憑代の柩

菱沼あゆ

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偽りの婚約者

あんた、誰?

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 それにしても、全く勝手のわからない大学なので、何処に行っていいのかわからない。

 急いで、授業のある棟に入り、廊下を歩いていると、大層険のある声で、女が話しかけてきた。

「元気そうね」

 まるで待ち構えていたかのようだ。

 腰に手をやり、仁王立ちになって、こちらを見ている。

 白衣を着、髪を結い上げた美人だ。

 だが、その目許は、かなりきつい感じがした。

 それにしても、どっかで見たな、この手の顔、と思っていると、彼女は、

「死ねばよかったのに」
 などと言い出す。

 ストレートな人だなあ。

 いっそ感心しながら訊いてみた。

「あのう。
 もしかして、衛さんのご親戚の方ですか?」

 従妹が同じ大学に居ると言っていた。

 確か名前は――

「御剣、麻紀まきさん?」

「……本当なのね。
 記憶喪失って」

 麻紀は上がっていた肩を少しだけ下ろし、そうこぼした。

 彼女なりに、気合いを入れて話しかけて来たようだった。

「えーと。
 爆弾で吹き飛ばされたので」

「それなのによく生きてるわね」

 いや、死んだ。

 佐野あづさは犯人の狙い通り死んでいる。

 麻紀は眉をひそめていた。

 ズバッと物を言いそうな彼女が何か言い淀んだのが気になった。

 まどろっこしいのは嫌いだ。

 だから、ズバッと訊いてみた。

「あのー、もしかして、貴女が犯人ですか?」

「なんの!?」

 凄い剣幕で彼女は訊き返してくる。

「私を殺した――

 殺そうとした犯人を捜してるんですけど」

 つい、あづさの気持ちになりすぎ、殺したと言ってしまう。

 慌てて訂正した。

 衛と似たような仕草で腕を組んだ麻紀は、私少し小柄なのに、顎を突き上げ、見下すように見てしゃべる。

「で、なんで私が犯人なのよ」

「貴女、衛さんがお好きなんでしょう?」

 余計な前振りをせず、そう言うと、さすがの麻紀も一瞬詰まったようだった。

 だが、すぐに威圧するように訊き返してくる。

「だったら、なに?」

 衛は麻紀はいつも、あづさに突っかかっていたが、何故なのかわからないと言っていた。

 だが、わかっていなかったのは彼だけだろう。

 誰がどう見ても、彼女は衛に気があり、それが原因で、あづさを好ましく思っていないとわかる。

 胡散臭げにこちらを見ていた麻紀が訊いてくる。

「ねえ――
 あんた、ほんとにあづさ?」

「えっ。
 どうしてです?」

「間が抜けてるからよ。
 いや、頭は良さそうね。

 でも、言動に隙がありありだわ。

 あづさは逆だった。

 そんなに賢そうではなかったけど、いつも何かに見張られてるみたいに隙がなかった。

 だから好きじゃなかったの。
 この女、絶対、何かあると思ってた。

 だから、衛の側には居て欲しくなかった。

 でも、あんたは――」

 あれだけのことを言ったのに、麻紀はそこまで厭じゃない、と言ってくれた。

「ありがとうございます、というとこですかね?

 でも、そんなにバレバレじゃ困りましたね。

 他の人にもバレますかね?

 っていうか、貴女が犯人だったら、最悪ですね」

「私じゃないって言ってるでしょう?」
と麻紀は眉をひそめたが、そこに先程までの険はなかった。

「なんで私があづさなんかのために手を汚さなきゃいけないのよ」
と言う彼女に、

「いや、この場合、衛さんのため、ってことになるんじゃないですか?」
と答える。

「あづささんに対して、不信感を抱いてらしたんでしょう?」

「衛のためにも厭よ。
 あづさは怪しい女だった。

 だけど、私じゃなく、あんな女を選んだ衛のために、そこまでしてやる義理はないわ」

「好きなのに?」

「私はもう何年も前に振られてるの!」
と噛み付くように言ってくる。

「そうなんですか。
 まあ、貴女にはいい人が見つかると思いますよ」

「軽く言ってくれるわね~」

「貴女と衛さんは似すぎています。
 遺伝子的には違う人間同士が組み合わさる方がいい子孫を残せると言いますよ」

 そう言うと、麻紀は妙な顔をしていた。

「あんたさ」
「はい?」

「いや、いいわ。
 まあ、なんにせよ、人前であんまりしゃべらないことね。

 あんた、顔はそっくりでも、とても、あづさには見えないわ。その顔は?」

「整形だそうですよ」
 麻紀は厭そうな顔をした。

「いや別に、衛さんは、私をこの顔にして愛でようとおもったわけじゃないですよ。

 犯人をおびき出すためにです。

 ところで、衛さんて、こういう顔が好みなんでしょうかね?

