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隠し神

咲夜の誘い

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 次の日、那津の許に吉原の文屋が文を持ってきた。

 文の上部が遊女の紅で染まっている、天紅という艶っぽい文だ。

 遊女たちが気に入った客に出す……

 とか言っているが。

 実際のところ、誰にでも出しているのでは?
と思われる文だ。

 差出人は明野―― 咲夜だった。

 まあ、他にこんなもの送ってきそうな奴居ないしな、と那津は眺める。

 いい字だな。
 さすが、ああ見えて、高級遊女なだけのことはある。

 内容は、普通に客に出す、決まりきった誘いの文句に見えたが。

 自分が金を出して明野を買いに行けるわけもない。

 事件に進展があったら、教えに来いというのだろう。

 仕方ないので、またも真っ昼間から吉原に行った。

 せっかく来たのだからと、吉原の中にある有名な煎餅屋で、人気の菓子、「最中の月」を買ってみる。

 白くて丸い煎餅で、砂糖蜜がかかっていた。

 店の前の縁台に腰掛け、食べていると、向こうから愉楽がやってくる。

 妓楼の外の湯屋に行ったようで、いつものように着飾ってはいなかった。

 小平やあの店の客たちが見たら、色っぽいと言って騒ぎ出しそうな風情だった。

 こちらに気づき、愉楽がからかうように言う。

「おや、お坊様。
 また吉原に」

 もう面倒臭いので、那津は坊主の姿のまま来ていた。

「此処いいかしら」
と愉楽は那津の横に腰掛けようとする。

 どうでもいいが。
 何故、こいつらは俺の前では廓言葉を使わないんだろうな、
と思いながら、那津は少し避けて、愉楽の座る場所を空けてやった。

 愉楽も最中の月を頼んで食べていた。

 今の時期は桜も菖蒲もない。

 ぼんやり向かいの店を見ながら那津は訊く。

「今日はみんなを引き連れてないんだな」

 愉楽は花魁道中でないときも、これみよがしに着飾らせた禿や新造たちをぞろぞろ連れて歩くのに、と思ったのだ。

「私だって、一人になりたいときくらいあるのよ」

 二人でそのまま人の行き交う通りを眺めていた。

「……お坊様は一体、何者?」

 向かいの店を見ながら、愉楽がそう問うてくる。

「俺は何者でもない。

 廃寺の坊主だったり。
 絵描きだったり。

 与力だったりするだけだ」

 そう那津が言うと、愉楽はちょっと笑った。

 いろんな者でありすぎよ―― と。

「私が訊いてるのは、そんな表向きのことじゃないわ。
 大名があなたを見て怯えてる。

 あなた、一体、何者なの?」

「……みなが恐れる何者かであるのは、俺じゃない」

 立ち上がったあとで、那津は愉楽を見下ろし、訊いてみた。

「そうだ。
 隠し神を知ってるか?」

「ああ。
 最近、よく聞くわね」

「お前の近くでも被害に遭ったものはいるか?」

「なんでそんなこと、あなたに教えなきゃならないのよ」

「もし、なにかわかったら、扇花屋の左衛門か――」

「いや、私がなにしに扇花屋へ……」

 愉楽の言葉を最後まで聞かずに、那津は言った。

「あの見世の新造の桂か。
 明野か、小間物屋のお糸か、裏茶屋の主人にでも言ってくれ」

「……いつの間に、そんなに、あなたの手の者増やしてたのよ。

 教えないわよ。

 私はあなたの密偵じゃないのよ」

 那津は、ふっと笑うと、

「まあ、気が向いたら、教えてくれ」
と言って、扇花屋に向かった。

「ほんと、おかしな男」
と後ろで愉楽が文句を言っているのが聞こえてきた。



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