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第三章 禁断のプロポーズ
甘やかさなくていいのに
しおりを挟む「本気だって」
と未咲の手を握りながら、克己は、内心、ヤバイ、と思っていた。
二重の意味で。
なんだか本当に本気になりそうな気がして。
それも落ち着かない、というか、怖い気がしたし。
女の子に本気になったことなど、今までなかったから。
そして、もうひとつ。
さっきは言葉を飲み込んでしまったが。
殺し屋と関わったら殺されるというのが本当なら。
何故、未咲は無事なのか。
もしかしたら、彼女の姉が殺されたのは――。
いつもの勘が告げている。
このまま未咲に関わるのは得策ではないと。
此処までうまく渡り歩いてきた。
会社から不要にされそうな上司も切り捨てて。
でも――。
克己は強く未咲の手を握り直す。
「あ、最近の病院って、カフェもあるんだね。
なんか飲んでく?」
「……炭酸水買いに来たんですよね、智久さんの」
ま、飲んじゃ駄目なような気もしますけどね、といつもあの悪魔の王子に振り回されているらしい未咲は、力なく言っていた。
智久に言われ、未咲と克己が病室から出ていったあと、それを見送っていた夏目に、智久が呼びかけてきた。
「俺は殺し屋がすべての元凶に一票だ」
突然そんなことを言い出す彼に、夏目は、
「どうした?」
と訊く。
「……お前、水沢には敬語なのに、昔から、俺に敬語じゃないのは何故なんだ」
「なんでだろうな、なんとなく」
なんとなくで済むか、という顔を智久はしたが、
「まあいい」
と溜息をつき、
「今回の件も、未咲の姉貴が殺された件も、その殺し屋が関わったせいだとするなら、なんで、未咲は今まで無事だったんだろうな」
と言ってくる。
「未咲の方が姉貴より深くその男に関わっている。
何故、未咲は今まで狙われなかった?」
「気づかれてなかったんじゃないか?
その男と関わりがあることを。
あとで、一、二度会ったと言ったろう。
そのときにあの男の知り合いだとバレたんじゃないか?」
「で、殺されたのは、姉の方、と」
「なにが言いたい?」
と言うと、智久は疲れたように一度目を閉じ、
「……俺はもう嫌な予感しかしないよ」
と珍しく投げやりに言った。
「俺の考えてることが正しいなら、殺し屋は所詮、殺し屋で。
ここにいる誰よりも人でなしってことだ。
いや……違うか」
ベッドに横になったまま、智久は目線を落として言う。
「俺の方が人でなしだ」
なんでだ、とは訊けなかった。
智久はひとつ溜息をついて言う。
「あいつにはなにも告げるな。
殺し屋と付き合ってた姉貴のことが書かれてる日記を、誰かが探しているようだとでも言っておけ」
黙って頷く。
「それから、未咲はしばらく借りるぞ」
「……そこは頷けん」
「なんでだ。
あいつをかばって怪我したんだぞ」
「じゃあ、俺が看病してやる」
「俺を殺す気かっ」
と智久は怒鳴ってむせていた。
しまった。
怪我人だったな、と思う。
あまりに口が立つので、つい、忘れそうになる。
智久には感謝はしている。
だが、それ以上に、まずい、とも思っていた。
未咲は弱っている男に弱い。
腹から血を流していたら、殺し屋でさえ、助けてしまう女だ。
ましてや、今回怪我しているのは、なんだかんだで、ずっと世話になっている智久だ。
しかも、未咲をかばって怪我をした。
いっそ、今すぐ俺がこいつを殺ってしまおうか、とまで妄想していると、智久が、
「なんだか殺し屋じゃなくて、今すぐお前に殺されそうなんだが……」
とこちらの目を見て言った。
「勘がいいな。
ついでに訊いていいか。
お前はどうして、未咲の姉貴と別れたんだ?」
「あいつが浮気したからと言わなかったか」
「なんであいつは浮気したんだ?」
智久は黙っている。
「もしかしたら、未咲のせいか」
「それもあるかもしれない」
智久は双方に黙っていた。
未咲には、彼女の姉と付き合っていることを。
姉には、未咲の面倒を長年見ていることを。
「言っても問題はないとは思ったが、なんだか口にする気にならなくてな」
と智久は言う。
だが、ぼんやりとした未咲はともかく、姉の方は、智久が誰か女の面倒を見ていることを感じ取っていたのではないだろうか。
それが智久への不信感につながり、浮気に発展したのではないか。
「未咲には言うな」
わかってる、と夏目は言った。
「はっきり言わなかった俺が悪いんだ。
違うマンションで、子猿を一匹飼っていると」
「犬じゃなかったのか」
と言いながら、お前が言えなかったのは、何処かに、やましい気持ちがあったからだ、と思っていた。
女子高生を金で買ったとかそういうことじゃなくて。
たぶん、智久には最初から未咲に惹かれている部分があったのだ。
「それで全部か?
