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第一章 オフィスの罠
お前は夏目とは結婚できない
しおりを挟む未咲は比較ねえ、と呟いたあとで、言ってみる。
「じゃあ、私が夏目さんと結婚して、幸せになったら、なるほど、結婚ってこんなものなのかと思って、智久さんも結婚してください」
「お前は夏目とは結婚できない」
「なんでですか」
「俺が、全部バラすから」
「なにをです?」
と言うと、
「俺とのことをだよ」
と起き上がる。
「智久さんとのことって。
貴方が、あしながおじさんみたいに、私を助けて養ってくれたって話しかない気がするんですが」
それは、智久の株が上がるだけの話ではないのか、と思ったのだが、彼は、
「お前が、二千万で俺と援助交際したって話だよな」
と言い出した。
「……物はいいようですね」
「お前もな」
「私、あなたとは、援助交際と言われるほどのことはしてない気がするんですが」
「キスだけで、二千万だぞ。
それ以上のことをしたら、なにを取られるか。
そのうち、夏目も金をとられるに違いない」
「なんで夫になる人から、お金をとるんですか。
っていうか、あなたがそれ以上のことをしたら、命をとりますよ」
智久は、どうでもよさそうに、はいはい、と言う。
「ほんとロクでもないあしながおじさんですね。
ここまで育てておいて、人の幸せを邪魔するなんて、貴方、光源氏ですか」
そういえば、どっちかといえば、そんな感じの風貌だ、と思って言うと、
「源氏物語って、そんな話だったか?」
と言い出す。
「だって、あれ、紫の上を育てておいて、他の男にはやらないっていう、よくわからないお父さんの話ですよね」
「……違うだろう」
お前には情緒というものがないのか、と言われた。
「智久さん」
「なんだ」
「明日、うちに……って、課長の家ですが、呑みに来ますか? 水沢さんと一緒に」
「お前は莫迦か」
「あの二人と気が合うかどうかはともかくとして、少しはあなたも遊ぶことを覚えた方がいいですよ」
「拾った仔犬に説教されるとはな」
智久はうつ伏せにふて寝してしまう。
「犬ですか」
と言うと、自分で言っておいて、
「いや、犬じゃないな」
と言った。
「犬というには、忠義心が足りん」
「まだ裏切ってないですよ、今のところ。
それから、女性を例えるなら、どちらかと言うと、猫じゃないですかね?」
倒れたまま智久は、腕の隙間からこちらを見て言う。
「色気がなくて、くノいちになれないお前が、猫になれるか。
色気も可愛げもない。
せいぜい、犬だ」
「……わん」
と不満を込めて、小さく吠えてみた。
智久が少し笑う。
こうやって笑うと、意外と可愛い顔してるな、と思うんだけどな。
大抵、冷ややかにか、なにか企んでそうにしか笑わないからなあ、とその顔を間近に眺める。
「……人の顔を凝視するな」
「いや、育ってきた環境って、大事だな、と思って」
「いろいろと含むところがありそうに言うな」
と言いざま、起き上がった智久は、いきなり未咲を膝に抱えた。
少しめくれてしまったスカートを抑えながら、未咲は叫ぶ。
「ちょっともうっ。
なにするんですかっ。
セクハラ親父じゃあるまいしっ」
「お前にセクハラするオヤジなんていないだろ」
と大真面目な顔で智久は言ってくる。
「職場で厄介なことになりたくないからな。
お前にみたいに、その場で大騒ぎしそうなやつにはやらない」
「今も泣き寝入りはしませんよ」
「やってみろ、誰も居ない。
このマンションで騒いだからって、外には聞こえない」
「警察に通報します」
と側にあったスマホをつかまないまま言う。
いつものパターンから言って、智久がこれ以上、なにもしては来ないのはわかっているからだ。
それにしても、今日はやけに絡んでくるな。
なにか疲れてるのかな、と思っていると、
「お前はここに住んでるんだ。
しょうもない痴話喧嘩だと思われるだけだろ」
と言いながら、案の定、未咲を膝から下ろした。
「あのー、私を使ってストレス解消するの、やめてくださいね」
そう言ってみたが、智久はこちらを横目に見、
「ストレス解消のために、お前を飼ってるんだろうが」
と非人道的なことを言ってくる。
「……わん」
ともう一度、不満を訴え、吠えてみた。
だが、今度は智久は笑わなかった。
「未咲。
お前は夏目とは結婚できない」
「……なんでです?」
何度も繰り返されるその言葉に、少し不安を覚え、訊いてみた。
「お前は夏目と結婚したら、不幸になるんだ。
脅しじゃない。
まだ、お前の知らない事実があるんだよ」
夏目とはあまり深い関係にならない方がいいぞ、と意味深なことを言ってくる。
「本当にそんな事実があるのなら、何故、今、言わないんですか」
「……俺の隠し球だからだ」
そう言い、両腕を掴むと、智久は口づけて来ようとする。
その額に手をやり、押し返した未咲は彼を間近に睨んだ。
「もう二千万もらいますよ」
「やっぱり金とるんじゃないか」
呆れたように智久は言った。
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