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隠し神

花魁道中でも拝みに行くか

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 いつも騒がしい江戸の町。

 那津なつ隆次たかつぐの道具屋を訪れていた。

 常に人が行き交っているせいで、埃っぽい江戸では、往来に置いているものはすぐに白っぽくなる。

 店主はあまり気にしないらしいが、俺は気になるな……。

 那津は物騒にも店先に剥き出しで置かれている商品のカマについた埃を手で払っていた。

 すると、奥から現れた隆次が、
「おお、どうした、忠信ただのぶ様」
と呼びかけてくる。

「……今日は忠信じゃない」

「なんだ、その自由自在」
と隆次は言うが。

 那津の服装は坊主のものだったし。

 髷を結ったカツラも被っていないので、忠信のフリをしていないのはわかっていたはずだ。

「忠信は面倒事に巻き込まれ、記憶を失って見つかった。
 体調を崩していたせいもあり、まだ本調子ではないので、休みがちなんだ」

 そんな作り話を忠信の父、道信みちのぶは広めているようだった。

 いや……体調崩して本調子でないのに、吉原に通ってたりするのは問題があると思うんだが、と那津は思っていた。

 忠信の格好で、吉原に行ったことがあるからだ。

 しかも、咲夜に花魁道中などやらせて、かなり派手に振る舞ってしまった。

 まあ、忠信が生きていたと、忠信の敵に知らせることも目的のひとつであったので、いいのだが――。

 そういえば、広めている噂に関して、『面倒事に巻き込まれ』のところをどうするか、道信と話し合った。

 那津が忠信のフリをしているのは、失踪した忠信が帰ってきたと見せかけるためだ。

 忠信がほんとうに事件に巻き込まれて消えたのなら、忠信が生きていると知れば、敵側から接触してくるはず、そう思ってのことだが。

 とりあえず、那津が忠信としての生活に慣れるまで、少しの間でも、平穏に過ごしたいのなら、『面倒事に巻き込まれて』という箇所は省くべきだった。

 敵をあおっているようなものだからだ。

 だが、道信は、
「いやあ、俺はまどろっこしいのは嫌いだからなあ。
 すぐに敵が出てきても構わねえじゃねえか。
 望むところだ』
と言って、そのまま噂を広めてしまった。

 ……いや、構うも構わないも、襲われるのはこっちなんだが、と那津は訴えたが、

「まあまあ、いいじゃねえか。
 親戚のよしみで」
と道信は笑う。

 道信は那津の母の兄、那津にとってはおじさんに当たる。

 しかし、どいつもこいつも勝手なことを、と思いながら、鮮やかな色の鞠を、埃をとりついでに手でもてあそんでいると、もうひとりの勝手な男が、

「どうだ、那津。
 暇なら、吉原に行ってみないか」
と言ってきた。

「今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの花魁、二代目明野あけの様でも拝みにいこうじゃないか」

 隆次は愛する明野の妹、咲夜を実の妹のように可愛がっていた。

 咲夜が遊女になってしまったことで、心配事が増えたようでもあるが。

 彼女が桧山ひやま愉楽ゆらくに迫る勢いの花魁となったことは、晴れがましくもあるようだった。

 暇さえあれば、吉原に、ただ、咲夜の花魁道中を眺めるために行っている。

「……俺は別に見たくないんだが」 
と那津は往生際悪く言ってみたが、聞くような男ではない。

「よし、今日はもう店を閉めるか」

 そもそも普段から、開いているのかいないのか、わからない店なのに言い、隆次は出かける支度をはじめた。

 仕方ないな、と言いながらも、付き合うつもりの那津は、ふと隆次が消えた店の暗がりを見た。

 そこにぼんやり、初代明野の姿が見えた気がした。

 新造の姿ではなく。

 町をふらついていたころの咲夜のような、町娘みたいな格好をしていた。

 だが、その姿は一瞬で消える。

 まぼろしか?

 いや、まあ、此処に居てもおかしくはないか、と那津は思う。

 あの階段下の幽霊花魁は、どちらももう、あそこには現れないようだから――。

 
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