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第二章 愛人課の秘密
日記の秘密
しおりを挟むみなが寝静まった頃、未咲は、むくりと起き出した。
そっと部屋を抜け出そうとしたとき、足音を忍ばせた克己が訪ねてきた。
「こんばんは」
と背にした月の明るさまでも、気にしながら克己は言う。
「私が行くんじゃなかったんですか?」
と小声で問うたが、とりあえず、入って入って、と辺りを気にしながら、部屋に押し戻そうとする。
「君、来るまでに、なにかやらかしそうだから」
克己は短く来た理由を告げた。
いつものように、からかって言っている風にはなかった。
「座っていい?」
部屋に入った克己に、そう訊かれ、頷くと、彼は行儀よく布団を避けて座る。
「さて、なにから訊きたい?」
「水沢さんは、おねえちゃんと付き合ってたんですか?」
「またストレートだねえ」
と克己は笑う。
「違うよ」
「じゃあ、なんであそこの記述で引っかかったんですか?」
克己が姉の日記の中で、気になっていたらしい箇所は、此処だ。
『今日は、いい天気だ。
ベランダに出て、洗濯物を干しながら、街の景色を眺めていると、なんだか気持ちよく。
こんな風にして、普通の主婦みたいに暮らしたいな、と思ったりもする。
でも、やっぱり、あの店に夜、食べに行きたいから、お金いるし。
この間見た服も買いたいし。
仕事は辞められないかな。
だけど、洗濯物入れるときに、ベランダで椅子に足を引っ掛けて、すっ転んで汚したり、まあ、主婦も向いてないかな、とは思う。
秘書はもっと向いてなかった気がするけど』
おねえちゃんもこんなこと思ったりしてたんだ、と共感した。
桜もそう思ったようだった。
でも気になった。
「二箇所、引っかかったんです。
おねえちゃんが住んでいたアパートのベランダは狭くて、椅子なんて置いてません。
もうひとつ。
街の景色って。
せいぜい、あのアパートからは、下の商店が見えるくらいなんですけど。
こんな書き方って、高層マンションか、高台にあるアパートじゃないとしない気がするんですけど」
「君のおねえさんは、もうひとつ部屋を持っていた。
あるいは、これは、彼女が付き合っていた男の部屋だ、と思ってるわけだよね?
じゃあ、僕への疑いは晴れるかな。
もうひとつ、部屋を借りてやるほどの金もないし。
僕が住んでる部屋、街、見渡せないし、ベランダに椅子もないから」
「そうなんですか。
高層マンションのベランダで、お酒とか優雅に呑んでそうなイメージなのに」
と言うと、
「イメージで疑わないでくれる?」
と苦笑いされた。
「おねえちゃんのアパートのベランダに椅子がなくても、それは撤去したのかもしれませんが。
景色と場所は変えられないですからね」
「それは僕に関しても言えることだよね。
だから、これが彼女の恋人か……あるいは愛人をやっていた男の家だとするなら。
彼女の相手は僕じゃないことになる。
僕が彼女と出会ってから、今まで引っ越してないことは証明できるから」
愛人をやっていた、と克己は、はっきりと言った。
わかっていたことだが、表情が暗くなる。
「……知らなかった?」
克己が少し気にするような顔で、こちらを見、訊いてきた。
「そうじゃないかとは思ってました」
「まあ、僕なら、愛人じゃなくて、恋人だけどね。
権力もないし、結婚もしてないから」
「でも、克己さんは、この箇所で引っかかった。
おねえちゃんの部屋をよく知ってるってことですよね?
表向きは、そんなに仲良かったわけではないみたいなのに。
おねえちゃんの日記にも貴方の話はあんまり出てきませんから」
克己は笑って、そうだね、と言う。
「ま、いろいろ言い逃れは出来るんだけどね。
たまたま送っていって、アパートを見ただけだとか。
それだけでも、あの街を見下ろす記述はおかしいと気づくだろう?」
「普通の人なら、見過ごすかもしれませんけど。
克己さんは、見過ごさないですよね。
鋭いはずの夏目さんはなにも気づきませんでした。
いえ、私に言わなかっただけかもしれませんけど。
夏目さんは、おねえちゃんの部屋を知らないんじゃないかと思います」
「まあ、そうなんだろうね。
めんどくさいから、白状するよ。
おっしゃる通り。
僕は君のおねえさんと付き合ってたわけじゃないけど、まったく関係がなかったわけでもない。
だから、あの日記は怪しいよ。
彼女と深い関係にあった人物に関する記述は、恐らく、すべて省かれている。
最初から見られることを想定していたか。
あるいは、彼女が日記でさえ、それを書くことを憚られる心境だったか」
「後者のような気もするんですけど。
見られることを想定していたとすると、見る相手は……
恋人とか?」
「無造作に投げている日記を見るとしたら、そうだろうね。
彼女は一人暮らしだったから。
それか、将来的に、君のような身内に見られることを想定していたのかも。
まあ、もしかしたら、自分になにかあることを予想して、僕らのような人間が見ることも考えてたかもね」
「でも、十年日記なんですよね。
十年は生きる気だったんじゃないかと」
「いやあ、彼女のことだから、装丁が可愛かったからじゃないの?」
克己は姉のことをよくわかってるな、と思った。
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