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隠し神

江戸の噂

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「最近、気がついたら、物が消えていて。
 時間が経つと現れる、といったことが、あちこちで起きているらしいのですよ」

 そんな話を左衛門ははじめた。

「つまらないものが多いらしくて。
 消えたことにも、しばらく気づかずにいて。

 気づいても、まあ、何処かに置いてるんだろうと思っていたら、ふと見つかる。

 普段から、よくあることではあるんですがね」

「俺はないな」
と隆次が言う。

「なくなっても気づかないほど、物持ってないから」

 道具屋の店先に商品は溢れているが、自分の物はあまり所持していないのだろう。

 まあ、江戸の人間は大抵そうだ。

 誰もがたいした物は持っていないし。

 それで不自由を感じたりもしていない。

「だが、不自然なくらいそんなことが頻発しているようで。
 江戸には『隠し神』が出る、という噂が囁かれはじめているんですよ」

「初めて聞いたな」
と言う隆次に、那津は言う。

「それはおそらく、物がなくなってもあまり気づかないような金持ち連中の間だけで起きていることで。

 噂になっているのも、その連中の間だけだからじゃないのか?」

 隆次が言うように、貧乏長屋で暮らしているような連中は、物がひとつなくなっても、恐らく気づく。

「まあ、そうなんでしょうな」
と左衛門も認めた。

「それで、あんたはなにをなくしたんだ?」

 那津が左衛門にそう訊くと、

「さすが、話が早いですな、那津様は」
と薄気味悪い笑みを浮かべてみせる。

 いや、あまり人を褒めることのない男なので、そう感じただけかもしれないが。

「私がなくしたのは、いつも私が拝んでいる小さな石の仏様と――」

 と? と二人は続きの言葉を待ったが、左衛門は答えなかった。

「まあ、ちょっと入り用なものがなくなりましてな」

「それがなんなのか、教えてくれなければ探せないが」

「探してくれなくとも良いのです。
 隠し神の噂がほんとうなのかさえ、確かめてくだされば。

 ほんとうに、物を隠したり、戻したりするあやかしの仕業ならば、それで良いのです」

 あやかしなら良いという人間も珍しいな、と思ったが、左衛門は、

「それならば、時間が経てば戻ってくるはずですから」
と言う。

「ちょうど今、さる大店の息子が遊び人のようなナリをして、桧山のところに逗留しております。

 あの店にも、隠し神が出たようなので、さりげなく詳しい話を訊き出してきていただきたい」

「何日も桧山みたいな高級遊女のところに居続いつづけしている大店の莫迦息子が遊び人の扮装とは。
 笑えないね。

 する必要あるのかい?」

 笑えないと言いながら、隆次は笑う。

「ところで、仏様は何処に置いていたら消えたんだ?
 そのもうひとつの消えたものも」

 そう那津が訊くと、左衛門は少し考える風な顔をしたあとで言った。

「私の場合は、持ち歩いているときに消えたのですよ」

「それは、単に、すられたんじゃないのか?」

「そうかもしれませんがね。
 金はとられなかったので、すられたにしては妙ではないですか」

「見るからに、たんまり持ってそうなのに、金をとらないのは確かに変だな」

 栄養過多なでっぷりとした身体つきに、真新しい着物と、どう見ても江戸の庶民とは違う左衛門の姿をマジマジと見ながら、隆次が言う。

「その仏が価値があるものだとか?」
と那津は訊いたが、

「ありませんよ。
 私が河原で拾ったものですから」
と左衛門は言う。

「私がそれを仏だと思っているだけで、ただの石ですし。
 見つけたとき、まるで仏のように見えただけなので」

 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つを忘れなければなれないと言われる、人でなしな妓楼の楼主でも。

 河原に落ちている石を見て、ありがたい仏様のようだと思ったりするのか、と那津は不思議に思った。

 まあ、そういう人間こそ、なにかすがるものが必要なのかもしれないが――。

「その大店の息子、実助さねすけは朝、此処の内風呂は使わずに、西河岸の湯屋に入りに行きます。

 あそこには豪勢な湯屋があるので。

 その辺りに行って、偶然出くわしたフリをすれば、話も訊けましょう。

 今宵、此処にお泊まりになりますか?」
と左衛門が訊いてきた。

「空いている遊女でよければ、お相手させますが。
 ああもちろん、あとで、それとは別に依頼の賃金はお支払い致しますよ」

「いや、今日はもう帰るので、結構だ」

 そう言ったのは、吉原に居続けている自堕落な若旦那なんて、そう早くに起きるわけもないだろうから、朝来ればいいやと思ったからで。

 いつの間にか階段のところに咲夜が立っていて。

 冷ややかにこちらを見ていたからでは決してない。

 隆次がそれに気づいて笑って言った。

「お、階段下に幽霊花魁様のお出ましだぞ」


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