 可愛いけど、さほどの美人でもないようですが」

「可愛いけどって、あんた、自分の顔でしょ」

「他人の顔ですよ」
と呆れたように言った麻紀に言い返す。

「衛さん、自分の対極にあるものが好きなんですかね?

 やはり。
 遺伝子的に」

「あんた、そういう物の考え方で楽しい?」
と言ったあとで、麻紀はまた考えるような仕草をする。

「私は、あっちの棟に居るわ」

「あ、そういえば、院生なんでしたっけ?

 同い年くらいかと思いました」
と言うと、麻紀は顔を近づけ、

「誰もが若く見られて喜ぶと思ったら大間違いよ」
と言った。

「ああ、いえいえ。
 別にそういう意味じゃないですよー」

 いろいろと面白い人だなあ、と思いながら、麻紀を見送る。

 しかし、いいアドバイスももらった。

 どうやら、私はあまり人と話さない方がいいようだ。

 だが、どのみち、それは無用な心配だった。

 佐野あづさになった自分には誰も話しかけては来なかったからだ。

 相当浮いてたんだな、この人、と思う。

 奇跡の生還を果たした人間に、普通は興味本位でも話しかけてくると思うのだが。

 そういうわけで、それからの時間を、人々の好奇と妬みの混じっているらしい視線を受けながら過ごしすはめになった。

 授業後、教授が、大丈夫かね、と声をかけてくれたのが、唯一の思いやりのある言葉だったか。

 麻紀さんとが一番気兼ねなく話せたかな、と思いながら、今にも昔ながらの豆腐売りがラッパを吹きながら現れそうな長閑な町並みを歩く。

 いい夕暮れだな。

 あづさはいいとこに住んでたんだな、と思う。

 御剣の家がどれほどの豪邸か知らないが、こういう町で生きて行く方が幸せな気がするのだが。

 そんなことを考えながら、アパートの錆びた階段を上がると、誰かが自分の部屋のドアの前にしゃがんでいた。

 霊!? と一瞬、思ってしまう。

 が、その霊は、こちらに気づかぬ勢いで、文庫本を読んでいた。

 わずかに当たる夕陽が淡い色の髪と肌を照らしていて。

 こうして見ていると、やっぱり綺麗だな、とぼんやり思った。

 何故だか、胸の痛くなる綺麗さだ。

 しかし、そんな想いはおくびにも出さず、その横に仁王立ちになって言っていた。

「私が犯人だったら、今、やります」

 今、まさに、と高らかに宣言すると、本を閉じた衛は、呆れたようにこちらを見上げて言う。

「狙われてるのはお前だろうが」

「犯人を捜している貴方も狙われてるかもしれないでしょ。

 まあ、貴方が目的であづさを狙ってたのなら、それもないかもしれませんが」

 今日、学校で大変だったんですよ、と言うと、衛は嗤いながら立ち上がる。

「何がどう大変だったんだ」

「貴方をお好きらしい女性の方々に、瀕死の重体から蘇ったというのに、同情されるどころか睨まれて。

 わざとじゃなかったみたいですけど、学食で水をかけられまして」

 如何にも女同士の争いが嫌いそうな衛は厭な顔をする。

「私だと気づいて、たいして謝りもせず行こうとしたので、かけ返しておきました」

 お前……と衛が詰まる。

「おモテになっていいことですね」
と今日一日の不満を他に何処にもぶつけようがないので、衛にぶつけると、

「なんだそれは。
 僕に謝れと言うのか」
と言う。

「謝れなんて言ってませんよ。
 一応のご報告です。

 貴方とあづささんの周りのことは一通り調べるべきでしょうから」

「別にお前には興味もないことだろうが。
 僕がモテようが、モテまいが」
と言う。

「興味はないですが、実害があるので」

 一緒に中に入ろうとした衛だったが、外で留まり、言った。

「あまり時間はないんだが、一人なんだろうから、食事くらい一緒にどうかと思ったんだが」
と言う。

「それはお気遣いいただき。 
 でも、なんでしたら、外じゃなくて、家でどうですか?」

「……お前が作るのか?」

「いえいえ、そんな今から面倒臭い。

 何か買ってきましょうよ。
 今日は気疲れしちゃって。

 家でゆっくり食べたいです」
と言うと、衛は同意してくれたが、作らず、どうやって家で食べるのかわからないようだった。



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