憑代の柩

菱沼あゆ

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探偵

調査内容

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 食事のあと、お湯の沸く音を聞きながら、ベッドに転がり、流行から渡されたあづさの経歴を眺めていた。

 チャイムが鳴り、それをベッドの上に伏せて、起き上がる。

「はーいはいはいはい」
と相も変わらず適当な返事をしながら、ドアを開けたが、誰も居ない。

 蛍光灯の灯りの下、ぽつぽつとドアの前にだけ水たまりが見えた。

 ノブを掴んだまま、辺りを見回してみたが、その水滴は何処からも続いてはいなかった。

 うーん、と一節うなり、ドアを閉めた。

 魚眼レンズから、そうっと覗いてみるが、やはり、誰の姿も見えない。

 廊下の向こうの手すりと、その先の住宅が闇の中に見えるだけだ。

 だが、突然、足音が聞こえて来た。

 階段を上がって来る、少しせかせかしたような足音。

 体重はぼちぼち軽そうだ。 

 コンクリートの廊下に軽く響く。

 その足音は部屋の前で止まった。

 私はチャイムが鳴る前に開けていた。

 少し寒そうにして立つ衛は、いきなり開いたことに驚いた顔をしたが、すぐに、威嚇するように怒鳴ってきた。

「だから、いきなり開けるな!」

「もったいぶらなくても、どうせ、貴方、鍵持ってるじゃないですか」

「僕以外の奴が来たときのことを言ってるんだ」

「はいはい。
 ご心配どうもありがとうございます。

 ちゃんと確認して開けましたって。
 足音でですけど」

「足音?」

「靴の感じからして、女ではなく、男にしては体重が軽そうで、ちょっと急いてる感じの足音」
と言うと、

「お前は探偵か」
と言われた。

 その言葉に、あの探偵らしくない探偵を思い出し、笑ってしまう。

 どうぞ、と少し身を引き、中を示すと、衛は上がってきながら、

「それと――

 簡単に男を中に入れるなよ」
と言う。

 貴方は男じゃないんですかね? と思った。

 先に奥の部屋に入りながら、

「犯人現れないですねえ。

 もう死んでるんじゃないですか?」
と言ってみる。

 適当な発言だったが、衛は何故か考え込んだ。

「衛さん、実は犯人に心当たりでも?」
と言ってみたが、

「――いや」
と言う。

 まあ、この男の本心など、誰にも読めないか、と溜息をついてから言った。

「お茶飲みますか?

 それとも、ご飯でも?

 近くの商店街で訊いて、やっといい醤油が手に入ったんですよ」
と台所に向かう。 

 戻ってくると、衛はベッドに座り、あの資料を見ていた。

「あ、すみません。
 でも、貴方もご存知の内容かと思いまして」

「どうしてだ?」

「それ、某探偵さんからいただいたんです。

 私がさっき会ってた人ですよ。

 その報告は受けてるんでしょう?」

 脚を組んだ衛は、こちらを見上げている。

「この資料の内容は貴方の耳には入ってますよね?

 これ調べた人より有能な人が、同じことを調べていたようですから」

 結婚を邪魔するために親族が調べさせたのなら、このあづさに不利な内容は衛の許に届いているはずだ。

 いや、そもそも、このくらいのこと、御剣家の嫁になろうという女のことだから、最初から調べてあったに違いないのだが。

 衛は、ぱらぱらとめくった資料を突っ込むと、袋ごとこちらに投げて寄越す。

「確かに知っている。
 あの探偵は使えたが、相方は無能だな」

 その言葉に悟った。

「あづさのことを調べさせてたのは貴方だったんですか」

 消えた探偵を雇っていたのは、衛自身だったのか。

 しかし、その探偵は優秀すぎ、真実に近づき過ぎたために、消された。

 あるいは、姿を消すはめになったということか?

 相方を無能だと言ったのは、簡単に私に正体を知られ、すべてを話してしまったからだろう。

「なんだ?」
とこちらを見る。

 衛はまた腕を組み、鷹揚にこちらを見下ろして言う。

「当たり前だろう?
 自分と結婚する女のことを調べさせるのは」

「まあ、貴方の立場なら。

 でも、普通は本人じゃなくて、親兄弟が勝手に調べるものなんじゃないですかね?」

 別に責めてはいませんよ、と言いながら、持ったままだったお茶をお盆ごと彼の前の小さなテーブルに置いた。

 テーブルは大きい方がいいなと思う。

 小さいと一人で食べる寂しい食事を思い浮かべてしまうから。

「随分、胡散臭い結果が出てますが、それでも結婚しようと思ったのは何故ですか?」

「好きだから――」
という言葉にどきりとする。

「という極普通の結論には辿り着かんのか、お前は」

「どうも私、そういうことには疎くて」
と言うと、

「だろうな」
と返される。

 何がだろうなだ。

 何を根拠に。

 しかし、どうも、この結婚何かあったっぽいな、と思う。 

 窓ガラスに映る顔を見ながら言った。

「この顔、結局、誰の顔なんですか?」

 衛は無言でこちらを見る。

「もし、佐野あづさが別人ではなく、整形だった場合の話ですが」

「さあな。
 そういうのが僕の好みだとでも思ったんじゃないのか?」 

 衛の答えはあくまでも素っ気ない。

「要先生の好みではあるようですよ」
「なんでだ?」

「いや、なんとなく」
「要がお前に何か言ったのか?」

「いいえ。
 そういうわけではありませんが。

 でもまあ、佐野あづさの元の顔の方が美人ですよね」

「そこまで卑下する必要はあるまい」

 いや、卑下って……。

「まあ、どうでもいいですよ。
 もともと私の顔じゃないんですから」

 何度も繰り返した台詞をまた繰り返す。

 なんだか自分でも、だんだん負け惜しみのような気がしてきていた。

 意識を取り戻してから、この顔しか自分の顔として認識していないのだから、もうこれが己れの顔のようなものだ。

 事件がすべて解決して、いきなり元の顔に戻れと言われても困るな、と思ったとき、衛が、

「ところで、うちに来るか?」
と言い出した。

「どうしたんですか? 突然」

「本格的に身辺が怪しくなってきたからだ。
 ああは言ったが、本当に殺されたら、さすがに寝覚めが悪い」

「一貧乏人の死など、寝覚めが悪い程度なんですねえ」

 部屋が狭いので、玄関が近い。

 帰ると言った衛はもう靴を履きながら、

「別に僕も権力者なりたかったわけじゃない」
と言う。

 その背に向かい、今なら、ぶっすりやれそうだなと思いながら訊いた。

「じゃあ、なんで、なみいる後見人候補を押しのけて、ご自身で上に立たれたんですか?」 

 衛はすっくと立ち上がり、こちらを見据えて言った。

「一族の中で、一番の権力者になるためだ」

 なんか矛盾しているような、と思ったが、その真摯な瞳に茶化す気分にはなれなかった。

 衛はほんぽんとこちらの頭を叩き、上の方から見下ろして、何故かにやりと嗤う。

「さ、行くか」
と背を向けた。

 なんだろう。
 この勝ち誇った顔、と思いながら言った。

「ちょっと待ってくださいよ。
 一応、支度ってものがあるんですよ。

 お湯もかけっぱなしだし。

 って、ちょっと……

 人の話を聞け、こらーっ!」



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