憑代の柩

菱沼あゆ

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偽りの婚約者

お前は今日から、佐野あづさだ

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「えーと、この人が」
と鏡を指差しながら言った女に、

「佐野あづさだ。お前が殺した」
と突き放したような口調で衛が答えていた。

 他に言いようがあるだろうにな、と自分の物言いはさておき、要は思った。

「いえ、あのですね。
 私が殺したわけじゃ――」

 そう言いかけ、女は言葉を止める。

 自分が殺したわけではない。

 彼女にそう言い切ることはできないからだ。

 彼女には記憶がないから。

 それにしても、衛の悪い術中に、まんまとはまっているなと思った。

 衛が彼女に説明したのはこうだ。

「お前は花屋の店員だった。

 前撮りを兼ね、教会の控え室で衣装合わせをしていたあづさの許に花を持っていったのが、お前だ。

 その花に爆弾が仕込まれていたんだ」

「その花、私が作ったんですか?
 頼まれただけなんですか?」

 作ったのもお前だ、という衛に、彼女は、

「だったら、犯人は私ですね」

 ケロッとした顔で言う。

 これには、さすがの衛も面食らったようだった。

 それに気づいて、女は、ああ、と言った。

「自分のことだと思うと厭ですね。

 今、他人事として聞いていたので、冷静に推理するとそうだなと思って」

 彼女は、自分が絡んでいる事件であっても、自分という要素を排除して、客観的に判断できる人間のようだった。

 まあ、敵にはしたくないタイプだ。

「花は注文を受けてから、お前が店で作っていた。

 特に不審な様子はなかったようだ。

 防犯カメラがあるような店じゃないから、店主や店員の証言でしかわからないんだが。

 どうやら、お前は作った花を配達用の車に置いたまま、急に頼まれたもうひとつの花を作っていたらしい。

 その間に、爆弾を仕掛けられたようだ。

 現場から、二つ花籠の残骸が見つかっていたから、どちらも教会に運ばれたようだが」

「その二つの花の贈り主は?」

 わからない、と衛は言った。

「あの日、近くのホールでピアノ教室の定期演奏会があったらしくて。

 店主は他の店員とともに、あちこちから頼まれた大量の花束を作って配達するのに、右往左往していたようだ。

 お前は、頼まれた二つの花束の金額を書いたメモだけを残し、配達に出かけた。

 恐らく、贈り主や何かのメモは、お前がポケットにでも入れてたんだろう。

 車には残っていなかったようだから」

「そうですか。
 つまり、真実を知ってるのは、私だけってことですね」

「そうだ。
 間抜けにも、お前が爆発のショックで記憶を無くさなければ、まだ糸口もあったのに」
と罵った衛に彼女は言う。

「でもあのそれ、私が犯人でないのなら、私も被害者なんじゃないですかね?」

 気のせいだ、と衛は言い切る。

「第一、お前が花を運ばなきゃ、死ななかっただろうが、あづさは」

 はあ、まあ、そうですね、と彼女はなんとなく言いくるめられていた。

「ところで、通りに防犯カメラとかなかったんですか?

 その、車に置かれた花束に誰か何か仕掛けてるところとか」

 そこで衛は眉をひそめた。

「なかなか周到な犯人で、車が置かれてる場所には何処の店のカメラも向いてなかったんだ」

「周到ですかねえ」

 そう疑わしげに彼女は言った。

「行き当たりばったりだったのが、たまたまうまい具合に言ったのかもしれませんよ。

 だって、私が記憶喪失にならなければ、私が花を誰に頼まれたか、しゃべってたでしょ」

「だから、最初から、お前ごと吹き飛ばすつもりだったんだろ」

「吹き飛んでないじゃないですか。
 やっぱり、行き当たりばったりなんですよ」

 衛が押されている、と思ったのだが、結局、彼女は衛に誤摩化され、犯人探しに協力することになっていた。

 衛が高校生のとき、彼の父親が亡くなった。

 それ以後、後見人になると押し掛けるツワモノ揃いの親族を振り払い、一族を取り仕切った衛だ。

 彼女もまた、今、犯人に手を貸した人間として、仕分けられ、仕切られていた。

 今、また、衛は息をひとつ吸い、言い切った。

「お前のせいだ。
 なにもかも。

 だから、僕に協力しろ。

 お前は今日から、佐野あづさだ。

 お前は事故に遭ったが、助かったんだ。

 明日から大学に戻れ。

 あづさとして生活し、お前を狙ってくる犯人を引きずり出すんだ!」

 頭は回るが人の良い娘は、小さく肩をすくめながらも、

「……わかりましたよ」
と呟いていた。



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