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隠し神

あの日の告白

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 那津は寝こけている実助の顔を確認し、帰っていったようだった。

 咲夜はご隠居を見送ったあと、内所に居る左衛門をチラと見た。

 新造たちは早く寝たいようで、上がって行ってしまったので、他に人は居なかった。

「那津にあんなこと勧めても無駄だと思うけど」

 そう左衛門に言うと、

「隠し神の依頼をしたことかね」
と言う。

「そうじゃないわ。
 駄賃に遊女と遊ばせてやろうと言ったことよ」

「受けてくれれば御の字。
 貸しを作っときたいんでね、あの旦那には」

「何故?
 あんな怪しい坊主だが、与力なんだかわかんない奴に?」

 左衛門は咲夜の後ろ辺りを見たまま、

「あの男は使える。
 それだけだよ、明野。

 彼が何者だろうと関係……

 いや、あるか」
と笑う。

 左衛門がなにを考えているのかよくわからないが。

 まあ、この男のことだ。

 自分たちの知らないなにかを知っているのだろう。

「それにしても、あなたから物をするなんて、恐れ知らずな人も居るものね」

 左衛門はそのときだけ渋い顔をした。

「聞き耳を立てるのは良くないことだな、明野。
 そんなことをすれば、此処では寿命を縮める」

「いいえ、そこのところは聞いてなかったわ。
 桧山姉さんに聞いたの」
と言うと、左衛門はますます渋い顔をする。

 左衛門は、未だ、飛ぶ鳥を落とす勢いの桧山には頭が上がらないようだ。

 我が息子を殺した桧山を平然と遊女として使っていることがまず、信じられないのだが。

 まあ、それが、妓楼の楼主というものなのだろう。

「明野。
 私に文句をつける前に、遊女としての芸のひとつも磨いたらどうだね」

「なんの話?」

 那津様のことだよ、と楼主は言う。

「遊女と遊ばせてやろうと言ったら、では、明野をと言われるくらいにならねばな」

「……お兄様が居る前でそんなこと言うと思う?」

「あの方はあの道具屋が居なくとも言わないさ。
 明野、ウロウロしてないで、早く戻りなさい。

 朝、那津様を覗きに行かないように」

 左衛門は、自分が、湯屋に行く那津を覗きに行くと思っているようだった。

「大丈夫だんす。
 わかっただんす」

 さも、物分かりの良い遊女であるかのように。

 そこだけとってつけたようにくるわ言葉で言うと、咲夜は階段を上がっていった。

 かつての隠れ部屋は今では、ただの遊女部屋だ。

 回転扉など使わずとも入れる。

 咲夜は薄暗い部屋の中から、もう木を打ち付けられてはいない窓の外を見た。

 あの日見た花火の幻を追うように江戸の夜空を見上げる。

 ふと気になった。

『那津様のことだよ』

『あの方はあの道具屋が居なくとも言わないさ』

 誰も、那津も聞いてはいないのに。

 何故、左衛門は、上客でもない那津を呼び捨てることもなく、あんな風な呼び方をするのだろう。

『貸しを作っときたいんでね、あの旦那には』

 そんな左衛門の言葉が頭に蘇ったとき、あの花魁道中の夜、那津に聞いた話を思い出していた。

『私の父は影武者だった――
 さるお方の影武者だった』


 
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