋で、俳人ぶっている吉田屋ばかり儲かっても」

 左衛門は愉楽の見世、吉田屋の楼主を嫌っていた。

 楼主という仕事は、人として、下の下の仕事だ。

 だが、あの男にはその自覚がないのか。

 いや、あるからこそ、風流人と交わろうとするのか。

 ずっと俳人として頑張っていた。

 だが、そんなことをしても、自分たちの世間の評価が上がることはないのに……と左衛門は思う。

 町民たちに、遊女たちがおとしめられることはないが。

 彼女らを酷使し、私利私欲をむさぼる自分たちは嫌われている。

 いかに教養を高め、上流の人間たちと語り、交わろうとも。

 自分達は、所詮、後ろ指差される側の人間なのだ。

 左衛門は、昼の光の中に立つ那津を見た。

 彼は大名に対しても、一歩も引くところがない。

 それは、ただ本人の性格なのか。

 それとも、その出生のせいなのか――。


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