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悪霊の棲む屋敷
夜の病院
しおりを挟む夜の病院は不気味だ。
――と、人は言う。
自分にとっては、ただ、落ち着く静かな場所だが、と要は思った。
入院している我が儘な親戚連中が、そこが痛いのあそこが痛いの言い出さなければの話だが。
そもそも、本当に重篤な患者はそれぞれの権威と言われる医師の居る病院にすぐ回すので、此処に居るのは、だいたい、成人病の治療か、整形の人間だけだ。
今も、心静かにカルテの整理をしていると、
「要」
と、ふいに呼びかけられた。
入り口に女が立っていた。
その女はそこから入って来ないまま言う。
「あの女、生きてるじゃないの」
「そのようですね」
「殺さないと」
「またですか。
厭ですよ、めんどくさい」
と机の上に並べたカルテに向き直る。
いつの間にか、すぐ真後ろに、その女は立っていた。
「あんた、私に逆らえるの?」
溜息をつき、椅子を彼女に向き直す。
「わかりましたよ。
数日中になんとかします」
そのとき、誰かが歩いてくる音がした。
バインダーを手にやってきたのは、若い看護師だった。
この病棟に居るだけのことはあり、口の堅い女だ。
軽く頭を下げ、入ってくると、
「先生、また眉墨さんが」
と言いながら、それを差し出す。
「わかった。行こう」
眉墨は、糖尿病で入院している小煩い親戚だ。
看護師を下に見て、横柄な態度をとって困っている。
麻紀が看護師になってくれればよかったのに、とふと思った
立場的にも性格的にも、あれに迂闊に逆らおうとするような親族は居ない。
看護師が出て行ったあと、まだ居る女に向かい言った。
「ほんとになんとかしますよ。
そう長く持つとも思ってないし」
そう言ったあとで、少し思い出し笑いをする。
そんな自分を彼女は不快そうに眺めていた。
大学構内を歩いていた私は、いきなり誰かに突き飛ばされた。
カシャーンッという音に上を見、下を見る。
校舎横の側溝に本田が落ちており、自分の足下には、植木鉢が散らばっていた。
もう一度、上を見たが校舎の上に太陽がかかっていて、眩しく、よく見えなかった。
しかし、ベランダに鉢を置いておくなよ。
未必の故意か? と思いながら、本田に手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
本田は、その手を取らないまま、側溝から這い出してきながら、
「君は誰?」
と訊いてきた。
絶対にあづさじゃない、と言う。
「なんでですか?」
「あづさは君みたいな冷静な女じゃないからだ」
本田はジーンズをはたいて立ち上がる。
「彼女は僕を本田さんとは言わないし。
記憶がなくとも、性格は変わらない。
彼女が今の君みたいになるとはとても思えない」
「そうですか」
私は腕を組み、相槌を打ちつつ、上を見上げた。
人影はそこにはないが。
「そうですね。
今、なんだか助けていただいたことですし。
貴方には訊きたいこともあるので」
とりあえず、ありがとうございます、と言ったあとで言った。
「おっしゃる通り、私は、佐野あづさではないです。
ところで、本田さん、貴方はあづささんの恋人だったんですか?
だから、わずかな違いにも気がついたのではないですか?」
と訊くと、
「全然わずかじゃないよ」
と呆れたように本田は言う。
ひんやりと冷たい校舎の影で、眉根を寄せて、本田は言ってくる。
「よく今までバレなかったね?」
「あ~、それが、あづささんって、一匹狼だったみたいで。
他の人には近寄らなくても不自然ではなかったようなので、助かりました。
私も調べたいことがあって、うろうろしていたので、一人の方がよかったですし。
ああ――
一人じゃないか」
麻紀がこちらに飛んで来るのが見えた。
「やあ、麻紀さん」
と微笑み、手を上げると、
「やあじゃないわよ、なにやってんのよ、あんた」
麻紀は足許に散乱した鉢を見、
「なにこれ、本田!?
こいつが錯乱して、あんたを殺そうとしたの?」
と叫んだ。
「錯乱してるのは麻紀さんですよ。
優しいんですね、意外と。
それと、とりあえず、この件に関しては、本田さんは犯人ではないです。
本田さんは下に居て、私を助けてくれたので。
この人が上から植木鉢を落とすのはかなり困難かと思われます」
「……じゃあ、誰なの?」
麻紀とともに校舎を見上げ、その眩しさに目をしばたたく。
「いや、大丈夫ですよ。
犯人はもうわかってますから」
ただの霊現象です、と私は言った。
「落としたの、あのおじさんです」
と校舎の窓を指差す。
麻紀は額に手をやり、やはり眩しそうにしながら、
「何処におじさんが居るのよ」
と言う。
「あ、見えませんか?
じゃあ、やっぱり霊だと思います」
霊だと思います? と二人がこちらを見た。
「地縛霊です。
植木鉢落として気が済んだようですよ、よかったですね」
と微笑んだ。
「後少し話を聞いてあげれば、成仏してくれるかもしれませんね」
と言うと、本田と二人、顔を見合わせていた。
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