憑代の柩

菱沼あゆ

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悪霊の棲む屋敷

帰り道

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 あの日――

 歩いて帰ればよかった。

 雨だったから、要の車に乗せてもらった。

 あの日、やっぱり歩いて帰ればよかった。

 いや、でも、どうだろう。

 あのときには、もう、お金は振り込まれていたしな、と思う。
 
 

 深夜、今までの比ではない勢いでクビを絞められて、目を覚ます。

 自分を締め上げるその細い腕を掴みかけて、やめた。

「……いいよ。
 やっていい」
と言うと、霊は走って逃げた。

 ふう、と思ったとき、暗がりに立つ男の姿に気づいた。

「うわっ」
と声を上げる。

「要……先生っ。
 なにしてるんですか。

 さっきから居ましたか?」
と言うと、居た、という。

「私がクビを絞められてるのを――」

「黙って見てた」

 なんでですか~、と言うと、

「なんで絞められてるんだろうな、と思って見てた」
と言う。

「何でも何も。
 いいじゃないですか、もうっ」

「どうでもいいが、鍵、開いてたぞ」
「それはすみません」

「衛にかけて帰るように言っとけ」
「はあ」

「否定しないのか」

「いや、なんだかもう、いろいろとめんどくさくなりまして」

 お茶でも淹れましょうか、と立ち上がると、いや、いい、と腕を掴む。

「先生、なんで、私を佐野あづさにしようと思ったんですか?」

 こちらの目を見て、要は嗤う。

「さあ……なんでだろうな」

「先生――

 いえ、なんでもないです」 

 言おうとして、やめた。

 先生、私が病院に居て、眠っていたとき、私にキスしましたよね、と。

 うとうととしていたとき、誰かが入ってきて、自分の側にずっと立っていた。

 やがて、顔の側に手を置き、唇を寄せてきた。

 あの匂いがしていた。

 要が風上に立つと香る、白衣に染み付いた、独特の病院の匂い――。



 ベッドに相手を突き倒し、馬乗りになった。

 その白く細い首に手をかける。

 まるであつらえたように指がぴたりと嵌った。

 相手の大きな瞳が驚愕に更に見開かれる。

 目を閉じた。

 何も見ない。

 何も聞こえない。

 強く強く指に力を籠める。

 弾力の弱くなり始めている肌に、吸い込まれるような指先に、自分の心も身体もこの瞬間を待っていたのだと知った。

「や……、やめ……」



 やめて、衛――。
 


 悪い夢だ。

 悪い夢か?
 そうかな?

 だが、何故、今、そんな夢を見るのか。

 深夜、起き上がった衛は、部屋のドアが空いているのに気がついた。

 自分で開けていたのだろうか。

 帰って来たときの記憶がない。

 ベッドの上で膝を抱えた。

 誰も居ない暗い廊下に立つ女の幻が見えた。

 にこり、と自分に向かい、微笑みかけてくる。

『衛くん』

 だけど、それは自分の作り出した幻影だと知っていた。

 自分には彼女たちのように霊は見えないし、それに――。

「現れるわけがない。
 馨の霊が此処になんか」

 立ち上がり、その幻に寄り添うように、廊下に立った。

 己れの白い左手を見つめる。

 


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