別れたのに、他の理由はないのか」
「あるかもしれない」
と言った智久の表情に他のなにを言ったときよりも暗く影が差す。
「あいつは未咲より、会社の内部に通じていたからな」
それ以上、なにも話す気はないようだった。
夏目はひとつ、溜息をつき、
「あいつは最後に俺のところに来たが。
なにかに怯えているようだった。
なんで俺のところに来たんだろうな」
と訊いてみた。
「お前の方が好きだったからだろう」
「違うだろ」
「お前にすがりたかったんじゃないのか。
俺のところには来られないから。
だが、お前はあいつを突き放した」
「突き放してはない。
泊めてやったんだから」
「受け入れてやらなかった時点で、突き放したも同じだよ」
「待て。
元凶はお前なのに、最後は俺が悪かったって話になってるぞ」
智久は、バレたか……という顔をする。
「俺にも罪の意識はあるんだよ。
だから、それをお前になすりつけたかっただけだ」
「傍迷惑な奴だな」
と言いながら、内心、どきりとしていた。
智久の言葉に、思い当たる節があったからだ。
俺があのとき、手を差し伸べてやっていれば、彼女は死ななかったのだろうか。
だが、そうしていたら、今のこの、未咲との未来はない。
「殺し屋より誰より、俺が一番ろくでなしだな」
と呟くと、智久がさすがにすべてを押し付けては悪いと思ったのか、
「いや、……そうだ。
あいつ、水沢のところに行けばよかったんだよ。
水沢とも浮気してたろ」
と言い出す。
「ま、遊び程度のようだったが」
と言う智久に、
「恐ろしい奴だな。
なんでも知ってるが、間者でも雇ってるのか」
と言うと、
「見たらわかるだけだ。
だから、お前があいつとなにも関係なかったのも知っている。
それに、うちにいる間者は、あの役に立たないくノ一だけだ」
と入り口の方を見た。
病院だというのに、騒がしい声が近づいてきている。
未咲が克己になにか言われたらしく、言い返しているが、軽く笑われているようだった。
「落ち着きのない奴だ」
と呟き、智久が笑いをもらす。
社内では見たことのない顔だった。
出会ったばかりの自分では、割り込めないものが、未咲と智久の間にはある気がして、胸がざわつく。
「もう~、聞いてくださいよ~」
と言いながら、未咲ががらりと戸を開けて、姿を現した。
「聞かない。
どうせしょうもないことだろうからな」
と智久が突き放すように言う。
医者に聞いたら、炭酸水はやはり駄目だった、と告げながら、未咲はビニール袋を見せる。
「一応、買ってはきました。
冷蔵庫に入れておきますけど、先生がいいと言うまで飲まないでくださいよ」
「お前、帰る気か」
と言う智久に、未咲は当然のように言う。
「一旦、帰りますよ。
荷物取ってきますから」
「駄目だ」
「なんでですか、もう。
ワガママなんだから~」
「荷物なら、俺が取ってくるから居てやれ」
と言うと、
「甘やかさなくていいのに」
と未咲は言うが、彼女自身が今、あまり動かない方がいいだろうと思ったのだ。
此処なら人目があるから、少しは安全だろう。
「じゃあ、あのボストンバッグごと、お願いします、夏目さ……」
帰ろうとする自分を見送りに出、そう言いかけた未咲を振り返る。
扉に手をかけたまま、いきなり口づけた。
「こらーっ。
ここは俺の病室だぞっ」
わめく智久に、
「……あいつ、退院させていいんじゃないか、もう」
元気過ぎる、と呟くと、未咲は苦笑いしていた。
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