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霊安室の遺体
霊安室
しおりを挟む上の階に上がると、或る病室の前に、体格のいいスーツ姿の男が居た。
病室の中を覗いて、ウロウロしている。
「こんにちは」
そう言うと、男はびくりと振り返った。
「あのときは、すみませんでした」
彼はかえって申し訳なさそうな顔をしていた。
「私、中に入りたいんですが、いいですか?」
そう言うと、場所を開けてくれる。
病室の中には、女が一人眠っていた。
要も衛も、彼女が目覚めることはもうない思っているだろう。
枕許に立ち、私は言う。
「こんにちは。
私の声が聞こえますか?
いつまで、存在を消されたままでいらっしゃるつもりですか。
もうすぐ、貴方の愛する衛さんの結婚式ですよ」
だが、呼びかける私の声にも、眠り姫は目覚めない。
まだ要と接触しないままだったので、私は地下へと降りた。
霊安室の扉を開ける。
奥のカーテンの向こうに、ロッカーのようなものがあった。
遺体が収められる冷蔵庫みたいなものらしい。
街だと火葬場の順番待ちになったりするらしいし。
日が悪くて、長く焼けないときもあるようだ。
それ用かな、と思い、それらを眺めた。
だが、此処に入るのは、ほとんど御剣の一族らしい。
ならば、どちらかと言えば、大勢が来る葬儀の都合で此処に保存して置くのかもしれないが。
そんなことを考えていたとき、
「開けない方がいいぞ」
という要の声がした。
「ちょっと見られたもんじゃない」
要は、ひとつの扉の前に立つ。
「身寄りのない女の死体だ」
その手が開けさせないよう、蓋を押さえる。
「『お前の死体』だ」
と要は言った。
「どんな口の堅い看護師が居るのかと思いましたよ」
「うん?」
「佐野あづさ、秋川奏の部屋に、男の霊が出ます。
知ってましたか?」
その言葉に、彼は反応しない。
彼女が奏だということはやはり、要も気づいていたようだった。
「知らなかったんですか。
じゃあ、貴方は彼女の部屋には行ってないわけですか」
「俺と奏の間に何か関係があったと?」
衛じゃないんだ、顔が同じならいいわけじゃない、と言う彼に、
「衛さんは、奏さんには指一本触れてないそうですよ」
と言うと、要は俯き笑った。
「本当に莫迦だな、あいつは」
そんな彼に、奏の部屋に出る霊の正体を告げると、鼻で嗤う。
「それで、秋川奏には協力者が居るかも、ということを衛さんに匂わせると、何処かへ出て行きました」
「何故後を追わない」
「尾行、得意じゃないんで。
私も何処ぞの探偵さんのように、すぐ気づかれそうな気がして。
彼は鋭いですからね」
「何が鋭い」
と要はそこで嗤った。
「不思議なもんですよね。
貴方と衛さんは、仲がいいんですか?
悪いんですか?」
「悪くはない。
良くもないが。
あのときまでは、ちょっとムカつくが気になる弟のように思っていたよ。
まあ、立場はあいつの方が随分上だがな」
「あのときって?」
「衛が馨に手を出すまではだよ」
「出してないと本人は言ってますよ」
「本当にそうか?」
「……私に訊かれても知りませんよ」
と眼を伏せた。
「何もないからこそ、母親が怒ったのか。
あったから怒ったのか。
いっそ、馨があの女が思ってるような売女だった方がよかったんだろうがな。
まあ、少なくとも、馨が俺より衛の方が好きだったのは確かだな」
「生徒ですよ」
「でも、そうだったんだろう?
そうでなきゃ、俺が馨を殺したくなるわけがない」
「殺したんですか?」
「殺したと思うか?」
彼はロッカーに寄りかかり、何もない薄暗い天井を見ていた。
無機質な部屋の中でぼそりぼそりと語る。
「馨は流されていく衛の父親を追って、川を下ったようだった。
だが、見失い、自らも流されたようだった。
俺は川から上がって倒れている馨を見つけた」
その光景を思い出すように目を閉じる。
「倒れていた彼女の側に行き、その首に手を伸ばした」
要は目を開け、こちらの首に片手を伸ばす。
私は逃げなかった。
「絞め上げると苦しそうにしていたよ。
それで、ああ、生きてるんだな、と思った」
と要は笑う。
「それで――?」
首に大きな手を当てられたまま、間近に見上げて問うと、要は言った。
「首を絞めて、その場に放置した。
だが、死体は見つからなかったな。
衛が見つけて、葬ったのかもと思ったが」
「なんでですか?」
「あいつ、自分一人が知ってる墓に行って、浸ってそうだろ?」
そう言い、喉の奥で嗤う。
まあ、それはさておき、と殺人の告白をさておいて、要はロッカーから身を起こした。
「秋川奏は人を殺していたのか。
じゃあ、殺される理由はあるな」
「あの男を殺したせいで、爆弾を持ち込まれたと?
奏一人を殺すのなら、もっと確実な方法があったと思いますが。
花を置いて、その場を離れて、別の誰かが死ぬかもしれない」
奏自身は自殺するつもりだったようだし。
犯人はそのことを知っていたのだろうか。
「だが、奏はそれで死んでいる。
どうかしたか?」
「いえ……」
あの映像が頭に浮かぶ。
薄く開けた戸口から、奏が顔を覗け、手を振って笑う。
「衛さんが雇ってた探偵さんも消えたらしいですよ。
相棒の人は、奏さんが真相に近づいた彼を殺したんじゃないかと疑っていたようでしたが」
「それで、二人か?
佐野あづさも殺しているとしたら、三人だな。
とんだ――」
殺人鬼だ、と言おうとしたらしい言葉を要は止めた。
要はロッカーに背を預け、何事か考えている。
目を閉じている顔は、彼こそが死人のように見えた。
少し近づく。
あの消毒薬の混ざったような匂いがした。
目を開けた要は、そっと首に手を伸ばしてくる。
だが、触れてきたその手を、撫でるようにして肩まで下ろした。
肩を掴まれたまま、その顔を見上げていると、要は身を屈め、口づけてくる。
離れた彼を見て言った。
「顔が同じならいいわけじゃない、って言わなかったですか、今」
「――言ったよ」
そう言い、もう一度、要は口づけてきた。
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