憑代の柩

菱沼あゆ

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霊安室の遺体

答え合わせ

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「どうかしたのか?」

 要の予言通り、私の許に衛はやってきた。

「いえ、ちょっといろいろ考え事してて」
と言いながら、膝の上に置いていた調査書を見る。

 だが、視界には入っていなかった。

 考えていたのは、要の話だからだ。

 ベッドの上に膝を立てて、座っていた自分の側に、衛が腰を下ろす。

「衛さん。
 何も家具のない部屋がありますよね、お宅に」

 衛は答えない。

「あの部屋、なんに使ってたんですか?」

「……昔の俺の勉強部屋だ」

「なんで、中の物、全部片付けちゃったんですか?

 何もかも忘れたいから?」

「僕が馨を殺したと思っているのか?」

 膝で頬杖をついたまま、ああ、と言う。

「それなら、犯人はわかりました。

 やはり、殺したのは要先生だそうです」

 沈黙があった。

「……それだけか」

 こちらの反応に不満があるようだった。

「それだけですよ。

 どうします?
 要先生を警察に突き出しますか?

 ようやく貴方の望んでいた証言が取れたんですから、それもいいかもしれないですね」

「証拠が無い。
 死体も無い」

「死体なら作ればいいじゃないですか。
 私を殺せばいい」

 あのな、という顔で衛は見る。

「同じ顔ですよ。
 いや、ちょと死体の活きが良過ぎますけどね」
と言うと、……莫迦が、と掠れた声を吐き出した。

「要先生は、貴方と馨さんの間には何もなかったと言ってましたが、本当ですか?」

「何もない。
 彼女は僕を好きなわけじゃなかったから。

 何もなかったのと同じだ」

 なかったのと同じ――

 そういう言い方を衛はした。

「じゃあ、馨さんはなんで貴方と?」

「……要の横領を知っていると言った。
 その補填を僕がしてもいいと」

 そこで吹き出した私を衛は、なんだというように見る。

「いやいや。
 なんだか可愛らしくて」

「可愛らしい?」

 聞き違いかと言うように衛は訊き返してくる。

「僕も要も同じだ」

「違いますよ。
 ……今、わかりました。

 貴方は要先生とは違います」
と言うと、彼はベッドの上に手をついたまま、俯いていた。

 やっぱりこのつむじ、つつきたくなるな、と柔らかそうな髪に巻かれたその部分を見下ろしていた。

 何処か近くで、救急車のサイレンが聞こえ、犬の遠吠えが聞こえてきた。

 ちらと洗面所の方を窺う。

 奏の霊はもう居なかった。

「……僕が殺したんだ」

「え?」

「僕の母は、僕が殺した。

 あの女が奏に、馨を売女呼ばわりして、罵っているのを聞いたからだ」
 
 

 ベッドに相手を突き倒し、馬乗りになった。

 その白く細い首に手をかける。

 そこに、まるで誂えたように指がぴたりと嵌った。

 相手の大きな瞳が驚愕に更に見開かれる。

 目を閉じた。

 何も見ない。

 何も聞こえない。

 強く強く指に力を籠める。

 弾力の弱くなり始めている肌に、吸い込まれるような指先に、自分の心も身体もこの瞬間を待っていたのだと知った。

「や……、やめ……」
 


 やめて、衛――
 


「大丈夫」
と私は優しく衛の背に触れた。

「お母様は亡くなってはいらっしゃいませんよ。

 元気に毎日、私の首を絞めにいらっしゃってるじゃないですか」
と微笑みかけると、衛は困ったような顔をしていた。

 ただ、最愛の息子に殺されかけたショックで、心を無くしているだけだ。

「こうして考えると、咲田馨は疫病神ですね。

 彼女さえ居なければ、誰も不幸にはならなかった」

 敢えてそう言うと、衛は俯いたまま、首を振る。

「僕は――

 彼女に逢わなければよかったとは思わない。

 彼女に逢って、それまでの代わり映えのない毎日がひっくり返る想いがした。

 彼女はいちいち、人と反応が違っていて。

 受験が終われば、彼女は居なくなる。

 僕は、息が詰まりそうな毎日に戻りたくなかった」

「じゃあ、貴方は彼女を好きだったわけじゃないんじゃないですか?

 ただ、逃げ場を探していて、それが彼女という存在だっただけなんじゃ」

「正直言って、わからないと思ったこともあった。

 だけど、彼女を見ているだけで、今までに無い感情を覚えたし。

 僕は、彼女と逢うまで、自分がそんな卑怯なことをする人間だとは知らなかった。

 そこまでのことをしたいほど、執着する何かに巡り会うこともなかった。

 でも、今になってわかったよ。

 僕は咲田馨が好きだったんだと」

 衛は顔を上げ、この顔を見つめてくる。

「そうですか。
 答えが出てよかったです」
と微笑む。

 衛の手が私の手を掴む。

「あのとき、本当に馨に手を出したのかと訊いたな。

 僕は――

 馨を脅しておいて、キスしただけで、逃げ出したんだ」

 ……笑うな、と赤くなった衛は言う。

 手首を掴まれたまま、私は俯き、笑っていた。

 でも、なんだか泣きそうだった。

「いや、私ね。
 やっぱり、貴方が好きみたいですよ」

 衛がぎょっとした顔をする。

「今の貴方が私を好きでないとしても」

 衛の口許が小さく動いた。

 彼の手が自分に触れ、口づけてくる。

 そのまま、自分の上になる彼の顔を間近に見て笑ってみせた。

「……悪い大人になりましたね」

 そう囁き、その頬にそっと触れてみる――。
 


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