禁断のプロポーズ

菱沼あゆ

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第三章 禁断のプロポーズ

顔に出ないたちなんで

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 そういや、初給料でみんなに奢ろうと思ってたのにな。

 五十万の衝撃で吹き飛んでしまった。

 専務室を一人出ると、ちょうど佐々木と智久が話しながら戻ってくるところだった。

 ちらと上目遣いに窺う。

 一応、『あしながおじさん』の智久にも初給料でご馳走しようと思ってたのに。

 いろいろ思いながら、こちらに来る智久を見つめていると、佐々木と目が合った。

 そうだ。

 ここでは、専務だ、専務。

 自分にそう言い聞かし、未咲は事務的に二人に頭を下げた。

 そのまま、行こうとすると、
「未咲」
と智久が呼びかけてくる。

 えっ? と振り返った。

 佐々木さんが居るのに、と思ったからだ。

 だが、しかし、ぼちぼち若いのに常に沈着冷静な佐々木は、まるで表情を変えずに控えていた。

 秘書の鏡だ。

「……なんですか」
と未咲もまた、佐々木の前だと言うのに、機嫌悪く訊き返してしまう。

「お前、今日は帰ってこい」

 さすがだ。
 次々と飛び出す智久の爆弾発言にも、佐々木は顔色を変えない。

「あなたに命令されたくありません」

「昨日のことで話があるんだ」
と言った智久の側まで、ツカツカと行き、未咲は彼を見上げて言った。

「昨日の話、見切り発車でしたじゃ、すみませんよ」
「いや、根拠はある」

 責めておいてなんだが、その台詞は聞きたくなかったな、と思った。

「すみませんよって、夏目と別れたのか?」

「別れるわけないじゃないですか。
 そんなよくわからない話のせいでっ」

「だから、今夜はうちに帰ってこいと言ってるんだ」

「帰りませんよ~っ。
 どんな嫌がらせするかわからないからっ」

 智久は腕を組み、

「ともかく来い。
 待ってる。
 と言っても、俺の帰りは遅いがな」
と言う。

「早く帰れるよう、調整します」
 手帳を開きながら佐々木が言う。

 ありがとう、と言い、智久はそのまま部屋に入っていった。

 佐々木は何故かついていかなかった。

 手帳を閉じ、智久の消えた扉を見ていた佐々木は、

「……あ~、おかしかった」
と生真面目な顔のまま呟く。

 はい?

 吹き出さないでいるのに苦労した、と佐々木は言う。

「いや。
 いつも淡々としてる専務が本気で言い返してるのがおかしくて」

「全然おかしそうに見えませんでしたが」

「顔に出ないたちなんだ。

 志貴島、専務の機嫌が悪くなられたら困るから、今日はさっさと帰って専務の家に行ってくれ」
と頼んでくる。

「えーっ。
 嫌なんですけどーっ」

「業務命令だ」

「残業代、出ないのに……」
と愚痴ってみたが、いつも自分の頓狂のせいで、佐々木たちに迷惑をかけているので、逆らえなかった。

「あ、私と専務は、なんでもないですからね。
 単に、入社前からの知り合いだというだけです」

「そうだな。
 男と女って感じはしないな」

 兄妹みたいな感じだ、と言う。

 いっそ、専務がお兄ちゃんならよかったな、と思っていた。

 ……借金もチャラになるし。

 と思うのは甘いだろうか。

「佐々木さんは、いつもあの人に振り回されて、やじゃないですか?」
と訊いてやると、

「いやあ。
 前の専務に比べたら」
と言ってくる。

「前の専務?」

「その人は、派閥争いに負けてもういないんだが。
 前も専務についてたんだよ。

 あの爺さん、経費を使い込むわ、秘書の子に取引先の大事な情報もらすわ」

 ちょっと大変な人だった、と言う。

「秘書の子って、誰ですか?」
「もう辞めた人だよ」

 そのとき、ドアが開いて、桜が言った。

早川伶奈はやかわ れなよ」

「平山、盗み聞きは……」
と言いかける佐々木に、桜は、

「黙ってようと思ったんですけど。
 私、伶奈とは仲が良かったですが、あの件だけはゆるせなくて」

 きちんとしている桜だからこその台詞だろう。

「秘書としての仕事を履き違えて、チャラチャラ愛人をした挙句に、他所に情報を流すなんて」

 ああ、ごめんなさい、と桜はこちらを見て言った。

「……愛人か」
と呟き、

「佐々木さんは誰が誰の愛人なのかご存知なんですか?」
と未咲は訊いてみたが、

「いやあ、知らないな」
と言う。

「莫迦ね、あんた。
 知ってても、知ってるって言うわけないじゃないの。

 私も幾つか知ってるけど。
 あんたにだって教えないわよ」

 桜がそう言うと、佐々木が少しだけ笑うように、口許を動かした。

 さすが桜は、そのわずかな動きだけで、佐々木が笑っているのだと気づいたようで、

「なんですか?」
と訊いていた。

「いや、平山がそんな風に気を許すのは珍しいなと思って」

「なんですか。
 私を堅物みたいに」
と赤くなって言ったあと、さっさと戻っていってしまう。

 それを見送りながら、佐々木は言った。

「ともかく、今日は早く戻って、なんだかわからないが専務と話し合ってくれ」

 はーい、と返事しながら、あの人と話し合っても、なにも解決しない話だけどな、と思っていた。

 話し合うべきは、夏目だろう。

 わかってはいるのだが、それをする勇気はまだなかった。



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